子宮頸がんワクチン狂想曲





子宮頸がんワクチンが重篤な副反応の多発を受けて定期接種の推奨中止になっていたのが、今月中にも接種推奨再開をめぐる議論を再開するという(朝日新聞、2015年9月6日付で報道)。

将来子宮頸がんになって早く死んだりせず、健康に長生きできるようにと願って受けた予防注射で、10代の若さで人生を破壊されてしまう。
この悲惨さを、推奨したい人たちはどう考えているのだろうか。


人生は1つしかない。誰にとっても。
だから誰しも、その1度きりの人生をより良いものにしようと奮闘する。
病気で不快や苦痛に苦しんだり、人生の可能性を制限されたり、命そのものを奪われたりしたくないから、病院に行き、治療や予防の医療を受ける。

それなのに。

良かれと思ったその医療に、将来がまったく描けないほどの致命的な健康被害を受けてしまった人たちの口惜しさは、察するに余りある。
その人たちへの保障となる医療費支給の審査はまだ定期接種前の一部しか済んでいないという鈍さなのに、再開に向けた動きはずいぶんと素早い。

おそらく検討会の面々はほとんどが男性だろう。
すなわち、子宮頸がんになることは一生なく、ワクチンの主要な対象者とはならない。
でも、あなたの娘や孫娘が、予防接種を受けるかもしれないんだよ?
そして突然時計も読めなくなったとしたら、あなたはその結果を受け入れられるのか?


厚生労働省は集団としての公衆衛生を考える。
人のする医療に完全はないから、どんな優れた治療も薬も、一定の確率で少数の人たちに激しい副作用、副反応という不利益をこうむらせる可能性は避けられない。
まれな不利益を上回る集団への大きな利益があれば、そのワクチンには奨める意義がある。

「それを上回る集団への大きな利益があれば」である。
ここが問題だ。
子宮頸がんワクチンには、この点に疑義を持たざるを得ない特殊性がある。
病気そのものではなく、病気を作る原因となるウィルスに対するワクチンだということだ。

細菌やウィルスやその他ヒトに感染する微生物のワクチンとは、その微生物と認識される物を体内に入れ、体内に起こる免疫反応でその微生物に対抗する抗体を作らせる。
あらかじめ抗体を作れる準備ができていれば、実際にその細菌やウィルスが入ってきた時、速やかに大量生産された抗体がやっつけて発病を防いでくれる。
つまり、感染症そのものを防ぐ効果に関しては、疑いようがない。
100人接種すれば100人全員に、当面の感染予防効果はある。

これに対して、子宮頸がんを作る原因になっていると考えられているヒトパピローマウィルス(HPV)は、ほとんどの人が遅かれ早かれ自然に感染するのに、子宮頸がんになる人はごく一部である。
言ってみれば、自然な状態では1000人中10人が子宮頸がんになるところ、全員が予防接種を受ければ1000人に1人に減らせそう、というような話。

9人にとっては「注射して良かった」だが、990人にとっては注射しなくても結果は同じだったことになる。
これを成果と考えるべきか。
コストもリスクも生じるとなれば、無駄か有害と判じることもできるはず。
接種しなくても子宮頸がんにはならない可能性は、実際とても高いのだ。


そもそもワクチンは、接種直後の感染予防効果は非常に高いが、長期の持続性については保障が乏しいという性質のものである。
抗体の生産は、時間の経過とともに薄れていく。
周りで流行が起きると再び抗体生産が増えたりするが(ブースター効果)、それは実際に起こるかどうかわからない不確定要因だ。

だから、人生の主に後期に、一生に一度なるかならないかという病気を予防するために、人生早期のワクチン接種で何とかしようという発想自体に、無理があるのではないかと私は思ってしまう。
暴論だろうか?

HPV6型、11型、16型、18型に感染することを一時防いだところで、一生子宮頸がんになることを防げるという保障にはならない。

むしろ、すでに自然感染して自然の免疫システムでうまく処理しようとしている最中の人に、年齢的にまだ感染していないだろうという予断のもとに接種している可能性もある。
その場合、どんな免疫反応が体内で生じるかは、予測がつかない。


行政は国民を規制する権力を持っている。
それだけに、その判断は重大だ。
かけがえのない1つ1つの若い命を守るために、ぜひとも慎重になってもらいたい。
どうか、問題ある疑いのある予防接種を国民に強制するような愚は起こさないでほしい。

すでにこの件に関しては前2項(ここここ)で書いているが、重ねて書かざるを得ない危うさを感じる。

2015.9.  

追加:
9月24日のニュース23(TBS)を見た。

学校にも行けないほどの体調不良に陥った妙齢の女性が複数登場していた。
彼女らは、いつ襲ってくるかわからない吐き気や、補助具をつけてやっと歩くような歩行障害に一日中苦しめられている。

驚いたことに、後者の歩行障害の女性はワクチン接種翌日に高熱が出て、その後熱が下がったからといって「回復した」という分類に入れられてしまい、その後いっさいの追跡調査をなされていないという。
また、医師が診断した「高次脳機能障害」という記載が、厚生労働省の報告には反映されず、製薬企業が申告したという「精神性〜」(専門家の用いるべき医学的に正式な病名、症状名とはまったく思われない)に置き換えられてしまう、という不可思議な事実もあった。

副反応を矮小(わいしょう)化する意図を感じざるを得ないこうした動きには、「人々を子宮頸がんから救いたい」という崇高な理念を感じとることはできない。
むしろ高額な開発費を回収したいのでは、せっかく開発した新薬を収入源にしたい気持ちが勝っているのでは、という邪推(じゃすい)を生じさせる。

どれほど苦心して作り上げた薬であっても、人々に対して益よりも害の方が大きい薬は、だめなのである。
使うわけにはいかないのだ。
それが、人の命を扱う医学と薬学の定めである。

厚生労働省も、産婦人科の専門医たちも、医療の原点に戻ってほしい。



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