思わぬ合併症   



冬になると、皮膚が乾燥して痛みが強く、その痛い所から波のように痒みが拡がっていくという状態になり、再び、家から一歩も出られなくなった。

季節が変わると皮膚の状態も変わる。アトピーの症状には季節的な変動がある。
花粉に反応し春に悪化するなど、抗原の季節的変動による影響がもちろんあるが、そうした特定の悪化要因がなくても、気候の変化だけで充分な悪化を招く。

温度湿度とも極端になる夏や冬には具合が悪くなる人が多い。
苦手なのが夏か冬かは人によって違う。
夏は汗とほてりが、冬は乾燥が曲者だ。

私は夏より冬がだめで、この後も、春に行動範囲が拡がり、冬に後戻りするという経過を何年も繰り返した。
私の居住する地域では冬期の湿度は20%くらいまで下がる。その事とこの悪化は無縁ではないだろう。

加えて、冬ほどの大きな変化ではないが、重症になってからの私の皮膚は、季節の変わり目ごとに悪化の波を繰り返した。
病んで機能が不充分な皮膚は、気候の変化に即座に対応することができないようだった。

ひとつの季節の中でも気候・天候はかなり変動する。その度具合が悪くなる。
気候の悪影響がなく、調子の良い日は、実に1年に数日ほどしかないと言ってもいいくらいだった。

アトピーが「わがまま病」と言われるのも無理からぬことかと、苦笑する。


ひどい虫歯ができたが、哀れなことに歯医者に行くこともできなかった。

たとえ誰かが座ったまま車で連れて行ってくれたとしても、治療の間仰向けに座ってじっと動かずにいることもできなかっただろう。
自宅で抗生物質と鎮痛剤を飲んで、治まるのを待つという、文明国に居住する者とも思えぬ対処をした。

思えばアトピーが重症になってからというもの、鏡で自分の口の中をしみじみ見たこともない。
いつも痒みと痛みが強く、じっと立っていることが耐えられないので、歯磨きはしてはいたけれど、知らぬ間におざなりになっていたのだと思う。

一方、退屈とつらい毎日の鬱憤で、甘いものなどの間食は増えていた。
悔やんでも取り返せないことだが、この何年かの時期で、随分歯を悪くしてしまった。

春になって10日に1度くらい夕方に外出することができるようになってから、歯医者に通いはじめた。
使ったことのなかった歯間ブラシも使いはじめた。
その後は、調子の悪い時は休みながらも、経過観察を続けてもらうようにしている。
歯垢の掃除などは自分ではできない。やはり餅は餅屋だ。


長患いの弊害がいろいろ出てきていた。


その第1が「起立性低血圧」だった。

私はもともと、最高血圧がいつも100mmHgを下回っているほどの低血圧なのだが、ほとんど身体を動かせず臥床してばかりの生活がそれに拍車をかけた。
午後臥床から起きる時、ひどく頭が重くだるい。
さらにはそれが起きてからも長く続くようになっていった。

横になった状態から起き上がると、重力の影響で頭部の血流は低下する。
しかし健康な人では自律神経系を中心とした反応性の調節が即座に起こり、血流の低下を補正する。

この調節が充分機能しなくなった状態が起立性低血圧で、起き上がる・立ち上がる動作の際立ちくらみや頭重感を起こす。

通常なら日常動作で頻繁に働くはずのこの機構が、動かない生活では使われないので、機能が衰えてしまうのだろう。

アトピー自体を成立させている自律神経の機能の乱れも基礎にあるだろうし、朝入浴する時末梢の血管が拡張して血液をためてしまい(それは血液が来る皮膚にとってはいいことなのだが)、全身を廻る血液がより少なくなってしまうことの影響もあるだろう。

つまり、この生活から、起こるべくして起こった合併症だった。


こうしたことを語ると、
「いつまでそんなことをしていてどうなる。はじめは痛いだろうが、慣らさなくては。我慢してでも動きなさい、その気にならないからできないだけだ。」
と叱咤される。
そう言われても、と思うしかない。

本人だって、動きたいのはやまやまなのだ。
耐えられるものならば多少痛くても痒くてもなんとか自分で動き暮らせた方がいいに決まっている。

けれど、身体を覆う皮膚の大半が障害された状態というものは、想像を絶するものだった。
例えば、「因幡の白うさぎ」を思い浮かべていただければ、少しは想像しやすいだろうか。

絶えまないその痛みは、動くどころかじっとしていても耐え難いほどで、さらに沸き上がる痒みは我が身を持て余すほどのものだった。
かさぶたが取れた入浴後などは、痛みが和らぎ耐えられるのは、高湿度で外界の刺激から守られたふとんの中だけで、トイレに行くのさえ一大決心が必要だった。

