子宮頸がんワクチン - 副作用をどう見るべきか



子宮頸癌ワクチンをめぐる話題がかまびすしい。
このワクチンの必要性・有効性に大いなる疑義があり、副作用/副反応への懸念も多大であることは、すでに別項に書いた。

インターネットで「子宮頸癌ワクチン 副作用」と検索をかけると、膨大な記事がヒットする。その中には、「接種に反対」「(定期接種の)一時中止を」「なぜこんなワクチンを」「危険すぎる」「少女たちを薬害から守ろう!」といった接種に反対する切実な意見が多数みられる。

一般人がこんなにも実感や実体験をともなう不安を訴えているのに、なぜ、厚労省や専門家の反応はこうも鈍いのか。
そこには、一般人の感覚とはかけ離れた、彼らの世界の常識があるのだろうか。


そもそもの発端はきっと、いくつかの特定のウィルス感染が、子宮頸癌発症の原因となっているようだと分かったとき。
研究者なら医療関係者なら、「このウィルスをコントロールできれば、子宮頸癌を制圧できるのでは!」という夢を描いたに違いない。
このときには、「がんで命を失う犠牲者をなくしたい、救いたい」という、尊い志(こころざし)であったのだと思う。
ワクチンの研究開発がはじまった。

その計画、すなわちワクチンを作るための試行錯誤の実験のくりかえしの過程のどこかで、遺伝子組み換え技術が、イラクサギンウワバという蛾(が)の細胞という培地が、好都合に作用したのだろう。
そうして、夢の製品は完成した。


ワクチンも含めて薬の研究開発には、膨大なお金と手間がかかる。
新薬を製作販売する先発品の製薬会社は、できた薬が成功を収めるか、失敗作で終わるかというギャンブルに、つねに挑戦し続けているわけである。
無駄になる投資の分も含めて研究開発費を捻出するのは、たいそう大変なことである。

完成品となった薬は、まず動物実験、それから実際の人間への試用(治験)で、審判を受ける。
副作用は大丈夫か、効能はほんとうにあるのか。
そのデータの全てを専門家が審査し、妥当とされたものだけが医薬品として認可される。

承認され薬が市場に出たあとも、安全性と有効性を確認する努力は続く。
医療現場からは副作用報告が上げられ、集約されて再検討の材料となる。


その結果、有効性がないと判明した時点で、または有害作用が強過ぎると分かった時点で、販売停止となる薬もある。

前者の例としては、老人性の認知症に対し広く用いられていた、1998年の脳循環代謝改善剤4剤(商品名アバン・エレン・ヘキストール・セレポートなど)がある。
後者の例としては、1993-4年、帯状疱疹治療のソリブジン(商品名ユースビル)薬害事件による、承認取り下げがある。抗がん剤のフルオロウラシル(商品名5-FU)との併用で、死亡を含む重篤(じゅうとく)な血液障害が起こった。

「過ちを改むるに、はばかることなかれ」だ。
どんなに開発が大変だったとしても、費用がかかっているとしても、捨てるにしのびない有用性があったとしても、効かない薬と、患者の体を壊す薬には、撤退してもらうしかない。


製薬会社はその宿命として、せっかく苦労して作った金の卵がむだにならないよう、企業として最大限の努力をする。
しかしそれが度を超すと、薬が人に投与されてその健康を左右するものだという根本を忘れた、非人道的対処となってしまう。

ソリブジン事件のときも、薬が糾弾されることを促進したのは、製薬会社のインサイダー取引だった。
問題が分かってからも残っている製品を使いきろうとして被害を広げた、薬害エイズ事件の非加熱凝固因子製剤の例もある。

これらの教訓を生かすべきだ。
子宮頸癌ワクチンは、定期接種を継続していくだけの有効性も安全性もないワクチンだと、一般の人々までが知る事態になっているのだ。
副作用への注意を促せば対処できるというレベルではない。
打ち続けて、被害者を増やすことの重さを自覚すべきである。


国や厚生労働省や専門家には、投与された人たちを集団としてとらえる宿命がある。
薬が異物である以上、まったく副作用のない薬などはないから、1例に重症の副反応が出たからといって、そのワクチンを中止すべきだとは考えない。
集団としての総合的効果と副作用頻度から、妥当性を考える。

冷静で科学的姿勢であるために、統計や数という指標でみる。
それは逆からみれば、個々の患者の副作用の苦しみに対しては、距離を置いた姿勢である。
度を超せば、患者の苦難を顧(かえり)みない、非人間的態度ともなりかねない。

統計を科学的根拠とするにあたっても、不十分な点がある。
実際に生じた副作用例より、報告される例数は少ない。
因果関係があるといえなければ、関係ないという方向に考えられてしまう。
情報不十分を理由に、そうなることもある。

どんな重い症状が出ても、副作用症状に原因ワクチンの名前が書いてあるわけではない。
結局のところ、因果関係は専門家の判断になるので、専門家が「認めない、ありえない」という目でみていれば、いくらでも矮小(わいしょう)化が可能である。

