他者のアトピー治療





今日はメールの話をしよう。

こうしてサイトを運営していると、アトピーにまつわるいろいろな方からメールを頂戴する。
その中でいつも一群を成しているのが、「差出人の方の関わる治療法のご紹介」のメールである。
それについて話したい。

紹介される治療法とは、その方が患者であれば、ご自分の受けておられるものであり、治療者側(まず医師ではなく、代替療法師や薬剤師であるか、多くは無資格の健康関連商品販売業者であるが)の方であれば、ご自分が患者の方にしてもらっておられるものである。

「その治療法をどう思うか」という質問のメールもあるが、「これはいいから」と勧める内容であることの方が多い。


治療者である方は、むろん自分の行う治療を勧めてこられる。
これは当たり前のことで、要するに宣伝であるが、私はそれに乗る気はないから、無駄玉ということになる。

といっても、私は、それらの治療法が皆、役に立たないと思っていたりするのではない。

それが法律に触れない正当な形で運営されているのは当然として、もしその内容に一面の真理があり、それが幾らかの患者さんを助けているのだとしたなら、それはそれで結構なことだと思う。
医師に受ける治療が心許ない現状で、それに捕われない他の道を探る一般の人の目線の方が、真実に肉薄するということは、充分にありうる、と思っている。

またかねて「自然治癒への道」などで述べているように、「私はこれで治る!」という確信が、脳内の回路を治癒に向かう方向へ作動させうる、という人体の仕組みも知っているから、どんな治療であっても、役に立つ可能性があるとも思っている。

しかし、それらを私に対して勧められることについては、うっとうしいという思いを禁じ得ない。


患者である方の場合、その方が勧めてこられるのは、ご自分が受けて良い成果を得たという治療法である。

私は、「良くなられたこと、まことに結構。」と思い、お祝いを申し上げたい気持ちになる。
その方の喜びが大きく、過去の苦痛との落差が大きいほど、それを広めて喜びを分かち合いたいと思うであろう、という心情も、理解できるつもりでいる。
さらにそれらは、現在世の中でどういう治療が行われ、人気を得ているのかという社会事情を私に知らせてくれるものであるから、こうした情報を頂ける立場でいることは、非常にありがたい、とも思う。

それでも、私に対して勧められることに対しては、やはりうっとうしいと感じる。
一生懸命メールを書いて送って下さる方々に対して、大変申し訳ない、失礼なことだは思うのだが、それが私の偽らざる感想である。


おそらくその心情の一端には、単純な嫉妬もあるだろう。
「良くなった!。治った!」と喜ぶ、元(?)患者に対して、未だ病悩期間にある患者が感じる、羨ましさと少しの妬み。
私も人間であり、悟りきっているわけではないから、そういう気持ちはどこかに持つ。


しかしそうした卑近な感情だけではない。
患者としての私に、治療法を勧められることに関しては、かつて「放っておいてくれ」の記事に書いたような、重く沈む感情を抱く。

実際、今までご紹介を頂いた中で、全く見たことも聞いたこともない新しい治療法だったものは、なかったと言ってよい。


そしてさらに重いのは、医師としての私に対して、勧められることである。
少なからぬ方が、私が医師であるからこそ、メールする相手に選んだと思われる内容を書いてこられる。

すなわち私に、「その治療法を行う治療者とならないか」、というお誘いである。


サイトを持ち、そこで医師であることを公言している以上、こうした言い寄りは避けようのないものなのだろうとは思っている。
私がメンバーに加わることがその治療の発展に繋がる、と考えて下さっているのだとすれば、あるいはむしろ光栄と言うべき事態なのかもしれない。

そうであっても私は、「何故それを私に言って来るか」という思いを、抱かずにいられない。


病気に対して、それをどういう方向から捉えてどのように治療していくか、という方法論は、非常に沢山ある。
世界中を見れば、西洋医学すらその一角を成すにすぎないと言ってもいいくらい、あまたの治療法があるだろう。

「科学的な西洋医学でなければ、正しい治療法ではない」という考え方は、私は、無知に過ぎると思う。
人知の及ばぬ真実の深淵は、まだまだ幾らでもある。
といって、証明できない代替療法の中には、いんちきが容易に紛れ込む余地があることもまた、事実だ。


それら幾多の治療法に対し、私は私なりの見解を持ってはいる。
私の知る全ての治療法それぞれについて、こういう治療は見込みがありそうだとか、これはほとんど効かないだろうとか、アトピーの治療としては適さないだろうとかいった考えは持っている。
しかしこのサイトのトップページに、「治療法談義はご遠慮下さい」と書いているように、ここでそれを語ったり語り合ったりはしたくない。

なぜなら私は、自分が、他人の治療をいいとか悪いとか偉そうに言えるほどの超越者だとは思わない。
そしてまた、語るにはその前提として、まずそれについて知っていることが欠かせないが、それら1つ1つの内容を詳細に渡って知ることも、1人の人間の片手間では不可能だと思うからである。

