社会復帰   
−再び医師として−




34才で完全退職に至り、44才で復職。

療養の期間は、当初の心づもりをはるかに超えて長かったが、その終わりは来た。
はじめの3年以上は生活のほとんどを親に頼り、その後もいつまでも酷い症状に悩まされながら、尚、ステロイドを使おうともせず自然経過に任せていた、思えば我が儘な患者であった。

療養2年目くらいの頃であったろうか、いっこうに症状の改善が見られない私の、退屈しのぎの長電話に付き合ってくれていたかつての同僚が、ぽつんと言ったことがある。

「(私の名)は、もう社会復帰できないんじゃないかという気がする。」と。

そうならなくてよかったと今、心から思う。
それは私のために、家族のために。案じてくれた友人たちのために。
そうして、ステロイドに頼りたくない全てのアレルギー患者のためにも。


就職の半年ほど前から、前哨戦としての活動を始めた。
皮膚科のクリニックを営む旧知の先輩医師に依頼して、月に1回、まずは見学に行かせてもらうことにした。
眠いし疲れるし、新しい治療材料の普及などの現場の変化に驚かされたりもしたが、少しずつしていけば、どうにか勤まりそうだった。

時を経ても、古巣には不思議な安心感があった。
改めて感じた、私はこの仕事が好きなのだ。
人と病気(殊に皮膚病)を診ていくことを、一生の仕事として続けていきたいと、決意を新たにする。


焦る気持ちはなかった。
自分の体が、いきなりのフルタイム勤務に耐えられないだろうことは分かっていた。
まず、週1日か2日くらいか。当然非常勤となるだろう。
前記のクリニックへの定期的通勤を考えていた所で、不思議なもので、別の総合病院から就職の話が来た。
このクリニックと、総合病院の皮膚科へ、各々週1日の通勤をすることになったのだ。

2か所に勤めることにしたのには、幾つか理由がある。
まずは一般皮膚科医としてしっかり働きたいという思いがあり、総合病院の皮膚科は、その希望にうってつけだった。
しかしそこでは、アトピー性皮膚炎に対して、代替治療の試みをすることはできない。
それには、別の場が必要だった。

一般的に西洋医学の医師は、科学を行使する者という自負心が強い方が多く、「科学的に証明されていない」ものに対しては拒否反応を示されることが多い。
そのクリニックの先生は、アトピー性皮膚炎などに対し、自らは正統な西洋医学的標準治療を行使しつつも、私がそれ以外の試みをすることを認めて下さる方であった。

アトピーに関係ないことまで言うなら、その先生は博識で、以前から私が教えを請いたく思っていた方だった、ということもある。
また、本来人の上に立つべきであろうそんな医師が、大勢の部下のいる大病院よりも、全てを自分でしなければならない開業医の道を選ぶような、日本の医療の現状を、私は驚き憂えていた。いくらかでもその先生の負担を減じる微力になりたいという思いが、さらなる動機となった。


さて、朝から起きて1日働くのは、まして慣れたとはいえ責任重いこの仕事をすることは、ひ弱な私には大事だった。
昼休みにうとうとしていて、看護師さんに「先生、今日はお疲れですか?。」などと言われることもあった。が、「今日は」ではない、疲れはいつものことだったのである。

ただ、緊張して交感神経緊張状態にあるので、仕事中に痒みは大して来ないで済んでいた。
家に帰ってほっとすると、痒かった。夜と夜中は、ずっと痒かった。

仕事の翌日は、子供を見送った後、昼過ぎまでぐっすり眠ってようやく回復した。
夜中は切れ切れにしか眠れないのに、なぜか午前中は数時間連続で眠れるのだった。
(夜間少なく午前中に多いという、コルチゾール(体内で出るステロイドホルモン)分泌の日内変動の影響なのだろう、と推測する。)

この就職をいい機会として、毎夜早く床に着くようにし(夜中に覚醒してしまう分も考えて)、なんとか毎日朝起きて昼に活動する、まともな生活へ移行したい、と計画していた。

ところが、中学に入った子供の帰宅は非常に遅い時間で(必修の勉強のためにほぼ毎日午後7時8時になった)、その後に夕食やくつろぎをとるので、早く寝るのは全く無理だったのである。
通学に時間がかかるため起床も早く、夜だけの睡眠ではどうしても足りなくて、昼寝を含めて2日3日単位で睡眠の帳尻を合わせていく、変則的な生活を続けざるをえない私であった。

電子機器の発達とそれによる生活感覚の変化に従い、文明人の生活は、どんどん夜遅くに延びていく。
抗原ではないけれど、こんな環境要因も、まさしくアレルギーの増加に寄与している原因の1つであろう。
睡眠時間の減少と乱れは、体力を奪い、自律神経やホルモンの調節を乱れさせ、免疫力を低下させる。


