早起きへの挑戦   



子供の頃から私は低血圧で、朝は弱く、宵っ張りの質(たち)だった。
それがこのアトピーの爆発後は極まって、待ったく午前中の活動ができない身になり、そのまま既に7年もの歳月を重ねてしまった。


起きようとする努力はずっとしているのだが、体がついていかない。
とはいっても、ごくゆっくりと改善の方向に向かってはいる。

家から全く出られなかったのが、夕方出かけ、午後3時頃から出かけ、少しずつ距離を伸ばし、車で片道1ー2時間くらい、そして電車に乗り、歩き、自転車に乗れるようになり。

時折少しばかり、家の中での体操や庭での運動で体を動かす気にもなるようになった。


この時点の生活は昼寝から起き出すのが午後1時から1時半頃、昼食を食べながら勉強を始め、あとは家の用事や買い物などをして過ごす。

少しは体が動かせるようになると、この鬱々とした日々を忘れる気晴らしに出かけたくてたまらなくなったりもする。
そうして行けるのは遅い時間のレジャー。

この頃、お芝居の夜の部を何回か見に行ったり、夜まで営業している遊園地などに行った。
疲れてしまうし散財するので、ごくたまにではあったけれど、生きていく気力を回復するのにはずいぶんと役に立った。

これらは、娘には申し訳ないことでもあったと思っている。眠くなる時間まで付き合わせてしまう、悪い親だった。
しかしそういう形でなければ、子供を遊びに連れて行ってあげることもできなかったのだ。

今はこれで仕方がない。しかしこのままでよくもない。何とかしていかなければならないーそう思っていた。


どうしてもクリアしなければならない次の課題は、人並みに朝から起きて活動できるようになること。それは明らかだった。
そうでなければ社会生活に戻っていくことができない。人との約束もできないし、仕事も始められない。


どうしていつまでもこんななのだろう?。

午前中に寝る習慣を作ってしまっているからいけないだけで、無理矢理にも何日か起きれば、体内の生物時計が再調整されて、起きられるようになるものなのだろうか?。
そうかもしれないと思って、何度も頑張ってみたが成功しなかった。

皮膚が痒い痛いもさることながら、体がとてもだるく、力が入らず、体が自分のものにならない。
結局起きることができずに終わってしまうのだった。


人間の体の1日のリズム。
それについて生理学の教科書を読むと、こんなことが書いてある。

他のほとんどの生物と同様に、人間は体内に生物時計という仕組みを持っている。
それは、生体機能を昼夜の変化に合わせてほぼ24時間の周期を作り、それによって生体の恒常性(こうじょうせい:一定の均衡のとれた状態)を保つことを助けている。

睡眠と覚醒のリズムは、もちろんこの機構の一部分であるが、生体内で1日ごとのリズムを刻むのはそれだけではない。

体温は昼高く夜低く、血圧(に代表される循環機能)も昼高く夜低く、日中の活動に好都合なようになっている。
消化機能も同様に昼に高い。
さらに、内分泌(ホルモン)系と免疫系にも顕著な24時間のリズムが見られるという。

内分泌系で有名なのは、睡眠のリズム作りに関わる松果体ホルモン:メラトニンと、ストレス対処・糖代謝などさまざまな機構に関わる副腎皮質ホルモン:コルチゾールである。

コルチゾールの分泌は、睡眠後半から増加し、午前10時頃に最も多くなって、その後次第に低下していく。
コルチゾールが早朝に高くなることで、糖新生(体内にある糖分をエネルギーとして使える形に取り出すこと)が促進され、夜中何も食べていない後の、朝の血糖値の低下を防いでいるという。

これら体温のリズム・メラトニンリズム・コルチゾールリズムは、睡眠覚醒リズムとは別系統で統御されていると考えられているらしい。
(標準生理学第5版、医学書院、2000年)


ここに、体温/血圧・内分泌/コルチゾール・免疫系といったキーワードがちりばめられているのは、私には偶然とは思えなかった。
それらのキーワードが本の中で浮き上がってくるように感じられ、ずっと持ち続けてきた納得できない気持ちに、合理的なひとつの回答を与えられたように思った。

体温/血圧とは、すなわち主に自律神経系によって制御される、人体を生かしている根幹の機能である。

副腎皮質ホルモンコルチゾールは、皆さんよくご存知のように、炎症を抑えてくれる(顕著なその作用ゆえに合成されて医薬品、いわゆるステロイド剤となっている)非常に重要なホルモンである。

