肌色の皮膚に   



皮膚の方の変化は、相変わらず時の経過とともに、少しずつ肌理の荒さと硬さが改善され、しわが浅くなって行く様子だった。


人目に見える場所で言えば、首は少ししわしわで茶色く、手の甲は肌理が荒く少し腫れぼったくて、白く粉を吹いたり、時によって赤みが目立ったりする。
しかし多分、もう人に気持ち悪がられる心配をしなければいけないほどではなかった。

ただし全身脱いだ時には、鏡を見る気になる皮膚ではなく、服の保護がなくなると皮膚がぴりぴりしてくるので、そそくさと風呂に入るのには変わりなかった。

風呂に入った時の紫紅色の赤みは下半身に部分的に残り、軽度の色素沈着を伴った肌色の所が多くなってきた。


最も変化を感じたのは、今まで手で触れていつも硬くざらついた感触であった皮膚が、この頃始めて、触れて柔らかくしっとりと吸い付くような感じになったことである。

これには驚いた。そして嬉しかった。
表面はまだかさついていても、その奥の皮膚の大半が、本来の質感を取り戻しかけているということだろう。


昼寝から目覚めた時にまた痒みの波が来るということは、この頃ではもうめったになくなっていた。

昼間起きている内で、発作的に痒くなる時はやはりあったが、それは1日1-2回に減っていた。
大概夕方、お腹が空いてきた頃である。
持続時間も短くなり、20分も30分も痒いままということはまずなくなった。

痒い所は表面がかさついていて、掻くと白い粉が雪のように降る。

でもその雪も、径1mmくらいの、小さいものになってきた。


夜はやっぱりあちこちがぶつぶつ膨らんできて、痒かった。
一晩に3度は痒みで起き、およそ20-30分、痒みが治まるまで掻きまくった。

臀部の下の発疹と痒みが一番ひどく、えぐるように掻くこともよくあった(翌日は、痛みでへっぴり腰になる)。
その度尿意を感じてトイレに行くので、深い睡眠はとれない。
レム睡眠の度に、目が覚めてしまうようで、続けて眠れるのは、長くて3時間余りだった。

疲れを取るはずの夜の時間に、逆に新しい疲れを作っているようで、何とも皮肉な感じがした。

こうしたことがまた、昼寝の必要性を作ってしまうのだろう。
夜間の睡眠の不足を、昼寝で帳尻を合わせる生活からは、まだまだ抜け出せそうになかった。


それでも、4月の新年度には、思いきって通学を週4回に増やしてみた。
むろん「果たして勤まるだろうか?」という不安は感じながらだったが、でも秋には、そのうち一つが修了して、週3回になる。その他に日曜日は適宜。
これぐらいなら、きっとなんとかなるだろう。
次なる挑戦であった。

結果から言うと、通いきることができた。
ただし、6月に体調を崩した。
教室に冷房が入り、体が冷えるようになったのがきっかけだった。

実は、前年に通学をしはじめてから、昼間にも頻尿が強くなっていた。
朝目覚めてトイレに行き、家を出る時しても駅でまた行きたくなり、学校に着いてまた授業前に行く。

朝のまだ落ち着いていない肌が、動くことで痒みや痛みを強くし、その刺激がおそらく体性内臓反射で膀胱を動かす神経を刺激する。
それに、「起きなければいけない、きちんと授業に出なければいけない」という精神の緊張が加わる。
それですぐトイレに行きたくなる。

病気の心的な意味について語る、「病気が教えてくれる、病気の治し方」という本によると、排尿は、心を解放する行為であるらしい。
痒みや精神緊張のストレスを、膀胱が懸命に解放しようとしているということか。


そんな訳で、授業中トイレに行きたくなるのが心配で、知らず知らず水分摂取を控えるようになってしまっていたようだ。
それに4月以来の(私にしては)ハードなスケジュールと冷えが加わって・・・発症したのは、膀胱炎だった。

じりじりとした尿路の不快感でどうにもいたたまれない夜があり、これは抗生物質を飲むより手はないかと観念した。
家族のことではなく、私自身のことで病院を受診しようと思ったのは、実に7年半振り、アトピーのために漢方の煎じ薬を処方してもらっていたとき以来であった。

