冬の日々






世界のそこかしこで春の花が咲き、雪をかきあつめて冬の催しが行われ、関東平野部では雪も霜も見ぬ間に終わってしまいそうな、この冬である。

それでも私には、妙に寒さを感じる冬だった。
白衣を着るようになって、その下には厚いセーターなど着れなくなったせいかもしれない。暖房の効いた室内にいることが多くなったため、そうでない場所への適応が悪くなったのかもしれない。

暖房の中とはいえ、半袖でいたりする、病院の看護師さんや、街の店々の店員さんには、ほとほと感心する。
よくも寒くもなく、鳥肌も立たずにいられるものだと。

とはいえ、振り返ってみれば、若い頃は私もまた結構薄着で、仕事したり運動したり、平気でしていたはずなのだ。
年を取ったということなのか、運動不足ということなのか(苦笑)。


かねて書いているように、私の住む地は、冬期は湿度が非常に低くなる。
この低湿度が、どうも私のアトピーにはてきめんに悪いらしい。
冬になると、肌が痛く痒くなり、外出が減り、家でも休んでいることが増え、長時間睡眠を取らないと、やっていけなくなる。

冬期鬱病というわけではないと思う。
やはり、発端は肌であり、経過を支配するのもまた肌の具合の程度なのだ。


肌が次第に潤いを保てず、手で触れてもがさがさになってくるのが、11月から12月。12月には疲れを感じ、睡眠時間が目に見えて増えて来る。

今年は12月中頃に風邪も引いた。終始熱は出なくて、喉の症状と鼻が少しではあったが、治るのに2週間余りかかった。

結果、いつも寝正月で年が明け、その後寒さに体が慣れるのか、1月2月とだんだん肌がましになってきて、3月くらいには落ち着いて来る。
毎年の経過である。


どういう訳か今年は、この冬場の肌の乾燥が、例年に増してひどかった。

長年、家の中で私の肌からはつねに落屑(皮膚の角層の剥がれた粉)が落ち続けていたのだが、昨年3月からは、触れてもしっとり感がある皮膚になって、落屑がほぼ落ちなくなっていた。
ところがこれが、見事に復活してしまったのだ。

これには、いささかのショックを禁じ得なかった。

週3回とはいえ、丸1日の仕事をしながら迎えた冬は、13年ぶりである。
それで症状を出さずにいられるほど、まだ私の肌は回復してはいない、ということなのだろう。
そう解釈した。

ショックではあった。
しかし、だからといってここで歩みを止めてしまう訳には行かない。私は、自分の義務を果たし続ける。


仕事と、日々どうしても必要なだけの家事。
帰って来てほっとするともう力もなく、食事や支度を終える間ももどかしく、ベッドに倒れ込むような日々も過ごした。

ベッドに入ると、また1時間から、時には2時間も、止まぬ痒みが襲ってきた。夜中も、2時間ごとに目が覚め、切れ切れにしか眠れなかった。

どうしてだか分からない、ひどく寝汗をかいた。そのために、2日に一度、布団を干さなければならないほどだった。
起きているときも、脇の下や股などは妙に汗をかいたり、暖房の職場ではすぐ手に汗をかいたりした。
これもまた、自律神経失調の証なのか、それともそれでもなんとか肌を潤そうという体の努力なのか?、判じかねた。

体の表面に鱗のように浮いた皮が、あるいは痂皮が、ベッドの上に、あるいはトイレの床に、次々に落ちる。掃除も頻回に必要となり、大変である。

皮は自然に剥がれるまでそっとしておきなさいと、おっしゃる方が多いことだろう。しかし、起きている間はともかく、夜中の痒みはとうてい掻かずにいられるものではなかった。

掻くと痛くなることも分かっていて、それでも掻く。なるべく、そっと。そしていくら我慢して加減して掻いても、翌日には貫かれるような痛みが襲って来る。特に太腿や膝が痛くて、歩くことさえ容易ではなかった。

家を出るべき時間が近付き、ベッドから出る時は、冗談ごとでなく決死の覚悟が必要だったことも少なくない。
現在放送中の連続ドラマ「ハケンの品格」の大前女史が、風邪で39度の熱を出した朝、気合いを入れて寝ていた体を起こした時の、あの感じが、毎度のことになっている。


そうして、皮膚科の外来で、保湿剤などを処方する1日を過ごす。
その後、帰り道で痛む下肢をひきずり歩きながら今日を思い返し、「今日診たどの患者さんよりも、今の私の肌の乾燥の方が、多分ひどいな〜」、などと思うのだ・・・。
なんと滑稽な状況であることだろうか!。笑えてくる。

何年か前の私だったら、ここで、自分のしていることが無意味ではないかと迷ったり、偽善ではないかと自責したりしたかもしれない。
けれど今の私はそうは思わない。
私は、私のできることをしていく。


一時保湿剤を使い、それで大過なく乗り切れる人もいる。あるいは、毎年冬の一時期だけ保湿すれば問題ないという人もいる。ステロイドだって、一時使って、あとの一生縁が切れる人は、いくらでもいる。

一方、悪くなるとしても薬で粉飾したくはないという考えもあるわけで、それならその人はそうすればいい。

しかし一般に医療機関を受診する人は、前者の方策を希望する人である。
(実際、ステロイドを使いたくない方のための代替薬として、グリパスCを処方できるように用意したが、ただ使い心地が悪いという理由だけで、概して大変に不評である(笑))