そんな睡眠覚醒サイクルの問題点を除けば、私の肌も体も、かなりいい線まできていた。

毎日早めに起床して朝風呂で肌を整え、その後ベットで朝食をとり1時間ほど休んでから、起き出して出かける(出かけなくていい日はそのまま昼寝)。
そういう朝の過ごし方は変わらなかったが、つらさはかなり減じていた。
朝目覚めた時も、一刻も早く風呂へというほどではなく、時に朝の風呂を休んでさえも、大丈夫なくらいになっていた。
入浴中入浴後や、そのあとベッドから出た直後には、あちこちに痒さを感じたり、その一部が膨らんできたりもした。しかし今までに比べたらその程度はずっと軽く、つらいと言うほどではなかった。

子供の頃から、汗をかかず冷え性だったのも、何だかこの頃では様子が違う。
少し体を動かせば、ちゃんと汗が出る。
冷えで悩むようなことはまずなく、人から、「手が暖かい」と言われることさえ、しばしばあるようになってきた。
自律神経の状態も改善しているのだろう。

皮膚の外見は、首や手を含む体の皮膚の赤みやかさつきも大分減り、掻き壊しも小さいもので済むようになってきていた (顔は10年以上前からきれいになっている)。
なんと、長袖ハイネックの服を着ていれば、一見してアトピーとは見えない(!)。
「やった!。」心の中で拳を握りしめて喜んだ。

この告白は実のところ、いくらか決まり悪い。
それまでの病気による自分の外見を恥じていた、という告白でもあるから。
それでも、ほくそ笑まずにいられなかったのが、偽らざる気持ちである。

皮膚を治療する医師が、皮膚病満開の肌でいることは、いわば、「自分はこの皮膚病を治せない」という看板を下げて歩かねばならないようなものだ。
療養前の現役時代、顔の症状が強くて、まぶたが腫れたりもしていたころは、正直言って皮膚科の外来に出るのが憂鬱だった。
拝見した患者の方が、「あの先生もアトピーだよね〜。」と言っていたと、後から人づてに耳にしたこともある。
そんな時には、どうしようもないことだし自分は何も悪くないとどれほど分かってはいても、我が身を恥じ入る情けない気持ちにならずにはいられなかった。

本当は、きれいな肌の医師は別に自分の皮膚病を治したわけではなく、はじめから皮膚病という不運に恵まれなかっただけのことなのだ。
しかし、一般通念的には、「医師は全てを『治す』もの」という感覚が根強くある。
それに従うなら、皮膚科医は完成された理想的な肌をもって、患者の前に登場しなければならないことになる。
さらに患者は、病んだ自分の皮膚がきれいに戻ることを望んで病院に来るのだろう。
その時、医師の荒れた皮膚を目の前にするのでは、確かにがっかりしてしまうかもしれない。
そんなこんなを考えると、「肌のきれいな者の勝ち」は、否定できない現実である。

病とは、重いものだと思う。
快癒しない限り取れない、その重さというものがある。


「思わぬ合併症」の章で書いた、いくつかの全身の症状についても、触れておこう。

まず、起立性低血圧。
これは、ほぼ克服しつつあった。

ふとんから出る時の皮膚の痛みや疼きがなくなったので、起き上がれないとか動けないとかいう悩みはなくなり、自然と活動の度合いが増えた。
それに伴って血流調節機能が改善されたのだろう、今まで悩まされていた症状は影を潜めた。
起きる時の頭や体の重さ、起きている時の頭の重さ、「病人のぼやき」に書いたようなめまい感・焦燥感・鼻の奥が詰まるなどの脳圧の不安定な感じなど、まず感じることはなくなっていた。

過敏性腸症候群の方は、まあまあというところか。

冷たい食べ物や飲み物も、ときには食べられる、食べたいとも思えるようになってきていた。
胃腸の痙攣する感じやそれに伴うげっぷは毎日あり、便通も良いとは言えないけれど、ひどい便秘で苦しんだりすることはなくなっていた。

(仕事を始めてからも、胃腸の調子は次第にさらに改善した。
勤務開始後約2年の現在、げっぷの回数や程度も少なくなり(外出続きなどで疲れたときは強くなってしばらく続いたが)、便通も、適度な硬さで1〜3日に1回以上自然に出るまでになっている。)

体力もましになった。

通勤で歩いたり、買い物で自転車に乗ったり、カイロプラクティックのトレーニングをしたりという日常の動作で、少しは筋肉を使うようになったからと思う。
病中に始めた、週1回の短時間の筋トレも、続けるようにしていた。

スポーツを楽しむ、というところまでは、残念ながらまだいけていない。
以前のように動けなくはないのだが、すぐ疲れたり、汗をかいてくると予測不能に痒くなったりするので、楽しいというよりは不安に感じてしまう。
なまった体には、急な激しい動きの連続は、いまだ荷が重いようであった。