医師である私は、病気の治療という分野の1人の専門家であるから、その発言にはつねに、専門家にふさわしい見識という責任がつきまとう。
自分の経験から良いと思っても、その一方には、悪かった患者がいるかもしれない。ある程度の全体像を見通せたと思える状況でなければ、ものを言うことはできない。


だから私にとって、勧められる1つ1つの治療に対して、それらを評価し解答することは、大変に気が進まない作業なのだ。
「あなたがそれをいいと思うなら、それをすればいい。
だが、『それをいいと思い、学び行いなさい。』と、私に求めるのは止めてくれ。」
というのが、メールに対する率直な感想であり、解答である。


治療者である私は、皮膚科専門医であり、なおかつそれだけで飽き足らずに幾らかの代替療法を学び、研修している者である。
1人の治療者としての私の容量は、それで満杯になった。
私は残る人生を、これらの道でやっていきたいと思っている。


患者の方でも推測がつくだろう。
医道に限らない、どんな道でもものにするには、懸命に勉強と研修をして、数年以上の月日が必要である。簡単ではない。
そしてそれ以後も、知識と技術を磨き改めるために、毎日学び続けていかなければならない。

だから1人の人間が、そんなにあれもこれも全部できる道理はないだろう。
そうはお思いにならないだろうか?。


アトピーに悩む患者は今日、非常に多い。
それを治療するには、多くの治療者が必要である。
それぞれの治療者が、自分のできる方法で、自分の目の前にいる患者の方を幸せにすることに貢献すればよいと、私は思っている。

私がどういう方法でその貢献をするかを、私はずっと必死に考えてきた。
可能な限りあらゆる治療法にアンテナを伸ばし、その中から選んできて、現在の私がある。


メールを下さる方々に対して、私は思う。
その治療法がそんなにいいというのなら、そうお思いなら、
「ならばあなたがそれをすればいい」。
会ったこともない他人に期待するより、必要なら勉強して医師になってでも何ででも、自分がそれを施せる人間になればいいと思う。

そういうことを言うと、
「誰でも医師になれるものではない。」
「医師になった者には、それなりの責任がある。」
などという返事が返って来ることが、予想される。
それはそうかもしれない。

しかし、医師たる私にも、負いきれる責任と、そうでないものとがある。
何より、自分が実現させたいことの、大変な部分は人にしてもらおう、というのは、虫のいい望みではないか?。


私に課せられた義務は、私自身の人生を生きることである。
誰かの人生を、肩代わりして生きることではない。


同じような内容のメールを出そうと思っておられる方に、私はこの記事をもって、お返事に代えさせてもらいたい。
私の考えは、こういうものである。



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さて、これで終わってはあまりにそっけない記事なので、おまけを付けよう。
言ったそばからだが禁を破り、1つだけ、私の評価の思考過程を、こんなふうだとお示してみようかと思う。
それを通して見えると私が思うことにも、同時に言及したい。


俎上(そじょう)に乗せさせてもらうのは、アメリカオレゴン州の、ロバート・T・マセソン医師によるアトピー治療である。
日本人留学生の治療をきっかけに、100人単位の日本人アトピー患者が訪れ、治療を受けているらしい。まるで臓器移植さながらである。


今までに、複数の方からこれを推薦するメールを頂いている。
治療成績は良いようで、そこに嘘の気配はない。
治療内容の概略も、日本人患者団体がネット上で公開しており、誰でも知ることができる。

私はその医師にも、治ったという患者にも会ったことはなく、ただネット上で知り得る知識を得ているのみである。
それも、当該サイトを隅から隅まで読破した訳ではない。
それでも、他の場合と違う感想を抱いたので、書いてみたくなった。


まず、アメリカに行ってその治療を受けた後、「治った」とか、「完治した」という表現がされている点が気になった。
本当に「治った」のか?。
どうやら、治療後もそういう状態を長く保っている人がいることは、事実らしい。

一方、日本に帰国後も、フォローをするとかケアをするといった記載がある。よく見ると、そのケアの中に外用薬も含まれるのか?と思うような記載もある。
しかし、それなら、「治った」というだろうか?。


ここからは、仮定の上に言わせてもらう。

もし帰国後も多くの患者が、ステロイドか他の免疫抑制剤(タクロリムスー商品名プロトピックーないしその類似薬)の外用剤の外用を続けて「治った」状態を維持しているのだとしたら、それは従来からあるパターンに過ぎない。
集中的な治療で、悪い状態を脱した、というだけのことである。


もしそうでなくて、多少のスキンケアやアレルゲン回避の注意だけでやっていけるようになるのだとしたら、その治療法を検討してみる価値はある。


そこで、公開されているその治療内容を見てみると・・・。

黄色ブドウ球菌に対する抗菌療法、一時的な内服・注射を含むステロイドの投与、鎮静作用の強い抗ヒスタミン薬や抗精神薬の投与、入浴直後の油性軟膏外用による保湿、スクラッチテストによる抗原検索、それに基づく減感作とは違うと書いてあるが減感作とどう違うのか分からない注射薬の継続的投与、タクロリムス類似の免疫抑制剤の外用剤。