自律神経系について考察。
ひどい起立性低血圧、腸管の制御の不良などの症状から、私の自律神経系はかなりの失調状態にあると考えられる。

コルチゾールについて考察。
喘息患者の発作が明け方に多い理由のひとつとして、夜間のコルチゾール低値が考えられている。

それと同じように、アトピー患者でも、夜間痒み・炎症が強くなるのは、時間的に少なくなる生体内のコルチゾールが、炎症を抑えきれなくなるから、という理由があるのではないだろうか
(このことを言っている人はいるのかな?。よく知らないけど。)。

逆に言えば、アトピー患者では、強い痒みと炎症が続く夜間では、副腎皮質に過剰な負荷がかかることになるだろう。
正常な人にとっては充分なコルチゾールの量でも、患者にとっては不足、ということになるかもしれない。

患者の体では、1日の周期の中でも、コルチゾールの足りない時間帯(夜間〜早朝)と、足りている時間帯(午前遅く)が存在する可能性があるのではないだろうか。


ということは、私の得た回答は、

「こうして午前中起きられないでいることの原因は、皮膚の痒み痛みだけはない。もちろん睡眠時間帯の習慣だけでもない。
私の体の生理機能の中で、1日の周期を作るのに必要な部分が、(おそらくはアトピーに関連して)失調してしまっており、容易にその機能を回復できないでいるのだろう。」

というものである。


アトピー性皮膚炎も、自律神経系失調も、副腎皮質の機能の不足も、私の体の中でみんな繋がっている。

表現は、皮膚の炎症・血圧の低下・消化管の痙攣・倦怠感などと、さまざまな違う形であっても、それらを全て別々に見ていては、その本当の意味に行き着けないのだと思う。

そうなるとやはり、「アトピーは皮膚だけの病気ではない。」という思いが強くなる。
皮膚は異常が表現された結果、として捉える見方が必要であろう。

今までは、どちらかというと、皮膚が痒い痛いでつらいから、体が動かないのであり、それさえよくなれば動けるようになる、というふうに思っていた。
それは確かに大きいし、私の主病変はやはりあくまでもアトピー性皮膚炎を起こしている免疫系のアレルギー反応であると、今でも思っている。

けれど、私の経過は、おそらく今まで思っていたように、「皮膚が治った、次いで他のものも治った」、というふうに行くのではなく、「朝起きられないことも含めて、多くの症状が、ほぼ丈を揃えてともに癒えていく」のだろう、と思うようになったのだ。


何を今更、という話かもしれない。
私自身、前から何となく感じてきていたことで、それをはっきり意識しただけのことなのかもしれない。

だが、それが生理学的に考えても整合すると思えたことは、私の気持ちを安らかにさせた。

なぜなら、原因も突き止めきれず、解決の遠い状況が年余に渡って続くのは、実に苦しいことだからだ。

殊に、解決しない理由が自分にあるように思えてくるという悩みは、誰しも逃れられないものだと思う。

「お前がもっと頑張っていれば、もっと何か別の努力をしていれば、もっと治っていたのではないか、もっと治るのではないか?。
それなのにいつまでも遊んでいる、お前は情けないやつだ、怠け者だ。」

世間一般の標準から外れ落ちてしまった状況にいる限り、自分が欠陥品であるという思いを、ともすると抱かずにはいられない。
それは、人から抱かせられるものであることも、自ら抱いてしまうものであることもあるが、いずれにしても出口のない苦しい思いである。

自分の経過が、必要なもの、妥当なものと考えることができれば、それを容認することができる。
焦りをなくすことはできないが、それを小さくすることができる。


自分を責めたり、焦ったりしても、治りが早くなるわけではない。
むしろストレスを溜める分だけ、マイナスになるだろう。
一歩一歩進んでいきたい、と改めて思うのである。



さて、この頃の私は、前章で書いたある代替療法の通信教育を受講して、2年めに入っていた。

既にお察しの方もおられるかと思うが、それはカイロプラクティックという整骨療法である。

筋骨格系を中心とした(時に内臓にも)体の構造に手技でアプローチすることによって、背骨の中を通って全身に行き渡っている神経の働きと、その周囲を流れる脳脊髄液の流れを良くし、自然治癒力を増すという治療法だ。

西洋医学の皮膚科治療に足りないもののなにがしかの、補いとすることが将来できないだろうか、という思いがその原動力だった。


通信教育は2年で修了だった。

期間中、年4回のミーティングがあった。
どうしても出ようと思って、力を振り絞り(それでも調子の悪い時期である冬はだめだった)、午前10時過ぎに何とか起きて休みながら食事をとり、車で都内に向かって午後1時前に着いて午後の部だけ、出た。

終了時に免許試験があった。

(カイロプラクティックは、アメリカ・イギリスなどには専門大学があり資格を習得するようになっているが、日本では国に法的に認められていないので、国家資格としての免許試験というものはない。
これは、国家資格に繋げていくことを目指して日本カイロプラクティック機構という団体が行っている免許試験である。)