アトピーにばかりかまけている間に、気付けば私ももう立派な中年の年代だった。
数年前、寝たり起きたりの生活からようやく歩くようになり出した頃、左膝が突然痛んで、はじめて老化というものを意識したことがある。
体というものは、使わなければ、より早く衰えていく。
一病息災であるために、努力しなくてはならない。

その懸念の通りに、早速、生活習慣病への心配も出てきた。
社会復帰してから、じわじわと体重が増加し始めた。
家だけにいたときと、食べるものが変わる傾向が出てきたからだ。
社会復帰の弊害とでも言うべきだろうか。

外によく出るようになって、今の日本には、なんと飽食の誘惑が多いことか、と驚いている。
そこにもここにも、脂肪や糖分の多い、甘美な味覚の食品が溢れる。
それらを宣伝するコマーシャリズムもすさまじい。
人付き合いをしていれば、人に合わせて食べることも必要になる。
自主性の出てきた子供の嗜好も無視できない。
社会活動で疲れたあとは、節制する気力も薄れる。
帰宅の遅い生活では、寝る直前の遅い時間に飲食をすることになる。

幾つもの要因が、食の不摂生へ、体重増加へと手招きする。
飢えもない国の民の、まことに贅沢専横な悩みだ。
我ながら愚かと思うが、聖人君子にはなれないことをどうしようもない。

自分で決められる時はなるべく、「まごはやさしい*」の食事を心がけてはいる。
しかし、肉も、乳製品も、脂ものも、甘いものも食べたくなるし、大人は大人の、子供は子供の好きなものも食べたい。
ついでに告白すると、働き始めてから、料理もろくにしていない。
手がひどく荒れるし、不器用なのか、一食作ることにエネルギーを著しく取られ、他の活動に差し支えてしまうのだ。

そんな言い訳だらけの生活でも、知っていることや考えていることに意味はあるのだろう、と思っている。
知識もなく無頓着だった病前の頃と比べたら、ましな食べ方になっているはずだ。

*ちなみに、「まごはやさしい」とは、体に良い食品の覚え方で、
「ま」まめ、「ご」ごま、「は」わかめ(海草)、「や」やさい、「さ」さかな、「し」しいたけ(きのこ)、「い」いも、
の頭文字をつなげたものである。
つい最近、この「まごはやさしい」を、勝手に「まごにはやさしい」に変えて、肉を追加して書いている広告を見つけ、開いた口が塞がらなかった。
・・まったく、油断も隙もない世の中である。


食に関して、ひとつ後日談を追加しておく。
「いろいろな所へ」の章で、家の米を未精製米(分づき米)にしたと書いた。
これは4年くらい続けて、挫折してしまった。


その理由は、
夏場、米びつに保存しているうちに、虫が湧いたりかび臭くなったりしてしまったこと。
食べていて、腹持ちがいいのではなく、もしかして不消化でもたれているのではないか、という気がしてきたこと。(未精製食品はより複雑で多くの成分を含むので、それがアレルギーや消化不良の原因となる可能性がある)。
白米の味を好しとする家族の声が、終始強かったこと。
であった。

なるべく自然な食べ物を、と思っても、裏目に出てしまうことも、現代の生活様式に合わないこともある。
何が健康にいいかは、ほんとうに一筋縄では語れないと思う。


さて、このように食べ物がいくらか変わっても、実際のところ、私のアトピーが悪化することはなかった。
他の悪化要因はどうだったろう、そう、ストレスも重要な悪化要因のひとつである。
精神的ストレス、肉体的ストレス。
社会に出るとストレスが増え、それでアトピーを悪化させる患者は少なくない。
これも、心配したが、蓋を開けてみたら案外と平気だった。

仕事の肉体的ストレスに対しては、充分な睡眠時間をとること、自分の容量を超えて働き過ぎないこと、で対処した。

精神的ストレスは、意外なことに適度で、不快に感じることはなかった。
仕事で出会う、どんな人のどんな言動に対しても、「そんなこともあるか」と眺めている自分がいて、「やれやれ」とは思っても、不思議と腹が立ってはこなかった。
こんな感じは、初めてである。
多くの苦渋をなめた十余年の日々は、無駄ではなかったのだろう。いろいろな人のいろいろな立場に、思いが及ぶようになったのだと思う。
それに加えて、ただこうして働き、人と接していられることを嬉しく思う気持ちが、常に強くあり、不満を唱えるような気持ちにはなれなかったのである。


薬と名のつくものは、大して使わないままでいる。
抗ヒスタミン剤(や抗アレルギー剤)も、ずっと飲んでいない。
手と冬場の足は、かさつきが強く、保湿剤(白色ワセリン、ザーネ軟膏)をしょっちゅうつけてはいる。他の場所は何もつけていない。