唯一比較的楽に身体を動かせるのが、風呂の湯に入っている時だった。
せめてもと思い入浴時に体操のように身体を動かすのを日課としたが、もちろんその程度のことで治まるほどの低血圧ではなかった。


ここで症状を抑える治療の重要性をまた語りたくなる人がきっといるだろう。
「薬でコントロールして日常生活をきちんと維持していれば、そんな馬鹿なことにはならないのだ。」と。

繰り返しになるが、長期間のコントロールの果てに、「治癒」か「軽快」か「コントロール良好」があるならいい。
しかし、「コントロール不能」か「薬の悪影響による悪化」があるとしたらどうだろう?。
ステロイドは、そしてプロトピックも、後者の事態を招かないという何の保障もない。

だから患者は選ばなくてはならない。
個人の状況に鑑み、個人の価値観に基づいて。

私は、薬に自分の人生を支配されたくはなかった。
だから、耐えるしかなかった。これだけの苦しさなら、まだ耐えられた。

私はそのまま緩やかな回復を待った。
そして皮膚の状態の改善の程度に対応して動ける程度も改善していき、起立性低血圧もそれにつれて回復の経過に入っている。

途方もなく時間はかかったし、今も闘いは続いている。
それでも、あるべき皮膚を取り戻すためにそれしか道がないのなら、それを進むしかないと私は思った。


さて、第2の合併症は、「過敏性腸症候群」だった。

これも自律神経系の機能失調により、腸管の動きに異常をきたし、腹痛・下痢・便秘などを起こす病気である。
過労や精神的ストレスなどが引き金になる。

これも私は素質があり、子供の頃から寝不足や緊張でよく下痢を起こしていたし、独身時代の終わり、新生活の準備をしながら、これで仕納めの大学病院での仕事にも夢中になって、寝る間もない程多忙を極めた時期に、お腹を壊して寝込んで大腸の内視鏡まで行なう仕儀に至り、「過敏性腸症候群」と診断されたことがある。

ことの起こりは便秘だった。
身体を動かしていないと腸の動きも悪くなる。
これがだんだんと高じて、この冬にはどうにも出ない便秘になってしまった。

やむを得ず便秘薬(センナを成分とするアローゼン)を常用したところ、便の出は改善しないまま、1か月弱の後になんと腸が痙攣をはじめた。
薬の、腸を強制的に収縮させる作用が、有効に働かず、裏目に出てしまったのだった。

(後から薬の本を調べてみて、センナのような大腸粘膜を刺激し蠕動を起こし便を排出させる種類の下剤ではなく、便を軟化膨張させて排便しやすくする種類の機械的下剤という選択肢もあったのにと思った。

しかし機械的下剤は、大腸刺激性下剤と比べて、医師としての臨床の場で不思議なくらい遭遇することが少なく、父の診療所にも見当たらなかったほどで、私のみならず、やはり医師である私の家族たちの頭にも、そのとき全く浮かばなかったのだ。

大腸刺激性のものは本来第一選択ではないのだが、現実はそうなっていないことに、すぐ効く強い薬に頼ろうとしがちな、医師と患者の心理の現状を感じた。)


夜夕食後横になると、お腹がぱんぱんに膨らみ、胃が口から飛び出しそうなほど苦しい。
中に溜まった空気が瀕回のげっぷとおならで排出される。

薬を止め、その毎日の張りは1か月位で治まったが、その後、唐辛子煎餅を食べた時、ソフトクリームをひとつ食べた時、また同じように腸が踊り出し、しばらく続いた。
冷たいものは夏でも口にできなくなった。

お腹の張り、便秘と下痢を繰り返し、腸と便通がまがりなりにも落ち着いて来るのには、3年ほどの期間がかかった。


それから、病気ではないので合併症とは言えないが、体力も随分落ちた。

筋肉は痩せ細り弱くなった。
使われないエネルギーは脂肪となり腹部などに貯まった。
呼吸や心臓の動きの能力(心肺機能)も衰えたと思う。
それらは、少し後に次第に日常の活動を取り戻していく過程で、実感することになる。

動かないでいれば、筋肉のポンプ作用が働かないし、栄養や酸素を運ぶ血液の必要性も減少するので、全身の血流が減り、結果として皮膚への血流も少なくなるだろう。
代謝が下がることで、皮膚の回復を遅らせることになる。

