実はいささか体調を崩している。
(ゆえに今回はあまり毅然としたことは書けない。お読み苦しい点ご容赦を。)
アトピー本体が、ではない。肌は順調に回復の途をたどっている。
その周辺にあるさまざまな症状だ。
例えば、鼻が妙に詰まる。
「それはアレルギー性鼻炎でしょう。アトピー体質だからねえ。」
と断じてしまえばそれまでだが、そうなのだろうか、よく分からない。
さして多量でも粘稠でもない鼻汁が、鼻の奥で空気の通り道を塞いで、何故かいつものように鼻をかんでも出て来ない。
鼻詰まりはささいな症状だが、呼吸苦の連想へと繋がるので、どうも私は不安になる。
原因不明なので、尚更不穏に感じてしまう。
そして、持病のひとつ過敏性腸症候群が再燃している。
きっかけは大事な物をなくしたことだった。
そのショックと、生じた弊害のストレスで、その夜は横になっていられないほど、みぞおちが痛んだ。
そして翌日から下痢になり(きれいでない話で申し訳ない)、3週間経つ現在まだ治らない。
上腹部痛は全くなく、消化管潰瘍などの急性の器質的病変はなさそうである。
整腸剤を適宜内服し、消化のいいものを食べるようにして過ごしている。
しかし、食欲はない。
それに低血圧が加わる。
生来最高血圧が100mmHgに届かない私は、病状が大分回復して来た最近でも、月々の血液喪失の後は、脳貧血でくらっとなることがままある。
それが今回の喪失2日後、午前中の仮眠から起き抜けに昼食を食べて胃腸が動きだし、血流もそこに持っていかれた時に、どっと来た。
めまいのしそうな脳虚血感とともに、激しい不安・焦燥感が、腹部からこみ上げた。
何が起こったのかよく分からなかった。
血圧はいつも通り、脈は少し速い。
生理による貧血のために、また循環動態が不安定になったか、と、鉄分を採り、体を動かして脳への血流を促した。
そうしてくらくらは次第に取れたが、焦燥感は翌日からも食事の度に起こった。
腹痛はない。ただ腸が変に動いているらしい。
どうやらこれは、過敏性腸症候群の悪化だな、と思い至った。
しかし下痢はともかく、焦燥感はかなりつらい。
腸は自律神経系と大変関係の深い臓器なので、蠕動の乱れが神経に反映されるのだろう。
鼻が詰まってどきどき、食事をしてはどきどき、またなるかもと思ってはどきどき、となってくると、予期不安を伴ったパニック発作で、パニック障害への移行の様相を示して来る。
いけない、何とかここで踏み止まらなければ。
いったい何でこんなことになったのか、と落ち着いて考えてみることにする。
思えばこの夏は、アトピーの回復に力を得て、猛暑にも負けずあちこち遠くまでも外出をした。
午後からしか起きられない生活も、この春から、週1〜2回(しばしば下痢を伴いながらも)どうにか朝から起きて活動できるくらいにまでよくなった。
5月にはこのホームページも開設にこぎ着け、いろいろな方からの声も頂き、めまぐるしい日々が続いた。
振り返ってみると、我ながら随分頑張ったものだと思う。
疲れが出て当然の時期かもしれない。
また、失せものだけでなく、その後心を痛めつけられるようなことが続いた。
化学物質過敏症の話題で、患者の日々の苦しみにも関わらず、疾患自体の存在さえいまだ医師に充分信じてもらえていない現状だと思い知らされるような話を聞いた。
私自身3〜4年前からお線香の煙りで舌がしびれるのだが、新たに蚊取り線香も同じ症状が出て駄目になっていると判明した。
同じく化学物質過敏症の30才代の女性が自殺し、その夫が自殺幇助の罪に問われている、というなんとも痛ましい話を聞いた。
気晴らしになるかとテレビを付ければ、目に入って来るのは、猛暑の置き土産とも言える、南洋の高水温が生んだ強力な台風の相次ぐ襲来とそれによるひどい被害、そしてロシアの小学校でのテロ・・・。
こんな愚痴めいた暗い話を公開していいものかとも思う。
読んで下さっている方、申し訳ない。
しかし私とて冷静でいられない心の弱い時もある。
多分私の体は、今、精魂尽き果てているのだ。
しばらくはのんびりいこう。
楽しいことを探そう。
家族や友人と気楽なおしゃべりでもして、そうしたら少しは元気が出てくるだろうか。
幸い気候は秋の気配だ。
暑さでできなかった日常のことを、こなしていくのにいい時期かも知れない。
循環動態の安定のためにも、考え込んでばかりいないで、体を使うようにしなきゃ。
そのほうが気も紛れるかも。
そして、教訓。
・頑張れるからといって、頑張り過ぎてはいけない。後で来るぞ。
・精神的肉体的に敏感な人間は、時には敢えて思考を停止したり、不感症になる勇気も必要。自分を痛めつけ過ぎては、生きていけなくなってしまう。
それにしても、こう書いている間にも眺めている自分の皮膚は、かつてなく調子が良い。
きめこそ荒いが(それも以前より随分細かく、場所によっては人並みだ)、つやや張りが出てきて、秋口というのにまだ乾燥もしない。
皮膚が治ってきたからこその行動の拡大で、それに伴う状況の変化に、私の体は今必死で対応しようとしている所なのだろう。
何事も「一朝一夕には成らない」し、「過渡期の不安定さは避け難い」ことと、思い定めるしかない。
「よくなりだしたら、もうぐんぐんと!。あとは早かったですよー。」
というふうにいけばいいのになあ、現実はそう甘くはないようだ。
2004.9.