いろいろな所へ   



自分の行きたい所へ行けるというのは何と素晴らしいことだろう。


一日の内で、午後遅くからではあるが、1〜2カ月に一回くらい、車で片道1〜2時間程度の遠出ができるようになった。

学会や講演会の他、娘と遊園地に行くなどという夢のようだったことも実現した。
どこへ遊びにつれていってももらえなかった娘に、ようやく人並みのことがしてやれると思った。

座って動かず他のことに気を向けるというとても難しかったことも、手の届く範囲になった。
プラネタリウムや舞台を見に行った。翌年の春には映画館にも行けるようになった。

通信販売ばかりだった衣服の買い物だが、デパートに行って買うということを何年振りかでした。試着ができることが嬉しかった。

とはいえ、時間の早い昼間にしか行けず、気候の変化をそのまま受ける屋外は、まだ厳しかった。
秋の天気の良い日に市内の大きな公園に行ったが、1時間半ほど過ごしただけでひどく疲れて、2度と行く気にならなかった。
(再び行ったのはそれから2年後である)

なかでも大きな出来事は美容院に行けるようになったことといったら笑われるだろうか。

髪を切るには1〜2時間じっとしていなければならない。
タオル越しでも首に巻き付けるシートや切り落ちた髪の毛は痒みを誘う。
覆われたシートの中で身体のあちこちがむれて痒くなる。
観劇なら暗くて人から余り見えないが、美容院は明るく鏡もあり、ぼりぼり掻くことはできない。

実に悪化して以来5年半にも渡って、美容院にはご無沙汰だった。伸びる髪は仕方がなく自分で束を掴みばっさりと切っていた。


ほとんど滲出はしなくなっていた肌が、じくじくしたことが一度ある。
ズボンをはいたら、その中の足がほどなく痒くてたまらなくなってきたのだ。

どうしたのだろう。
しばらく我慢していたが、耐え切れず別のズボンに履き替えたら治まった。
どうやら衣服に残った洗剤のためだったらしい。
鼻を近付けて嗅ぐと洗剤の匂いがするのだ。

時折来て家事を手伝ってくれている叔母が入れた洗剤の量が多かったようだ。
といっても叔母も私の肌の状態を良く知っているので、いつも表示されている量の半分も使っていない。
その日手がすべって多く入ったかどうかは知る由もないが、それでも恐らく少し多めだった程度だろう。

叔母が、「敏感なのねー。」と驚いていたが、私もそう思う。
テレビドラマなどで、無造作に2杯も3杯も洗剤をすくって洗濯機に入れている姿を見るとぞっとする。

それ以来合成洗剤が恐くて使う気になれず、石鹸に切り替えた。
石鹸なら大丈夫というわけでもないので、それもごく使用量を抑えて。
水洗いだけでもかなり汚れは落ちる。
染みになっているところはあらかじめ洗剤や漂白剤でポイント洗いをすることにした。これなら充分すすぐことができる。

弱い私の肌が反応しやすいのは確かだが、商品を売る側はどうしても沢山売れる方がいいので必要量を多めに設定したり必要性を過剰に強調しがちな宿命があるだろう。
消費者は鵜呑みにしないで常に自分で判断する力を持たなくてはならない。


増えた外出などに紛れてはいたが、家族を失った淋しさはやはり尾を引いていた。

その冬は、朝起きるのがつらくて仕方がなかった。
昼寝から起きていよいよ一日の活動を開始する時、まだかさぶたのでききっていない皮膚は、冬場の乾燥で耐え難く痛む。
それがいつになくこたえた。

語らいともに時を過ごし、気を紛らせたり気力を与えたりしてくれる家族の存在の大きさを痛感した。

とはいえ時は戻せない。
私は娘を守って生きて行かなければならない。
身体のつらさで積極的に何をする気も起きない。それでもいい。
この冬は、生き延びることを一番の目標にしよう。
そう思って過ごした冬だった。


春の訪れと共に少し気力も出てきて、家のことの他に勉強などをして過ごすようになる。

その春には、朝食を改善した。

幕内忠夫氏の「粗食のすすめ」を読んで以来、朝のパン食が気になっていた。
精製した小麦で栄養に乏しく、代わりに油脂や糖分を採ってしまうことになる。
まさにその通りと思いながら買ってきて焼くだけの利便性に負けて続けていた。

もともと低血圧の強い私は、どう頑張っても朝からご飯・味噌汁・焼き魚・漬け物のフルコースを食べるなどという芸当ができない。
しかしおにぎりだけなら、なんとか食べられる。
冷凍で作り置きもできるので、続けられるのではと思い付いた。

同時に白米から未精製米への移行に挑戦することにした。
玄米が理想なのだろうが、炊くのが大変だし、アレルギー体質の者には負担が掛かり過ぎる場合もあるともいう。何事も無理や一足飛びは良くない。
食べ物に困った世代の叔母には、銀シャリへのこだわりも強い。