悪い患者で、痛みに耐えかねてとりあえず手持ちの抗生物質を飲み始めてから受診してしまったので、結局尿培養で細菌は検出されなかったのだが、尿の所見はやはり膀胱炎と考えられるものであった。

膀胱炎の場合、半端な抗生物質の飲み方はかえって耐性菌の発生を誘導して腎盂腎炎にも至りかねないので、一定期間きっちりと飲み続けなければならないとされている。
1週間内服した後、無事尿所見がきれいになったので、治療を終了した。

ところが、事はこれだけで済まなかったのである。


抗生物質は腸内の常在菌もやっつけてしまう。
そのために、一番アトピーがひどくて体が弱っていた頃には、(皮膚が細菌で化膿した時)2日も飲むと下痢になって、消化のいいものしか食べられなくなった。
それを心配して、今回の内服時は始めから自分で乳酸菌製剤を併用するようにしてはいたのだが・・。

さいわい下痢には全くならず、やれやれ助かったと思ったのもつかの間、その後、何だかおかしいと感じ始めた。
便が、あまり出ていないのである。
そう、下痢ではなく、便秘になっていたのだ。


大腸というものは、便がそこにいる間は水分を吸収し続けるので、出ないのが長引くほど便は硬くなり、さらに出にくくなる。
溜り続けて、先端の一部が僅かずつしか外に出ない状態で、固定してしまった。

大変な便秘であった。
なんと1か月半以上に渡って、ろくに出ない状態が続いたのだ。
腸がはち切れやしないかと心配したのだが、その割にはさほどお腹もふくれて来ず、張った感じや痛みもないのだった。
よほど腸が弛緩していたのであろう。

もともと過敏性腸症候群があって腸の蠕動が不充分であったところへ、腸内善玉菌の死滅が、だめ押しをしてしまったようだった。

この間、策に詰まって、今までよく使っていた医薬品の乳酸菌製剤以外に、市販の製剤も視野に入れてみた。
市販薬は医薬品より自由度が大きく、厳しい市場にさらされているので、時代に対応して素早く貪欲に変化する。
たまに見てみると、驚くほど進化していたりして、面白いものだ。

その市販品で、乳酸菌のみならず、オリゴ糖、酵素、カルシウムなど、腸にいいと言われるものが片端から配合してあり、味も良く飲みやすいものを見つけたので、それを飲み続けてみることにした。

それでも、一度詰まってしまった状態の悪循環から抜け出せるほどの徴候はなかった。
やむを得ず、一度は浣腸も使ってみた。しかし、硬く溜まりすぎていて、出ては来なかった。


とうとう開通したのは、夏休みに海水浴(私は泳いでいないけど)のために一泊旅行に行ったときである。

海に出た後の昼食はなぜだかとてもお腹が空いて、いつもは小食の私がお腹いっぱいに食べた。
デザートにスイカも食べ、その後散歩に出たら、今までになく腸が動き始めたのを感じ、翌日、詰まっていたものが一掃された。

田舎の自然と空気と太陽と海風が、腸に自然な動きを取り戻させてくれたのだった。


この一泊旅行については、「海水浴」ですでにご覧頂いている。
これは、私のアトピーが悪化して動くこともままならなくなって以来、始めての、記念すべき泊まりがけの旅行であった。

とても自信がなくて断ろうとする私を、さりげなく促して下さり、朝風呂とその後1時間布団で休むことが絶対必要、という我が儘な要求にも、快く応じて下さった、優しい方のお陰でこの旅行は実現した。
とても感謝している。

結果として、心配したアレルギー症状の悪化も何ら起こることなく

(蚊取り線香の煙ーやはり昨夏感じた口腔の痺れは、除虫菊にではなく、配合されている何らかの化学成分に対する反応であったのか?。

 旅行先の猫ー12年くらい前猫を飼っている友人宅に時々行っていた頃に、猫アレルギーでくしゃみが出るようになった。ここの猫は去勢されているから大丈夫だったのかもしれない(その方が教えて下さった)。あるいはひょっとしたら、長いこと猫に接することなくいるうちに、耐性を獲得したのかもしれない?。いつか機会があったら猫皮屑のIgE RASTも調べてみよう。)、