試験は午前9時から。これに出られなければ2年間学んだ甲斐がない。
火事場の馬鹿力の出番だった。
幸い試験のある春は、私にとってはいつも皮膚の調子が上向く時期だった。

結果は、受けることができた。
ただし、くらくらはしなかったが、下痢を起こし、お腹の痛みをこらえながらの受験だった。

恥ずかしい話だが、休憩時間にはトイレに長期滞在せざるをえず、私の次に入った人には、さだめし臭い思いをさせてしまったのではと、実は今でも申し訳なく思っている。
ここで謝ってもどうなるものでもないけれど、ごめんなさいと言っておきたい。



そうこうしながらも、不思議と、一度できれば、その後はできるようになることもある。

一度できたことが自信になるのか、そろそろできる時期だったということなのか、気持ちの準備ができたからともいえるのか、まあおそらくそれらのどれでもあるのだろう。

まだできないことは、一度した後、「当分ごめんだ」とか「もうしない」と思うものであり、そういう気持ちにならなかったということは、できる状態になってきているということなのかと思う。

つまり、それを契機に、少しは朝起きができるようになったのだ。



次の段階として、カイロプラクティック治療を自分で施せるまでに習得するには、実技に重きを置いた研修を受ける必要があった。

そうした教育をしている、あるカイロプラクティックの学校に、私は通い始めた。

始めは、週に1日。
そこの授業は午前中2時間半だけで終わるので、私には都合が良かった。
それくらいなら何とかもちそうだ。

朝6時に起きて風呂に入り、再びベッドで休みながら朝食をとる。
夜間の皮膚の荒れが風呂の湯で平らに整えられ、さらに入浴中・後に生じる痒みやぶつぶつが落ち着いてくるまで、1時間半余り。

それから家を出て電車で都内に向かう。
座れる電車を駅で並んで待つために、その分早起きすることにした。
満員電車で立っていく自信は、とてもなかった。

時に、日曜日の授業にも出かけた。
それは午後まであって、計5時間だったが、始まりが30分ほど遅い分、楽ができた。


これら全てが、私にとってのリハビリだった。
興味のあることだからこそ、できたのだろうと思う。
どうしても行きたい、という気持ちが、私の体を動かしてくれた。


出かけた日は、午後3時頃に帰ってきて、後は家事をした。
家にいる日は、復習をした。

引き蘢るしかなかったそれまでの生活に比べ、外に出て人と会い、話す、定期的な時間と人間関係を持てるようになったことが、大きな変化だった。
それは精神衛生上、確実に良いものだった。

やはりそれは、人間にとってどうしても持つべきものなのだろう。
電話や、掲示板書き込みや、ごくたまに会って話すことだけのそれまでの生活とは、別の活力を、私の気持ちに与えてくれるものだった。

それがすなわち、社会参加をすることの意義なのだろう。
そして、今は受け取るばかりであるが、いずれは私も社会に対して何かを供給する、社会人としての立場に戻らなくてはならない。

その時は、いずれ来る。
しかし、まだ今ではない。



体調が泥沼を抜け出して時間が経ち、落ち着いて考えをまとめられるような、肉体と精神の余裕ができて来た。
だが一方で、不充分な体調のために社会活動はできず、空き時間が多い。

そんなこの時期、私はもうひとつのことをした。


ホームページの開設、2005年の5月、この「MIOの世界」である。


アトピーが爆発して先の見えない生活に入って以来、独りで、ああでもないこうでもないと考え続けたおよそ10年間。
その記録を残し、衆目の批判にさらそう。

重症アトピー患者でありながら、皮膚科医でもあり、なおかつステロイドもタクロリムス(プロトピック)も拒否した者が、どうなったか、というその事例を。

それが、今医師として働くことで社会に奉仕することができない私の、その代わりになすべき仕事だと思った。


このサイトの開設後、ある先生に声をかけて頂き
(とても感謝していますm(__)m。)、
ステロイドに頼らないアトピー治療を実践していらっしゃる全国の先生方と、知己を得る光栄に預かった。



さて、朝起きることを覚えれば、次第に毎日起きられるようになるかと思っていた生活は、そうはならなかった。

早起きすると、その夜が非常に眠い。
あるいは翌日の昼寝が輪をかけて長くなる。
明日は早いからと、いつもより少し早く床に入っても、眠りにつく時間はやはり同じ。

そんなこんなで、学校に行く日以外は、結局今までのように午前中昼寝をしていた。


この年は6月末から、ひどい猛暑だった。外を歩くことや買い物さえ、控えてつい家に籠った。


それでも夏休みになると、とうとう朝から起きることもできるようになったのだから、と暑さにめげず、いくつものお出かけを計画した。

会いたいと思いながら、今まで距離に負けて果たせずにいた、旧知の人に会いにいったり、子供のために、ちょっと遠くの水族館や遊園地に行ったりした。
丸1日かけないと行って帰って来れない、片道2時間くらいかかる程度の距離の所が、この年のターゲットだった。