七分づき米を混ぜることからはじめて、五分づき米と七分づき米を半々に混ぜる所に落ち着いた。それに雑穀米の詰め合わせを少量混ぜている。
はじめは見かけに驚くが、味に深みが出ておいしい。腹持ちも確かにずっと良い。


夏には、電車に乗れるようになった。
以後だんだん車より電車や歩きでの外出を増やすようにしていく。

歩き出すと、体力と筋肉の衰えを実感する。といって、まだ運動すると少しで痒くてどうにもならなくなる。
少しずつ歩く機会を増やすとともに、家で体調をみながら少しばかりの腹筋などの筋力トレーニングをはじめることにした。

改めてふくらはぎなどを触ってみると、哀れなくらいに筋肉が痩せ細って薄くなっている。お腹はふくらみ脂肪ばかりが厚い。
長い非活動的な生活による身体の衰えは顕著だった。
これからも生き続けていくためには、少しずつでも筋肉を取り戻さなくては。老いへ向かう中年であれば尚さらだ。
すぐ具合悪くなる身体をだましだまし動かす。

子供の頃から、じっと座って考え込むのが好きで、運動は大の苦手だった。
その身体を動かすのおっくうがる性質が代謝を低下させ、ここまで病気を悪化させる要因のひとつとなったことは想像に難くない。
大学時代運動部にいた頃はまがりなりにも小康状態を保っていたことからもその影響は推測できる。

運動のセンスがあり上手な人や、まめに動く好奇心旺盛な人が羨ましい。
それとも私がただの怠け者なのだろうか。
情けないことだ。


発疹の悪化は、大雑把にいって、身体の上から下へ向かっていく傾向があるようだ。

身体の中での機能的重要性の優先順位に基づいて、顔面頭部は血流が良く、四肢末梢は血流が悪い。
皮膚科で尋常性幹癬の患者さんに光線療法を行なう際、下肢の発疹の回復が他より遅れるということをよく経験する。

私の発疹は手のひら足の裏の大半を除く首の下全部であったが、この頃には上半身の痒みはいささか楽になり、代わって腰以下の痒みが手に負えないものになっていた。

困ったことには、会陰部の皮膚に触刺激を加えると、膀胱内容積が少なくても骨盤神経の活動が増加して膀胱が収縮してしまう(体性−内臓反射)。
このため、股やお尻が痒くなる度に尿意を催しがちになり、排尿が瀕回になるようになってしまった。
これも合併症ともいえるだろうか。笑えない話であるが。
この症状が続いて今では膀胱の容量が少なくなってしまったようだ。
またいずれ回復する日もあるだろうと思っているが、思わぬ不便ではある。


また、外出するようになって以来ずっとなのだが、レストランなどのビニール掛けの椅子がとても苦手である。ひどく蒸れるのだ。
太ももとお尻は座って10分としない内に湿って火照り、痒くなる。
せっかくの楽しい時間も苦痛になってしまう。
最近はホテルでさえ布張りの椅子は減った。万事効率が大事な世の中なのだろう。

皮膚の状態の改善に従い痒みの程度は減っては来ているが、まだまだである。
対策として、小さい座布団持参で店に入ったりもした。
しかしこれも格好が悪いので、脱いだ上着を、皺になるのも構わずお尻の下に敷いたりしている。


アトピー性皮膚炎だと、皮疹の外観上の問題にとどまらず、外見が二の次になってしまうことが少なくない。
綿の縫い目などの当たらぬ服しか着れなかったり、アクセサリーも付けられなかったり、化粧品や香水が使えなかったり。

外見を整えられないということで、やはり社会人として欠陥のある人間のように自分を感じてしまわざるを得ない時もある。


とはいえ好ましい変化も訪れる。その年の冬には、正座ができるようになった。
と言うと、今までできなかったの?と思われるかも知れないが、そう、できなかったのだ。

アトピー性皮膚炎が爆発して以来、膝の裏の皮膚はつっぱり、伸ばすとそこら中の傷が引き伸ばされて痛くてたまらず、とてもまっすぐになるまで伸ばすことなどできなかった。
歩く時はいつも、膝を少し曲げた状態で足を運んでいた。
曲げるのもまた折り重なった皮膚の傷がびりびりと痛み、完全に曲げようとしても途中で身体が飛び退いてしまう。従って正座はできなかった。

長い経過で毎日眺めている皮膚は改善を認めにくいが、こうした変化で確実な前進を確かめることができる。
続ける気力を生むための自分への励ましとなるので、重要だ。

正座をしていると早晩膝の裏が蒸れて痒くなってくる。
子供の頃からこれがあって正座は苦手で、いくらもできない。
皮膚がよりつっぱるはずの冬にできるようになったのは、蒸れにくい季節だったからということもあるだろう。

長年の横座りのためだろう骨盤の歪みをカイロプラクティックで診断され治療も受けているので、そのためにも少しでも正座ができるようになったのはいいことだった。


足の動きに苦痛が少なくなったので、自転車を買った。
社会人になって車を買って以来、縁遠くなっていた。
これで車の代わりに身体を使って行ける機会を増やすことができる。


・・悪化から、8年2カ月が経過。







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