とても楽しい旅行をさせてもらった。
もちろん帰って来て2−3日は疲れで泥のようになっていたけれど、それでも皮膚は悪化せず、むしろ1ランク良くなった。
自然の力とは、やはり偉大だと思った経験だった。


そして例年悪化が始まる11月を迎える。

今年はかさつきがひどかった。
寒さと空気の乾燥の到来が例年より早いような気がして、室内の湿度計を見ると、すでに30%くらいまで低下していた。
(前にも書いたと思うが、私の住む地域は冬期は風が強く乾燥が激しい気候である。)

いつもは真冬になってから出す加湿器を早々と出して稼働させた。

そしてこの時期私のもうひとつのお守りである、アボカドを。
アボカドは、脂質・ビタミンB群・C・A・E・スクワレンなどを豊富に含み、皮膚の潤いを保つ作用があるという情報を得てから、皮膚の乾燥が気になり出すと食べることにしている。

食べる量はといえば、1回1/2個で、多くて週に1−2回。
食物の健康効果を紹介する人は、量も回数も沢山食べないと効かないようなことをよく言うけれど、そういう考え方は私にはとても賢明とは思えない。
多種類のものを少しずつ食べるのが、益作用を享受しつつ、害作用をできるだけ受けずに済む、賢明な食べ方だと私は思っている。

現代では、食物それ自身の成分のみではなく、その食物が含んでいる可能性のある、農薬や汚染の蓄積さえ考慮に入れなければならないのだから、何かを食べるということは、良いものだけでなく悪いものも同時に取り込んでいる可能性がつねにある。

さらに、一つのものを集中的に食べ続けると、それに感作されてアレルギーを起こすようになることがある。
いわゆるアレルギー体質の人では、このことはより起こりやすいと思われるから、要注意だ。

アボカドは、古来日本人が食べてきた、日本人の胃腸や体になじんだ食物ではない、外来性の野菜である。
近年有名なラテックスフルーツ症候群のアレルギーの原因となっている果物や野菜にも、外来性のものが多く含まれ、その中にアボカドも入っていることを付記しておく。


加えて、過敏性腸症候群。
夏に比べて冬になると、体の代謝や活動性が自然に低くなる。
寒くなっていく気候と共に、いつの間にかまた便秘が進行していた。

以前に比べれば外出もして歩くことも増えているし、乳酸菌製剤も飲み続けているので大丈夫と思っていたのだが、夏の悪化の影響はまだ残っていたらしい。

12月半ば、おから・ごぼう・ふきを夕食に、次の日野菜サンドを昼食に、と強力な繊維質の食事が続いた後、強い便意を感じ、トイレに行った。
ところが、なぜだかいきんでも出てこない。

どうしたのかと思ったら、なんといつの間にか溜ったものが、肛門を通り抜けられないほどの大きな塊になってしまっていたのだった。
ちょっと恥ずかしい話だが、看護行為である摘便という技も使って四苦八苦で、2、3回かかって何とか出したのである。

その後の冬の間、そこそこの状態で維持できたのは全く幸いであった。


皮膚はかさつきは結局冬の間中ひどかった。

家にいる時は、ぴりぴりする腰をさすったり、背中を掻いたり、と、しょっちゅう服の中に手を入れていた。


けれどもその割にこの年は、例年のように活動の範囲は落ちることはなかった。午前中の用事でも、行きたいものは行けた。
皮膚に底力がついてきたということなのだろうと思い、ひとりほくそ笑んでいた。


2月に、かなり前から抱いていた希望が駄目になるという、私にとって相当ショックな出来事があった。

その時、頻尿が非常にひどくなった。
体に与えるストレスの影響というのは、本当に馬鹿にならないものだ。
悲しくて悲しくて、気持ちが全く落ち着かなかった。
トイレに行ったばかりなのに、またすぐ行きたくなった。