集中的であるという感じはするが、1つ1つはどれも、とりたてて新しいものではない。
ほとんど日本でも試みられている治療である。

違うとすれば、減感作かというその注射だけが該当するだろう。

「体内に持っているアレルギー反応を起こす物質を科学の力で包み込んでしまい、外からの刺激に反応しないようにしてしまう」
という訳の分からない説明がなされているが、
その施行方法と、リンクされている英文の文献(そこには、「抗原を長期に渡って増量しつつ注射し続けることにより、抗原に対する感受性を弱め、症状を軽減させる」と書かれている)を見る限り、減感作療法と思われる。


このようなマセソン医師の治療が奏効しているとするなら、その理由は、以下の2つが考えられるのではないか。
1)多数の抗原に対して減感作を行うことが、有効である。
2)現在存在する一定の有効性がある治療を、幾つも組み合わせ、患者の状態に合わせてそれらを適切に用いることにより、症状を充分に改善させることができる。


1)だということも、それほど意外ではないかもしれない。
減感作とは、患者の体を抗原に慣れさせて反応性を低める治療である。
アトピー性皮膚炎が他ならぬアレルギー疾患であることを考えれば、患者が反応している抗原に対する減感作が有望だということは、むしろ当然とも言えるのではないだろうか。

にもかかわらず、少なくとも日本においてそれが多用されていかないのは、おそらく手間が掛かり過ぎるという要因が、大きいだろうと私は思っている。


山ほどある抗原の中で、何をどう調べ、どうなったら本当に陽性なのか、その陽性のものの中のどれをどういう順番で、どの程度治療すればいいのか。

主たる抗原が明らかで、かつ単一である場合の多い、アレルギー性鼻炎の場合と比べ、その手間は甚大である。
そしてその鼻炎のスギ花粉1つの減感作にしたところで、年余に渡る治療の継続という手間が掛かり、なかなか続かないのである。


こうした治療が現実に行われていくためには、医師が、患者1人1人の診療に一定時間を掛けられる環境がなくては無理である。
それには、費用面での報いも含むだろう。医療費が削られていく一方の現状では難しい。

そして患者の側も、楽な即効的治療ではなく、時間と手間の掛かる治療を受け入れる覚悟を、持たなくてはならない。



またもし2)だとすれば、これは希望を与えてくれる情報ではないかと思う。
私たちは、手持ちの駒で、まだまだもっと勝負することができるということだ。
あきらめないで、良いのではと思われるできることをしていけば、改善できる余地がきっとあるのだろう。


そうして私のたどり着く結論は、 「私たちのすべきことは、お金を貯めてオレゴン州に行くことではないのではないか」、 という思いである。
今、自分のいる場所で、できることはないかと考え、していくことなのではないだろうか。

マセソン医師の治療の紹介は、私にそうしたことを考えさせてくれた。


そして最後に、もう一度繰り返しておきたい。

同医師の、治療に使う外用薬のリストの中に、「部分的に」とは断りつつも、クロベタゾールー日本での商品名デルモベートーという、最強レベルのステロイドが含まれていること、
日本に帰国後も、ピメクロリムス(タクロリムスと同じカルシニューリン阻害薬に分類される免疫抑制剤ー日本では未発売ー)の外用が必要になるような記載が見られること、

という2つの点が、私としてはとても気に掛かる。

これらをつけ続けるのだとしたら、症状が軽くなっただけで、治ってはいないことになる。

ピメクロリムス外用剤の安全性を説くサイト内の文章も、タクロリムスの安全性を訴える日本皮膚科学会の説明を彷彿とさせる。

今まで日本でも、「脱ステロイドとアトピーの軽快」を目標に掲げ、患者の人気を集めた治療機関の幾つもが、大勢の患者を長く診ていく内に、密かに少しずつ、内実はステロイドに頼る治療にシフトしていった。

その轍を踏んでいるのでなければいいが、という、懸念は消えない。



医師は選ぶべきだと確かに思う。
けれど、ひたすら「名医」を求め続ける日本人の傾向は、私にはあまり好ましいとは思えない。

「青い鳥」は、地味に努力を重ねる日々の暮らしの中にこそ、いる、というのが、メーテルリンクの結論だったではないか。



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さて、今日はとりとめもない話になった。

文句を言ってしまったようで申し訳ないが、皆さんからいろいろなメールを頂けることは、実際ほんとうにありがたい、と私は思っている。

それにより得たエッセンスを、私1人で抱えているのは勿体ないので、いつか少し語りたいという思いを、今日は現実にさせてもらった。

感想のメールも掲示板への書き込みも、私にとっての楽しみである。
これに懲りずによろしくとお願いする。

2007.7.  




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