滞(とどこお)る水は腐ると云うが、人間の身体は動かしてこそ上手く機能するようにできているのだなあと、今さらながらに思う。

身体を構成する細胞や臓器は、それぞれ無関係に別個に働く部品ではない。
相互に複雑に関わり合って働いている。
その機能の調節は、やはり互いに影響しあう神経系・免疫系・内分泌(ホルモン)系によって行なわれている。

皮膚の病気だからといって、皮膚だけで完結しているもの、と考えることはあまり賢明ではないだろう。
特に広範囲であったり重症であったりすれば、身体の他の場所に、無視できないほどの影響を及ぼしてくるし、その逆もまた起こる。

もともとその発症に、免疫系や自律神経系の関与が考えられるアトピー性皮膚炎であってみれば、なおさらのことだ。


それにしても、「アトピーがひどいことにより、−>活動が制限される−> 身体の機能が落ちる−> 尚さら回復が遅れる」
という悪循環は、皮肉である。

脱ステロイドを志す患者、特に軽症ではなく1〜2年を越す長い療養期間を必要とするものにとっては、このことが、挫折を誘う大きな障害となりうるだろう。

もちろん、できるだけ生活レベルを極端に落とさずに、乗り切ることが望ましいのだろう。
しかし、残念ながら、私にはその方法論は見えないのだ。

生活上の注意や回復を促す様々な治療法がその処方箋となるのだろうか。
昨今のアトピー事情は、それでも手に負えないような気がしてならない。
果たしてどんな道があるのだろう。


人の身体にはホメオスターシスという、恒常的な内部環境を保つためのしくみがある。
体内に入ったものは、もちろん薬であってもその中に組み込まれる。

形成されるのは薬の存在下での恒常状態であり、なくなった時にはまた新しい恒常状態が形成されなければならない。
つまりその意味で言えば、あらゆる薬はリバウンド(薬を中止した時の症状の悪化)を生じる宿命を持っているのだ。

一般的に言って、作用の強い(=切れ味良く効く)薬ほどそれが強くなるのも自然なことである。

そういう薬は医師が思っている以上に、扱いかねる代物なのではないだろうかと私は思う。
扱いにくい対症療法薬ではなく、それ以上の道を、医療者は探らなくてはならないのではないだろうか。

ホメオスターシスはまた、自然治癒力とも通じるものがある。
皮膚も、それに伴う身体の不具合も、薬などの強力な外からの働きかけがなくても、僅かずつ回復して行った。

自然治癒力は生きている限り決して仕事を止めない。
そしてその仕事はとてもとてもゆっくりなのだ。



さて、その他に、アレルギーの悪化に伴う症状として、風邪を引いた時の鼻腔内の分泌が非常に多くなるということも起きた。

IgEや好酸球が著明に増加している免疫の異常状態によるものなのだったのだろうか。
これが高じれば、慢性的なアレルギー性鼻炎となり、アレルギーマーチと言われる現象になったところだったのだろう。

夜間の鼻詰まりは、呼吸困難感が強く、寝入ることができず、横になっているのも苦しく、相当につらかった。
耐え切れず鼻詰まりを一時的に抑える点鼻薬をその度に使って凌いだが、2〜3年は、風邪を引いたらどうしようと戦々恐々としていたものである。


一度はインフルエンザにもなった。

やはり冬で外出できないため、その頃使えるようになってきていた抗インフルエンザ薬を求めて病院に行くこともできず、ひたすら自然治癒を待った。

3日間ほど熱に加えて昼も夜もじっとしていても呼吸が苦しく、ぐったりしていた。
その後の回復期に激しい咳とともに気管の左右の分岐部あたりとも思う程深くから痰が上がって来るのを感じたから、肺炎にもなりかけていたのかもしれない。

老人や幼児などの、抵抗力が弱いものが命をも奪われる病気であることが、むべなるかなと思った。
もっと年をとっていたら、こんなふうにただ家で寝ていたら、危険だったかもしれない。
まだしも私の場合は、自分の状態と治療の必要性を医学的に推定することができるが、一般の人にはそうしたことは難しい。

アトピー性皮膚炎の、特にステロイドを使いたくない患者は、医療不信や治療を強要されたり侮辱されたりするうっとうしさから、医師から足が遠のくことが多いが、医学的知識のない普通の人の場合、「いつもとは違う状態」になったら、やはり医師の判断を仰ぐことは必要と思う。

情報の発達した今日では、患者が医師以上に見事に診断してしまうことも稀ではないが、そうでないこともある。
検査や治療も家ではできない。

困った時には行ってもいいと思える医師を見つけておくことは必要だろう。
そして依存せず固執せず。
疑問を感じたら別の医師も訪ねてみればいい。


・・悪化から、4年8カ月が経過。







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