再び泌尿器科を受診して、漢方薬を処方された。
医師の落ち着いたおおらかな態度、薬の効果、時間の経過に救われて、頻尿はこの時をピークに、どうやら下降線に入ったのである。


病院に行った機会に、何年振りかでアレルギーの血液検査をした。
IgE:3200 IU/ml (正常値170以下)、好酸球:10.6% (0.0-8.0)、皮膚の代謝の激しさを反映するLDH:270 IU/l (120-240)

過去に測定した最大値がそれぞれ、20120、25.5、741(増えるばかりの値を見るのが怖くなって測るのをやめてしまったから、この後もっと上がっていたかもしれない)だから、ずいぶんと回復したものだ。
これらはほぼ、症状の爆発の前の値である。

(測定して下さった医師には、「かなりアレルギーがひどいですね」と言われたが、前値をご存じないのだから、無理もない。私にとってはむしろ、正常値に戻ったのを見るような思いだった。)

「もう一生戻れないかも」と絶望し、それでも「そんなことはない、戻るのだ」と渇望した値である。
よくぞここまで来た。

ひどいアトピーも、ここまで良くなるのだ。そう、それも、ステロイドもタクロリムス(プロトピック)も放棄しても。
本当にいい経験をさせてもらったと改めて思っている。

そして、これ以上まだ良くなるのだろうか?。
私の平常値が、普通の人の正常値にもっと近づくことはあるのか?。
これからが楽しみである。


そしてとうとう念願だった遠出をした。
もう、慌てて家に帰らなければ皮膚のエネルギーが切れてしまう、シンデレラ(それともウルトラマン?)ではない。

2月には、10年以上振りに新幹線に乗り、日帰りで関西まで行ってきた。
3月には、ホテルに泊まる3泊4日の旅行を決行した。
お陰さまで、いずれも無事に行って帰って来れた。

共同浴場はまだ無理で、ホテルでは、自室の浴槽で朝入浴して、その後ベッドで1時間休んでから朝食に出かけた。
夜は早々に食事を済ませて、床に入った。
それ以外は、毎日朝から起き出して、普通に過ごしたのである。
疲れと寝不足の分は、帰って来てから2-3日休んで、取り返した。


この3月には、さらに回復を促すできごとがあった。

私は5年来カイロプラクティックの治療を受け続けているのだが、そのカイロプラクティックの縁で、2人の新しい治療家にこの月出会い、治療を受ける機会を得た。

2人とも、カイロプラクティックに関連した(あるいはそれから発展した)、ある治療法(それぞれ別の治療法であるが、どちらも、体のエネルギーバランスを整えるという考えのものである)に習熟したカイロプラクターである。


その1人は、私の「副腎に炎症がある」と指摘し、もう1人は、私に「強い自律神経系の失調と、多品目(小麦・砂糖・卵・カルシウム・ビタミンA・B・Cなど)へのアレルギーがある(いわゆる「隠れ型アレルギー」に相当するものだろう)」と診断した。


診断の手段はいずれも筋力テスト(O-リングテストに類したものと考えていただけばよい)であった。
手技療法の世界ではこのテストは非常に強力な道具であるようだ。

ただし見よう見まねでいきなりしようと思っても駄目で、正しい結果が出せるためには、充分な専門的知識とトレーニングが必要なものだということが、どの場合も共通しているようである。

この種の検査は一般的には、「科学的でない」と言下に否定する人が多いだろうが、私はそうは思わない。
科学的に行える検査で、突き止められない人体の問題は、現在でも非常に沢山ある。

実際、アレルギー診療において、原因物質を正確に診断する手段といったら、未だに、その物質を人体に投与して反応が出るかどうかを見ることしかないのだ。

それでも、その物質が原因になっている(あるいは原因になっていない)という真理は、厳然としてそこにあるはずなのである。
真理がそこにあるのなら、それを突き止める手段もどこかにあっていいはずではないだろうか。