このように副作用報告統計は、真実より少なく見積もられている可能性が何重にもある。
それにもかかわらず、子宮頸癌ワクチンにおいては、一般的なインフルエンザワクチンより2ケタも多い重症副作用の報告例があるのだ。
それもアナフィラキシーのように一時的で回復可能なものなら助けられるが、そうではなく、長く続き回復し難く、治療法もないような副作用。
アメリカでも、日本の治験でも、発売後でも、変わらず発生し続けている。

この統計結果を、科学の目でみるならば、例外的に多い発生数と言わざるをえないだろう。
専門家なら、当然そういう判断を下すべきである。
専門家としての、人間としてのプライドを持っているならば。


そうならない現実には、「なんとかして子宮頸癌ワクチンを使い続け、売り続けたい」という意図の介入を考えざるをえない。
その先にあるのは、数ではなく、人なのに。
金銭のために、見知らぬ人の人生を奪う結果となるのに。

ソリブジンのときも、治験段階で同じ副作用が確認されていたのに、それが隠されていたという事実があった。
発売時から、「フルオロウラシルは併用禁忌」という注意を徹底して周知させていれば、10数人もの死者が出ることは、防げたのに。
その点さえ防げれば、有効な良い薬として、人々に感謝されていたかもしれない。

都合の悪いことは、できるだけ言わないで済ませたいと思うのは、人の常である。
しかし、こと人の命が、健康がかかったことが、それでは済まない。
事実ならもちろん、たとえ確実ではなくても強い疑いのあるできごとがあったなら、それは公表し周知させるべきだ。


これに反して、子宮頸癌ワクチンについての広報は、不都合な事実を隠し、効果を過大に語るばかりである。
ほんとうに安全だと思っているなら、初の遺伝子組み換え製剤であることも、アナフィラキシー以外にも治らない重篤な副作用がどのくらい起きるかということも、堂々と書けば良い。

感染予防効果が、接種後9.4年までしか確認されていないことも。
子宮頸癌で死亡するのはそのずっとあと、主に40才以降だということも。
ウィルス感染を防ぐことが生涯にわたっての癌の予防になるかどうか、本当のところまだ誰にも分からないのだということも。

そこまで知っても、今、感染予防することに意味があるだろうと判断する者だけに、接種をすれば良い。
おそらく、そういう選択をする者はごくわずかだ。


ソリブジンの場合は、問題になった時点で、その副作用に対する関係者への注意喚起(かんき)を徹底させた。
そう、人間は完全ではないけれど、修正する能力を持っている。
気付いた時点で、止める勇気を持つべきだ。


子宮頸癌ワクチンの商品名、ガーダシルとサーバリックスを、私は日本での発売より前から知っていた。
私は医師という1人の治療者であるが、以前から学び、今は自分のクリニックで取り入れて行っているアメリカ発祥の代替医療のNAET(ナムブドゥリパッドアレルギー除去療法)の中で、取り扱う項目のリストにこれらが入っていたからである。
数年遅れて、同じことが日本で起きている。
おそらくこのワクチンを打っている、世界中の国でも。

先日テレビで、アメリカでは指定のワクチン接種をすべて済ませていないと就学できないという規制が行われているというニュースを見た。
現在の日本の定期接種は、最終的には個人の判断で拒否することもできるが、もしこんなシステムになろうものなら、逃げ場がない。


薬の、ワクチンの、必要性と安全性を評価する、行政やそれに付属する専門家の責任は重い。

激しい痛み・けいれん・関節の障害・筋肉の障害・脳機能の障害・・・
人生の序盤で、治療のあてもない無惨な災禍(さいか)に苦しみ、希望と将来を奪われる罪なき者を、これ以上増やさないためになにをすべきかは、自明であろう。

疑わしきは避ける。
医療は患者を癒すためにある。患者を作るためにではない。

2013.05.  

 *追記 1:接種推奨中止*

同2013年6月半ば、国がこの子宮頸がんワクチンの「推奨を止める」と発表した。副作用を訴える声が止まないため、それに応えざるをえなくなった形で、ひとまずは民意の勝利と言えるだろう。

それにともない6月下旬になって、接種後の痛みやしびれに対して、「CRPS (複合性局所疼痛症候群)」という病名が突如、浮上してきている。

この記事を書く際、5月に調べたときにはどこにもそんな病名は出ておらず(ギラン・バレー症候群、急性散在性脳脊髄炎はあった)、医療関係者の私でも今まで1度も聞いたことがなかった病名である。

おそらく今回起きた症状は、既存の上記などの病気の枠内にはめ込むことができなかったのだろう。
そこで、一番近い症状のもっともらしい病名を持ってきた。

しかし、病名や診断がつくことと、原因が分かることとは全く別であることを、私たちは忘れてはならない。

病気の概念はしばしば、とりあえず見られる症状を総括してまとめあげるしかなく、その原因や発症機序や治療法はずっと後になってようやく解明されるのは、医学の世界では非常によくあることだから。

