1年半くらいは、いろいろなものに手を出した。
その頃発行されていたアトピーノという雑誌を読んだり、知人の薬局の人に紹介されたりして知った、ルミンという免疫増強剤、doctorACEというビタミンとミネラルとγリノレン酸の栄養配合剤、デルモフィルという水のスプレー、庄助風呂という入浴剤、米ぬかエキスの入浴剤。
いずれも目に見えた効果はなかった。
保湿剤はアンダーム軟膏、次いで白色ワセリンを入浴後につけていたのだが、軟膏基剤のべとつき感というのは、閉塞感があり、触れる物全てにも油がついて少なからず不快であり、また石鹸で洗わないと落ちないのだが、石鹸で洗った後のかさつきはとても強い。
いくら付け続けて皮膚を保護しても、自らの皮脂はいっこうに増える気配もなくて皮膚の状態は改善しなかった。
皮膚の上にべとべとの膜を毎日貼っては剥がしているだけで、それはとても不自然なことに感じられるようになって来た。
過剰な補給が皮脂の分泌を妨げている可能性も考えると、ばかばかしくて嫌になり、ついにつけるのを止めてしまった。
これとともに石鹸の必要性も乏しくなり、(外出も運動もせず大して汚れも汗をかきもしない生活であり)顔と陰部以外は使わなくなった。
何もつけない皮膚は砂漠のようにかさついて、全体から粉をふいた。
2か月ほども頑張ってみただろうか。
乾燥は改善せず、それが何ともいえない痒みや痛みを招いて耐え難く、といってべとべとのものをまたつける気にはなれず、市販の木酢液配合のジェル(乾燥の強い冬場には一部にクリームも)をつかいはじめた。
特にアトピーが改善したりはしなかったが、かさつきをやわらげて楽にする役には立ち、使用感も良かったのでそのまま続けた。
既に良くなっている顔は、入浴後アトピコローションを少しつける程度で問題なく、それも段々乾燥する冬期だけで済むようになっていった。
シャンプーは、とても疲れるので、4日に1度くらいしかできなかった。
市販の普通のものを使っていたが、やがて合成洗浄剤の色や香料の匂いを、不自然に不愉快に感じるようになり、アトピコシャンプーを使うようになる。
西洋医学以外の治療を考える者の常として、漢方薬も使った。
漢方薬処方のテキストと知人の薬剤師の助言を頼りに、2、3のエキス薬を試みてみたが、効き目はなかった。
中医学の漢方が効果的と聞き、中国で学んだ医師を見つけて通ってもみた。
痛みで歩くこともままならず、父に車で送迎してもらいながらの通院だった。
1年余りに渡り、舌診脈診を含め証をきちんと診てもらいながら、様々な煎じ薬の処方を出してもらった(風呂に入れる煎じ薬も試みた)が、残念なことにほとんど効果といえるほどのものはなかった。
むしろ、紅皮症になったアトピーは、勢いがついて止まらなくなっていた。
漢方医に通院の度にIgEを測っていたが、その値が途方もないペースで上昇していった。
上がりはじめて3か月後には6000IU/mlを越え、5か月後には13000IU/ml
(この急上昇は、煎じ薬をサイコを中心とした処方に変えた翌月に起きているが、因果関係は明らかでない)、1年後には20000IU/mlを越えた。
皮膚は紅色なだけでなく、硬く腫れぼったく盛り上がり、皮膚のきめが荒く深く目立つようになっていた。
この状態は「苔癬化(たいせんか)」といって、湿疹が慢性の状態になったことを意味し、とても治りにくい。
頭・顔・手のひらの大半・足の甲と足の裏の大半以外、すなわちアトピーの発疹が出ていた所の全てが、その状態になっていた。
入浴時、鏡に姿を映して見ると、これが我が身かと絶望的ともいえる気分になった。
ほぼ全身の皮膚が、赤黒く粉をふいた象の皮膚のようなぶよぶよの状態になっていて、老人にも負けないほどの深い皺が刻まれている。
私の場合滲出液はひどくはなかったが、それでも前腕や大腿などには寝間着が貼り付き、べりべりと剥がして入らなければならなかった。
風呂場の灯りに照らされた濡れた皮膚の色は、また一種独特で、表面が白くなり、それを透かして、鈍く暗い赤紫色が全体に拡がっている。
「肌色」ではないのだ。
皮膚の赤みは、症状の程度に波があるし、遠目や写真ではわかりにくくなることも多いのだが、こうして入浴時に見ると、病変部と健常部の区別が明らかについた。
平らになったりして、一見よくなってきているように見えても、この異様な赤紫色を呈する部分は、確実に病んでいるのだった。