私たちがまだそれを知らないだけで。
人知の及ぶ範囲など、本当に限られたものだ。
それなのに人間は、自分たちが地球上で最も知的な生物であるという誇りから、自分たちの知らない、理解しえないものは一切否定しようとする傾向がある。

病気の原因や状態を、高い確率で突き止められる手段があるのなら、どうして分かるのかというその機序や理由は説明できなくとも、遠慮なくそれを使わせてもらうがいいのではないか、と私は思う。
筋力テストは、そういう一つの手段である可能性がある。


実際彼らはその方法で、治療成果を挙げているのだ。
私の診断も、非常に納得できるものであった。

私の体に強いアレルギーがあるということは、今までずっと悩んできたこの体調の悪さ・私のひ弱さに、明確な回答を与えてくれるものであった。

「他の人は普通にできることが、なぜ私にはできないのか?。」という、ずっとずっと抱き続けてきた疑問だ。


そうして、治療の後、実際に体調が上向いたのだ。

過敏性腸症候群の症状が和らぎ(お腹の張り方が少なくなった)、体の活力が増した(充分眠りさえすれば、体がだるくてつらくなることはあまりなくなった)。
毎日腸のために飲んでいた乳酸菌製剤と、頻尿のために飲んでいた漢方薬が、要らなくなった。


そして何より皮膚が良くなった。

(痛みや痒みを気にせずいられることが多くなった。
症状の強い所の皮膚のしわが目に見えて浅くなり、赤みや腫れのしつこかった部分も和らいで、露出するので今まで人目を気にしていた手の甲が、一見して正常のように見えるくらいにまでなった。
入浴するとき、立ち止まっていったん自分の体を鏡で眺める気が始めてするようになった。)


非常に興味深いので、これらの治療も、これから少しずつ学んで行こうと思っている私である。





そして転機が訪れる。
実は、縁あってこの4月から、ある病院の皮膚科で週に1回、働くことになった。

念願の社会復帰(!)である。


とはいっても、実際の所そうめでたくもない。
週の他の日は、別の先生が診療しているところである。
きっと「標準的な治療」をしなくてはならないのだろう。

ミイラ取りがミイラになりに行くような気分がする。
私は標準的治療に取り込まれてしまうのだろうか・・?。


しかし、それでも、私は始めてみようと思う。

まずは、錆び付いてしまったであろう皮膚科の勘を取り戻さなくてはならない。
その上で、自分の体を仕事に馴らし、回復させていかなくてはならない。

いずれは自分で采配する道を探って行くべきだろうが、今はまだ時期尚早である。
一歩ずつ進むしかない。


ただし、他の曜日で、カイロプラクティックの診療をしていこうと思っている。




最後に娘の経過を少し書いておく。

早いもので今年小学校を卒業して、4月からは中学生である。

アトピーはかなりいい。
皮疹が目立つのは、膝の裏くらい。
肘の内側も、鎖骨の部分も、ぱっと見ではそれと思わないくらいになった。
顔は、ときに上まぶたを痒がるが、皮疹はない。

小2くらいまでの写真と比べると、顔の部分ごとの輪郭がくっきりしていて、全く違う鋭く端正な顔つきになっている。
アトピーは人の顔を変えてしまうなあ、とほんとに思う。

夜寝る前などはやはり痒がるが、大したことはない。
夜中も時に痒がるが、目覚めきらない程度である。
学年が進んで、生活も忙しくなってきた割には悪化もなく、上出来の経過だ。

しかし年が上がると、親がコントロールすることが難しくなってくる。
自分でお小遣いで物が買える年になってきたので、甘いお菓子を買って食べることが増えた。

例によってお歳暮などで甘いお菓子を食べることが多くなる12月には、アレルギー性鼻炎がひどくなった。

中学校のあたりは杉花粉が多そうで、手続きなどに行った2月の日から、いくらか花粉症の症状がでるようになった。



中学では放課後も勉強させられるようだ。
帰りも遅くなるので、親子共々体調を崩さないように気を付けていきたいと思っている。


・・悪化から、11年8カ月が経過。







次章:社会復帰 へ
前章:早起きへの挑戦 へ

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