平均週2回くらいのペースで、そんな外出を続けただろうか。
楽しいので夢中になっていたが、どうやら頑張り過ぎたらしい。
お盆を過ぎる頃には、一日中体が重く感じるようになっていた。


そして、外出先で大事な財布をなくす、という、とんでもないミスをしでかした。

ああ、またやったね、と思う。
アトピーが悪化してから、こんな経験が過去にもある。

それは温泉療法を続けて1年くらい、長時間の入浴でかなり疲れていたが、自分の意識では「それほどではない、まだ頑張れる」と思っていた頃、車を運転していて、軽い接触事故を起こしたのだ。

見通しのあまりよくない小さな交差点で、自分の走る方が優先道路ではあるけれども普段なら減速して注意しながら通り過ぎるはずの所を、その日は横から出てくる可能性を全く考えず、速いスピードのままで通り過ぎようとしてしまった。

じつは事故の経験はもう一つある。
それは比較的最近、およそ1年半前のことだが、断りきれずに午後早い時間の約束をして、無理矢理起き出して午前11時頃に車に乗った時のことである。

車庫から出して車をいったん止めて中で支度の確認をしていたほんの2分ほどの間に、後ろに車が来て止まっていた。
それに気付かず、発進しようと後ろも確認せずにバックして、ぶつけてしまった。
バックミラーも見ずにバックした自分が、未だに信じられない。

運転の初心者だった頃を除けば、私のぶつけた事故はこの2つである。


疲れすぎると注意力が散漫になる。
それは、気力では補いきれない。
「なんだってあんなことをしてしまったんだろう」と後で思うようなことをしてしまうものだということがよくわかった。

これらはみんな、
「お前の今の状況ではそれはできないよ、無理し過ぎているよ」
というサインだったのだと思う。


財布をなくしたことで当然大変な思いをし、その夜は、眠れぬ程に胃が痛んだ。
そして、落ち着いてきていた過敏性腸症候群が再燃してしまった。

また、今までと違う時間に散発的に起きるという負担に、自律神経系がついていけなかったようで、この疲れを契機として、血圧調節の新しい不具合が生じた。

血液・体液の循環の調節が上手くいかず、動悸がしたり、頭が重く鼻の奥が詰まる感じになった。
(振り返って考えるとこれは脳圧亢進の症状であったようである。)
(「病人のぼやき」参照 )
当座の苦痛を、カイロプラクティックの治療を受けて、何とか凌いだ。


どうやら急いでも駄目らしい。やはり、少しずつゆっくりいくしかないか、とまた思い、立て直しを図る。

10月から、週1回の通学を週2回に増やした。この程度のペースが私にはいい所のようだ。
午前中の授業の間、何度も出るあくびを止めることはできなかった。
それでも遅刻もせず休まず通った。


早く起きたため、夜とても眠くて早く眠れる日もあれば、なぜか目が冴えてちっとも眠れない日もある。
学校がない日は、皮膚がきしみ体が重く、やはり午前中は起きられなかった。

何度か昼寝しないで我慢してみたり、10時や11時に無理矢理起きてみたりした。
しかし起きてみても頭は重く気力がでなくて、何もする気になれずにぼうっとしていたり、夕方にどうしようもなく眠くなり寝てしまって夜はもっと眠れなくなったりするのだった。

サイクルがより乱れて、気分は悪いし、無力感から自己嫌悪に陥ってくる。
結局まだ無理とあきらめて、開き直って昼寝することにするしかなかった。

通学の時は緊張しているのであまり感じないのだが、どうやらその分だけでも、この時の体には大変な努力だったようである。
学校のなくなる冬休みや春休みは、寝ても寝ても眠い、ひたすら過眠の日々だった。

一年間の授業が終わった後には、ひどい風邪を引き込んだ。
鼻閉で息が苦しくて、ほんとうに久し振りに、抗ヒスタミン剤・トローチ・点鼻薬などのお世話にならなければならなかった。


それでも、この年度から、午前中の用事は全部断るしかない、ということはなくなったのである。記念すべき年であった。


・・悪化から、10年8カ月が経過。




!!注意!!:

この章と次の章において、私がカイロプラクティックに結構入れ込んでいることを書いている。
それを読んでカイロプラクティック治療に興味を持つ方もおられるかもしれない。

その方々に忠告だが、日本のカイロプラクティック業界は、資格や教育水準の規定がないため、著しい玉石混交の状態にある。

治療家を選ぶ際はご注意下さい。








次章:肌色の皮膚に へ
前章:考えたこと、そして新局面 へ

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