掲示板に、「妊娠にあたって止むなくステロイド外用剤使用の道を選んだ」方の書き込み(データNo207;07.02.21)があった。すでに皆さんお読みだろう。
いささか長文で一気に書き上げたようなその書き込みは、読むだにつらくなるようなものである。彼女が過去に流産し、今度こそ無事な出産をと切望していることを、私たちは知っている。
それを読んだ私はむろんのこといたく同情する。
こうした一筋縄ではいかない現実に、自分なりの対処をできる判断力と強い精神を持った彼女を、心強くも思う。
それとともに、この患者の選択の重さを受け止め、ひとりよがりでなくこれを評価できる人が、果たしてどのくらいいるだろう、ということを思った。
昨今、日本にはアトピー患者が大勢いて、その治療に関心を持つ人も沢山おり、「アトピーはかく治療すべし」という見識を抱き、さらにはそれを外に向かって主張している人も、素人玄人を問わずあまたいる。
けれども私には、その多くが、自分の信じる治療法に捕われてしまい、全体像を見通す充分な客観性を持てずにいるように見えてならない。
「ステロイドを使うべきだ」「使ってはいけない」という議論は、平行線を辿っている。
「アレルゲンを避けろ」「食事に気を付け養生に気を配れ」「ストレスを貯めるな」「保湿をしろ」「いや、保湿をするな」「〜をつけろ」「〜を飲め」・・・
方法論は、いやになるくらいある。
それらのどれかで患者が順調に改善すれば問題ないわけだが、そうでない場合、患者はどうしたらいいだろう?。
長期間努力に努力を重ねても改善しなかったり、あるいは一度はかなり成果が出たけれども、その後同じ努力を続けているのに、ある時また悪化してしまったりしたら?。
改善や治癒に向けた努力をすることは、もちろん大切だ。
だけれども、人間そうしたプラス指向の側面だけで、生きていけるものではない。
病気とはそもそも、マイナス的な存在の最たるものである。
それを抱えてしまったということそれ自体が、人生のマイナス面との固い繋がりとなる。
マイナスにいることは、嫌なことである。
誰よりも患者自身が、どこかもっとプラスの所へ行きたいということを、当然渇望している。
なのにそれが叶わないことの苦しみ。そのやるせなさ。
その思いを処理するにはどうしたらいいだろう。
「あれをすれば治るよ」「ステロイド付けないから(あるいは付けてるから)治らないんだよ」などと言われることが、その気持ちから救われる助けになるだろうか?。
否、と私は思う。
苦しみのただ中にある時、ではこれからどうするかを理性で考えることとは別に、その感情を処理しなければならない。
その状況の存在を認めたのち、ただ嘆く、慟哭する。恨み、怒り、叫び、泣く。
そういう段階が、どうしても必要だと思う。
そうして、天を仰ぎ、祈るのだ。
人知の及ばない状況に直面した時、人間にできることとは、古来そうしたものであり、今でも何ら変わってはいないのではないか。
アトピー性皮膚炎が、環境アレルゲンや社会的ストレスに反応して生じているものなら、それは現代という時代の生んだ必然である。
その意味では、この時代に生きる人である限り、一定数の人に降りかからざるを得ない災難、という見方もできるだろうと私は考える。
ならば患者は、マイナスのくじに当たっただけのことである。
努力しても首尾良く自分の病気を治すことができないとしても、患者が悪いわけではないではないか。
災害に遭ってしまった人のように、ただ嘆いても、許されていいのではないだろうか。
こんな風にごねるように私が憤慨しているのは、病気を、「こうすれば治るのではないか」という明るい面から見ようとする人は多いけれど、「それでも治らない」という暗い面を見てくれようとする人は非常に少ない、と思うからである。
治療者の多くは、あるべき望ましい経過ばかりを語る。
社会は、治って戻って来ることを要求し、病んでいる期間の患者はいないのと同じ存在だ。
だけど今、患者は確実に、苦しみながら、かつ現実に存在しているのである。
「同病相哀れむ」という言葉は悪い意味で使われるものだけれど、今、私たちに欠けているのは、良い意味で「相哀れむ」姿勢なのではないかと思うのだ。
患者同士の、患者と周囲の、患者と医療者の間で、哀れむ気持ち、ただ「気の毒だ」「つらいね」と思ってあげられる気持ちが流れれば、アトピー性皮膚炎を巡る社会状況は、もっとずっと生き易いものになれるのではないか、と私は思う。
私自身、現在苦戦している患者の1人であるが、そんな私にとって、「あれしろ」「これしろ」という助言は実際、何の励ましにもならない。
嬉しいのは、ただその状態に共感して悲しみ、「良くなりますように」と祈ってくれる、メッセージである。
長い間の悩みが「焦げ付いている」感じがする、と私を評して下さった方がいた。
実に上手いことをおっしゃると感じ入って、その表現はかなり気に入ったが、それでも、私自身は、理性を失ってかたくなになっているのではないと思っている。
その一方で、理性的判断とは別の、感情の部分で、焦げ付くほどの悩みを抱えているのは確かにそうだ、と思うのだ。
多くの、重症アトピー患者が、おそらく同じような状態にあるだろう。
彼らの多くが、するだけの努力をして日々を過ごしてきたのだ。
それでも尚、不本意な状態に耐え続けなければならないでいる現実ゆえに、思いは焦げ付かざるをえない。
その思いを治そうと思わないでほしい、そうではなくてただ容認してくれたら、もっとずっと患者は救われた気持ちになれるのではないだろうか。
文頭で言及した書き込みは、まさしく不本意な現実の中で、それでも懸命に生きていこうとしている患者の苦渋を書いたものである。
「ステロイドなんて、止めときなさい」という制止も、「怖がらないで使っていいんですよ、それが一番いい治療なんです」という懐柔も、彼女にとっては無意味だろう。
私は、ただ応援したい。彼女の選択を、楽でないことを知っていて選んだその決意を。そして、いい結果の出ることを、祈っている。
同じ時代に生まれ遇わせ、同じような苦渋を背負った者として、私たちは、共感し合い、励まし合って生きていくことができると思う。
それは、病気を治すことはできなくても、何がしかの治療の力となるかもしれないし、そうでなくても、私たちが互いにより幸せに生きていくことの力には、なれる筈だ。
そして私たちは、幸せに生きていきたいのである。
2007.3.