これから、子宮頸がんワクチンとこれらの副作用の因果関係について、厚生労働省の研究班による分析が行われる。
それ自体は好ましい。

だが、権威筋のやり方の典型として、ほとぼりのさめた頃に分析結果を出し、「因果関係が証明できませんでしたから、ワクチンは安全です、推奨再開」となる可能性も高い。

「因果関係が証明できない」ことと、「因果関係がない」こととは、天と地ほども違う。
ここは大事だ。

研究班は、グレイゾーンをすべてシロのように言うかもしれない。
けれど、「まず患者に害をなさない」という正当な予防的見地から考えるなら、グレイはすべてクロとすべきなのだ。

ワクチンは、今現在は健康で治療の必要がない人に打つものだから、なおさらである。

だって、事実患者にその症状が起きて、まともな治療法すらなく苦しみ、人生をめちゃくちゃにされている、という事態は変わらない。
その事態に付けられるラベルが、「ワクチンの副作用」や「副反応」でも、そうでなくて「紛れ込み症例」、「他のワクチンでも見られる脳炎や関節炎」「CRPS」「それ以外の慢性疼痛」、なんであろうとも。

一般大衆はそんなふうに病名の権威やタイムラグにごまかされないよう、引き続き注視していかねばならない。

止めたのは当面の推奨だけ。
「接種中止」にはなっていないのだから。

2013.06.  


 *追記 2:厚生労働省検討会の結論*

予想通り、ほとぼりがさめるのを待って、接種推奨再開に向けた動きが起こっている。

本日2014年1月21日付の朝日新聞報道によると、20日の厚生労働省検討会は、ワクチンが直接の原因になった可能性を否定した。

長期的な痛みといった症状の多くは、「接種による痛みや腫れで、心身の反応を引き起こされ、慢性化した」のだと。
この症状が出た仕組みは、神経の異常でも、中毒でも、異常な免疫反応でも説明できず、(恐怖や不安などが体の不調として現れる)心身の反応としてなら説明できるのだそうだ。

「針を刺す痛みやワクチン成分による腫れなどをきっかけに、恐怖、不安などが体の不調として現れ、慢性化した」とは、なんという、科学的でない説明であろう!
医療関係者のはしくれとして、聞いているだけでも恥ずかしい。
まるで安物の医療ドラマ。ひどくショックなことがあって、目が見えなくなったとか記憶をなくしたとか歩けなくなったとかになるような、よくある素人考えの設定のようではないか。

それでもこれが、専門家の見解という科学的根拠とされ、近い将来、少しずつまた接種を勧める方向へと、流れを変えようとするのだろう。

体内に入った異種蛋白が、体にとって不都合な免疫反応を起こしうることは、説明できないどころか、科学的に当たり前のことである。
有意に多い有害事象が生じていれば、そこには無視してはいけない問題があると考えるのが、統計学的にも当たり前ではないだろうか。

医師であるなら、医療関係者であるなら、患者を守れ。人々を守れ。
被害を上回って有効であるという明瞭な証拠がないなら、勇気ある撤退をすべきである。
将来のがんから人々を守るという幻想の中に、おぼれてはならない.

2014.01.  


 *追記 3:髄液検査の異常*

朝日新聞2014年9月4日付で、「子宮頸がんワクチン接種後の症状 免疫異常で脳に障害か」という記事が載った。接種後異状の出た患者32人を検査、治療した医師の学会報告である。

患者は慢性痛、強い不安や恐怖のみならず、「視野が狭まる」「引き算ができない」といった多様な症状を訴える。これだけでも、心因反応などと片付けることはできない、脳や神経系の異常を疑うのが、医療関係者であれば当然と思うのだが。
この学会発表の医師は、きちんと32人の髄液を調べ、接種をしていない女性すなわち正常コントロールとの比較をしている。
その結果患者群からは、炎症などを起こす様々な免疫活性物質や白血球から作られる多種の抗体が、高い数値で検出されたという。

できる限りの科学的事実を引き出す努力をし、まだそれが引き出せていない部分に関しては予断で決めつけることはしない。
まさしくこれが、医療者として、科学にたずさわる者としてあるべき姿勢だ。

そして厚生労働省や専門学会といった医療の社会的方針決定にたずさわる者たちの、あるべき姿勢とは?
集団としての患者の利益を実現しようとすること。はもちろんだが。
何が利益か判断ずることの難しさを、承知していること。
その難しいときには、未知の可能性まで想像できる広い視野と、目前の事情だけに囚われないあくまでも冷静な視点を、備えていなければならない。
それほどの重大決定を、彼らはするのだから。

新しく呈示された科学的事実を、彼らは受け入れるだろうか?
それとも、無視したり軽んじたりするのだろうか?
ここに、彼らの資質が問われる。

2014.09.  


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