前者でよくなるならそれでいい、後者でよくなるならそれもいい。
本人が快適で幸福になれるなら、経路はどうでもいいのだ。
私はそう考える。


私自身はといえば、現在の心境は、どうにも自分の体を、薬や保湿剤でどうこうしようという気にはなれない。
いや、指先の亀裂など、部分的一時的には時につけるが、体の広範囲にはどうしても塗る気がしない。
それは、自分の体のアレルギーの強さと皮膚の弱さが、相当に根が深いものであるだろうことを、体感から認識しているからであると思う。

要するに、ちょっと何かを塗ったり(あるいは飲んだり注射したり制限したり)したくらいで、よくなったりしてしまうようなものとは到底思えないので、使う気がしないのである。
一時的によくなっても、それを止めた後に元の木阿弥になるのなら、一喜一憂して疲れるだけのこととしか思えない。

幸い、万一感染症とか全身状態の悪化とか、ここまで行ったら薬を使うべきということに関しての知識はある。
そこまでの事態でないと判断できる状況である限り、無治療の自分の皮膚の経過を、ただ観察していくことも許されるだろう。
私はそうしていたい。


実際、そうして皮膚の変化を眺めていくと、非常に面白い。
「冬の乾燥でがさがさ」と一口に言う中でも、11月から現在(2月)までの間で、その角質や痂皮の積もり方は徐々に変わってきている。

始めは乾燥してそこいら中鱗状になり、その鱗が所々どんどん厚くなって、やがてまた薄くなり始めた。鱗の取れた所に浸出液が滲むようになり、その頃から、基底の皮膚はほんの少しずつ、ざらざら感が和らぎ始めている。

自然治癒力による皮膚の修復には、どうしても必要な段取りがあるらしい。
私にはそのように思えてならない。
つるつるの皮膚がもちろん最終目標なのだけれど、自然治癒は決して一足飛びにそこへは行かない。一歩ずつ段階を踏んでいくように見える。

とてもじれったいのだけれど、それが、慢性的な傷害で長く失われた機能を回復し、その後継続的に自らの力で正しい皮膚を作り出せる力を獲得するために、どうしても必要な過程であり、体はそれを知って実行しているのではないだろうか。

(そうはいっても、果たして今、よくなっている過程なのか悪くなっているそれなのか、なかなか分からなくて、観察しつついつも悩んでいるのが現実ではあるのだが(笑)。)


体は強い。体は決して急がない。
たとえどんなに醜い状態に皮膚がなろうとも、くさりもしないし、憂鬱になることもない。淡々と、日々の、時間ごとの、修復作業をこなしていく。

もしも問題がまだなくなっていないか、機能が充分に回復していないなら、それ以上に体は治しはしない。その段階でできる修復を、ただ静かに続けていく。

実に感嘆すべき聡明さと堅実さである。
病む私の最大にして最強の味方は、他ならぬ私自身の体だと、今私は思っている。


ところで、無治療の自分の皮膚の経過と書いたけれど、実のところ今私は無治療ではない。
西洋医学以外で、2つの治療を受けている。

1つは、カイロプラクティックの治療。体を構造面から見て手技で整えることで、機能を改善し自然治癒力の増進を促す。
もう6年来続けている。お陰で外に出て活動できるまでになった。

そしてもう1つは、手技を用いるアレルギー療法で、第13章で出会ったと書いた2つの治療のうちの一方である。昨年3月から受けている。
現在までにこの後者の治療を受けた成果と思われるものは、朝から起きて1日働ける体調になったこと、頻尿が軽快したことで、皮膚も、秋までは性状・痒み共に改善していたのだが、冬に入っての悪化は止められず、今は足踏み状態である。

こうして自分で受けているのは、無論のこと、これらの治療が価値のあるものだと私が感じているからである。
いずれの治療も、受けるばかりでなく、治療家となるべく研修をしている。

しかし、こうした治療は自費である分保険のものよりお金がかかる。
それになにしろ、とりあえず症状を抑えるのでなく、より根本的な改善を目指そうというのだから、簡単ではない。時間がかかったり、手間がかかったり。思うように進まないこともあるだろう。

だから、誰もがこれらの治療を受けるべきとは私は思わない。
実際、アレルギーの軽い人であったら、効率の悪い治療ということになるかもしれない。

ただそれを必要とする人たちがいて、文明の進化に伴うアレルギーの深刻化によって、そういう人たちの数は増え続けている。
だから、その需要に対応する者も必要である。今後さらに、その必要性は高まっていくだろう・・・。



さてさて、少なからず愚痴めいたこの近況報告を読んで下さった方々、ありがとうございます。

いろいろ頭で考えて理屈をこね回してはみても、状態の悪い時は、つらい、ただつらい、その一言に尽きる感もあります。
春の訪れと、それに伴う皮膚の回復に、望みを繋いで、「サクラサク」日を待ち焦がれる毎日です。

皆さんはお元気でしょうか。
お元気な方はそれが続きますように、そしてそうでない方には、その日が早く訪れますように。

負けずに歩いて行きます。

2007.2.  




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