両頬が真っ赤に皮剥けし痂皮(かさぶた)が張り付いた顔の、小さいお子さんの患者さんが診察にいらした。
数ヶ月以上に渡って、マイルドクラスのステロイドを外用していたが、「良くなったかと思うとまた悪くなる」の繰り返しだという。
お母さんは、途方に暮れているように見えた。
私は、できればステロイドを止めさせたいと思っている医者だから、
「試しに顔はワセリンだけにしてみるのはどうですか?」
と提案し、そうすることになった。
次の来院時、その子の両頬はピンク色に滑らかになっていて、その中に赤いぶつぶつが数個ある程度にまで、回復していた。
こういうことも、実際にはある。
「がっちり治療しないから、良くならないのだ。」
という考えが、アトピーの標準治療の皮膚科医には根強い。
「ステロイドの、外用量が足りない」
「期間が足りない」
「強さが足りない。」
だから、良くならない、と。
最近では、顔面にはマイルドクラスまでという原則を乗り越えて、症状の強いときには、ストロングクラスないしそれ以上も必要だ、という考えさえも、例外的ではなくなってきているようだ。
より強いものをよりがっちり塗れば、それは効くだろう。
効かなくては困る。
そうして苦痛を除き、悪循環を断つというのも、ひとつの見識であるに違いない。
けれどその場合、長期的副作用の懸念は、本当に医師が言うほど確実に無いものなのか?。
今までの所、そうした患者さんたちが大過なく過ごせているとしても、同じように10年20年30年と、アトピーが軽快するまでか寿命が尽きるまで、問題なく過ごせるという保障はない。
「押しても駄目なら、引いてみろ。」という至言がある。
1990年前後頃であろうか、乾癬の大悪化で、全身真っ赤の紅皮症にまでなった患者さんには、むしろ外用はワセリンだけにする、というような治療が試みられた時期もあった。
そうしたことは古き佳き時代の幻なのか、最近の皮膚科治療は、なまじ強力な押し道具があるゆえにか、押し一辺倒に陥り勝ちになっているように感じる。
ステロイドを嫌がる患者を、医師は「ステロイド恐怖症」とか、「ステロイドを拒絶する」、「忌避する」などといった言い方で呼ぶ。
私はこれらの言葉には、違和感を禁じ得ない。
「ステロイドを使うのが当然」という前提から見ているから、出てくる言葉なのだろう。
「こんなによく効くステロイドを使わないなんて、信じられない―理解できない―愚かだ。」
そんな侮蔑が、それらの言葉の裏に透けて見える。
自分を否定的に捉えている医師に、患者が心を許すことは難しい。
そういう医師の一方的な支配をこそ、患者は、恐怖し拒絶し忌避するだろう。
アトピー性皮膚炎は、経過の長い病気である。
今が良くても悪くても、1年先はどうなっているか分からない。
押して良くなることもあれば、引いて良くなる時もある。
それでいいじゃないか、と私は思う。
多くの医師は、功を急ぎたがる。
「私の所へ来てから、患者はどんどん良くなった。」
「前の医師では、いっこうに治らなかった。」
けれど、前の医師の元でも、いい時期はあったかもしれないし、
良くなったこの先もまた悪化して、患者がまた別の医師の元へ、去る時が来るかもしれないのだ。
「患者さんを治したい」という願いでなされる医師の努力は、どれだって尊いだろう。
全く違ったり、正反対の方向性でも、それぞれに理があるかもしれない。
目に見える効果は、タイミングや運にさえ、影響される。
他の医師の努力をあなどれるほど、自分が偉いかどうか、誰でも考えてみた方がいい。
手柄取りのシーソーゲームなんて、空しいだけだ。
無い知恵を絞っての治療をしながら、私はいつも祈り願っている。
「この人の病が快癒するといい、楽になれるといい」と。
そうしてその願いが叶わぬ時には、患者と共に嘆き、
叶った時には、自分が役に立ったという、幸せに浸る。
ゲームの一場面に一喜一憂することなく、信じる道を進んで行きたい。
2010.1