朝起きて、ぼろぼろになった皮膚をなだめに、風呂に直行する。
入浴後は1時間くらい痒みでのたうつ。その後も、一日中痒み痛みが去る時はない。
一番ひどい頃は、ベッドに横になっていてさえ身の置きどころがなく、この一瞬一瞬をどうやって生きぬけばいいものかと、途方に暮れた。
一日が、長くてつらくて仕方がなかった。
朝昼食はベッドで済ませ、午後も半ばになってからなんとか起きたが、居間で座っているだけで精一杯。
かろうじて本を読んだりして過ごしたが、頭の中の何割かは、いつも痒みと痛みに支配されており、満足な集中力は出なかった。
動いたり、こたつに足を入れたりすると、また激しい痒みが襲う。
下肢は一歩ごとにびりびり痛んだ。
ほとんど寝たきり座りきりで過ごし、家のニ階にも行けず、そのうちに、とくに調子のいい時の夕方、まれにごく近所まで外に出ることもあったが、乾燥の強い冬場の半年間は家から一歩も出られなかった。
夕食を食べて一息つく頃には、またいたたまれない痒み痛みが襲って来て、これをだましに風呂に行く。
ほてった身体の痒みでまたのたうって、それがやわらぐ頃娘を連れて来てもらって、共に眠りにつこうとする。
炎症に覆われた皮膚は傷だらけで、ふとんの中の高湿度に守られていなければ痛くてたまらず、夜の入浴後はもうふとんから出られなかった。
娘の方は、手・膝・足首などのがさがさだった所も大分よくなってきて健常な皮膚が出てきていたが、夕方などに痒みの波が訪れ、何も出来なくなって嘆き呻いたりはしていたし、一晩に3回くらいはやはり痒みで起きていた。
さて、夜は長い。私は少し眠っては、激しい痒みで目が覚める。そしてそのまま痒みは治まること無く1時間2時間と続き、いっこうに眠れない。
実家に戻ってからは、余りの具合の悪さに、対症療法の薬もある程度使うより仕方がないかと思い、痒みを押さえる抗アレルギー剤の塩酸エピナスチン(商品名アレジオン)を、朝晩飲むようにしはじめた。
それでもそんな状態で、さすがにほとんど眠れないと身体がもたないので、夜の分のそれを、鎮静作用の強い抗ヒスタミン剤のヒドロキシジン(同アタラックスP)に変えてみた。
飲むと、痒みが減りはしないが、痒みで目覚めてから1時間半以上くらい経てば、再び眠気が訪れ眠りにつくことができるようになり、助けになった。
薬の副作用の口渇感が強くて嫌で、効きめが感じにくかったアレジオンはそのうち止めてしまった。アタラックスPは、それなしでもある程度の睡眠が取れるようになるまで飲み続けた。
たかが口渇と、かつての私なら思っただろう。
しかし、既に病気の苦痛と不安で精神が痛めつけられているので、それ以上の苦痛は、思いのほかにこたえるのだ。
それが薬の副作用であってみれば、こうむらなくても済んだものと思わずにはいられないから、尚更許容し難いものとなる。
痒がってのたうちうなる私の姿を見かねて、医師の父がアタラックスPの筋肉注射をしてくれたことがある。
確かにその場の痒みは治まったが、なんと注射部が痒くてたまらないしこりになってしまい、3週間以上も治まらず、二度と注射は願い下げになった。
父も辟易したことだろう。
その頃売り出し中だった、IgEの産生を抑制する抗アレルギー剤のIPDも内服してみた。
残念ながら、IgEが、低下どころかどんどん上昇していったことは、既述の通りである。
西洋医学の治療の限界をここでも感じた。
冬のある日、痒みの感覚がそれまでと違っているのに気付いた。
なんとも言葉では上手く表現できないのだが、鋭く、明確に、深くなったとでも言おうか。
それまでの感覚が甘くぼんやりしたものに感じられた。
後日知った、「アトピーの患者の皮膚では痒みを感じる知覚神経が異常に伸長し、真皮を越えて本来なら存在しない表皮の中にまで達する」という研究成果に照らして考えると、この時私の皮膚でその神経の伸長が起こっていたのかもしれない。
その時は機序は推測しようもなかったが、病状がより深みにはまっていっているという重い実感だけは拭いようもなかった。
期待と努力とは裏腹に、このように光は見えず時間ばかりが過ぎた。
慢性病は、本当にひどい状態の時は、じたばたしてもどうにもならないものと知った。
私にできることは、しのぐことの方法論を考えることくらいで、後は、時間という薬に期待を寄せるのみだった。
あきらめることなく、そして、くさることなく。