手の指の腹や、手の甲の手首近くは、よく荒れて痒くなった。
手を洗うことが多い仕事であったり、自分の体を洗うのにナイロンタオルなどを使わず手ですることなどが誘因なのだろう、しかたないと思っている。
足の湿疹はなぜだかその冬いやに悪化した。
これは意外と痒みがひどく手強くて、とうとう耐えきれずに、十何年か振りにステロイド外用剤(強さの5ランクのうち3番目のもの)を2回だけ使った。


その他に治療として、1〜2か月に一度ほどのカイロプラクティック治療は受け続けている。あともう1つ、代替療法を受けている。
後者は「肌色の皮膚に」でふれた、私のアレルギーの状態を診断した治療家との出会いから、始まったものだ。
それは、大変手間と時間のかかる治療で、評価がしにくいのだが、どうやら紆余曲折を経て、私の皮膚・胃腸・膀胱などの症状に対して貢献しているようである。

含みのある記載になっていて申し訳がない。
こうして自分の経過を書き続けている中で、自分の経過に影響している可能性がある全ての治療にふれざるをえないのだが、この治療については、治療法の具体名や内容の詳細を書くことは、控えさせてもらいたいと思う。
私はこのサイトを治療法の紹介の場にはしたくない。あくまでも、患者であることについて、語る場にしていたい。
まことに勝手なお願いだと承知しているが、どうか曲げてお許しを頂きたい。


さて、勤務1年目の冬は、肌の乾燥がひどく、かなり苦しい思いをした。(「冬の日々」) それでも、仕事を断念するほどには、ならずに済んだ。
開始当初は週2日、半年後からクリニックを1日増やして計週3日の通勤となったが、子供の病気で1日休んだ以外、今のところ全ての勤務日を通い遂げている。
間の日々に、時折学会などに勉強に行くことも、それほど無理をしないでもできるようになってきた。

1年目には、仕事から帰宅すると一気に痒くなり、洗濯物を干す気力さえなく、早々にベッドに転がり込む日も、しばしばあった。しかしそれも、次第に減っていった。

起きてから夕方までは、発作的な強い痒みが来ることは、ほとんどなくなっていた。
朝起きた時、昨夜掻いた所がうずいたり、時々どこかが、ぽつりぽつりと小さく膨れたり、ほっとしたときに、かさついた所がむずむずしてくるなど、少し掻けば治まる程度の痒さが主体だった。

夕食後や寝る前になると、決まったように、腕・下肢・体に順繰りに痒みが来た。
ふとんに入れば、首以下の全身が痒かった。
どこと言わず掻きまくって30分から1時間、いつとは知らずうとうとする。
だが、ほとんど2時間以内に、また目が覚めた。
一晩に3回以上、痒みで目が覚め、なぜか痒くなると、しばしば連動するように尿意も感じ、トイレに起きることになり、それが余計に眠りを妨げた。
痒い所は大小にぶつぶつと膨らんでいるのが、掻く指先に触れた(これらはみな、朝には退いていた)。
叫び出したくなるほど痒いことも、何度かあり、実際(家族を起こさないように)小声で叫んだこともある。
それでも、朝の目覚めはわりあいすっきりしていて、寝た時間なりの疲れは取れるくらいになっていた。

まだまだ辛い部分も確かにあったのだ。
しかし、今までの生活に比べたら、ずっと私は幸せで、私はそのことに満足していた。


病院通いに伴い、時々血液検査をしてみることにした。
勤務1年半後の値で、IgE:1800 IU/ml (正常値170以下)、好酸球:5.2% (0.0-8.0)、LDH:213 IU/l (120-240)。いずれの値も低下していた。
限界まで増えていた好酸球が、正常値に復す、そんな日を迎えることができるとは、思ってもいなかった。
私のアトピーは、客観的にも改善していたのである。
(その後冬期には値はまた上昇したが、もちろん著しくはなかった。)

ゆっくりと、肌は潤いを増し、きめの粗さを修正し、赤みが薄れ、次第次第に正常な皮膚に近付いていた。
働き始めて2年が経った今、首のかさつきやしわしわの程度もかなり軽くなり、手の甲は、患者の目から隠す心配をほとんどしなくてもいい程度になった。
家の中に掻いた皮膚の粉が落ちる程度も、かなり減り、そのために慌てて掃除をしなければならないようではなくなった。落ちる粉も、径1mm以下とごく小さい。

さらに努力して、我が身を癒していかなければならない。
自分が病んでいては、人を治す力も、出せるものではない。
そして、重症アトピーでも、重症アレルギー患者でも、ステロイドに依存するのでなく治っていける方策を探りつつ、それが可能であるということの証明に、自らがなれたらいいなあ、と思う。


・・悪化から、13年8カ月が経過。

           





次章:働きながら へ
前章:肌色の皮膚に へ

トップページへ