[ 海水浴 ]




海に行って来ちゃいました☆。
疲れたぁ〜。まだ頭がぼ〜っとしてます。

子供の頃行った時はほんとに、しみて痛くて、と恨みがましいことをつらつらこのサイトの履歴でも書いたように、私は海水浴っていうのは苦手で、今までの人生で、片手で数えられるくらいしか行ったことがありません。
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. プール以上に海水は肌にしみて堪らないし、傷があるとわかっている皮膚をむき出しで砂と接するのも、どうにも落ち着きません。
いつも、痛いな、大丈夫かな、と思いながら過ごしていて、楽しかったという記憶がないの。

ただ状況に適応するために、周囲から浮かないよう、他の人と同じように楽しんでいる姿に見えるように一生懸命振る舞っていたような気がします。
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ではそれなのに何故行こうと思ったか?ですが・・・。

実は昨夏水族館に行ったのですが、それが海のすぐ側で、海水浴の行き帰りの大勢の人たちとすれ違う所だったために、図らずも帰りに海岸に寄ることになったのです。
初めて海に来た娘はおおはしゃぎで、砂の上を走り足を水に浸けてひとしきり過ごし、その後二人で海の家で夕日を見ました。

そうしたらなんていうんでしょうか、それが思いの外気持ちが良くて、うだるように暑いんですけど、海の家の前から後ろへ通り抜けていく海風が、なんとも言いようのない独特な感触で身を包みこみ、皮膚を、体を、元気にしていくような気がしたのです。

海の家の人が、「私たちも、シーズン始めの2、3日は、きついんですよ。でもその後やめられなくなって、結局毎年来続けるんです。」と言っていました。
その言葉で、『へえ、丈夫な人でもそういうジレンマを感じるんだー。』と思ったら、弱い自分へのコンプレックスが薄らいで、なんだかちょっと自信が付いちゃったりして(^^;)ゞ。

そして、「今度は海水浴に来たい。」という娘のリクエストに、「そうだね。」と頷くことになりました。
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. やはりしみるプールが苦手な娘は、未だに全くの金槌です。
でも海ならば、浮き輪を使って当たり前、恥ずかしくもないからいいですね。

海岸にパラソルを構えたと思ったらもう、海に駆け込んで行った娘。
10〜15分後に出て来た時には、膝の裏などがしみて少しつらそうでしたが、波という未体験の刺激の楽しさに、すぐまた水の中に引き戻されて行きました。

さすがに私は泳ぐほど肌の状態と体力に自信はなく、浜辺で見学です。
しかし気持ちいい。
暑さが嫌じゃなくて、空気が風が違って、地平線まで見渡せる有機的な風景が目に心地良い。

これが自然の力というものなのでしょうね。
普段いかに人工的な環境に生きていることか、と思います。

泳がないにしても、歩くくらいはしようか、と、待っている間に水際をあっちにぺたぺた、こっちにぺたぺた。
ビーチサンダルの足に膝下まで波をかぶって、ちょっとかがんで手も浸けてみたり。
う〜、やっぱりしみる〜、いたた・・・。
でもじき渇くから、こんな日射しだもの。

水はとってもきれいでした。有難過ぎるくらい。
海での日射しは砂の照り返しもあり、短時間でも強力で、日焼け対策は必須です。
長袖はさすがに暑くて厳しいと考えると、どうしても必要になってくるのが日焼け止めクリーム。

紫外線吸収剤でなく散乱剤のみ(ノンケミカル)・無香料無着色のものを選び、それでもかぶれるのではないかと心配しながら付けたそれでしたが、付けた所に何の異常も起こらず、まずは順調。
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. でもね・・・やっぱり思う。
『半袖から出ているこの私の腕の皮膚、なんて無惨。』 きめが粗くぶよぶよした凹凸があり、かさついている。

確かに8〜10年前の赤黒く波打つ象のような肌ではもう全然なく、我が身の歴史だけを考えれば、よくぞここまで改善したものと感慨もひとしおなのですが。
それでも、まだ正常な人の皮膚とは全然違うんだな、ということもまた改めて意識させられるのです。

周り中を行き来する人の露出した肌。
色の黒い人も白い人も、子供も大人も、みんななんて滑らかで美しいのでしょう。
思わず知らず、目はそこに吸い付けられます。
『−嗚呼、実に羨ましき哉!−』

見ていると、『私って欠陥人間なのかな』と思います。
私の皮膚は常に病んでいる。
いつも、痒い痛いの心配をしながら生きている。
情けないこと・・・。

でもまあ、こんな所には皮膚も体も元気な人しか来ませんからね。
そこの一員になれているだけでも、上出来と考えるべきでしょうか。
そういえば、皮膚がどんどん悪化していった時期に最後に行ったプールでは、水着を着ながらも、自分の黒く荒れた肌が人目にとまるのでは、と気になって仕方がなかったけど、不思議と今はそんなことはありません。

いろいろ経験して図太くなったせいか(!?)、良くなってきたことに対する自信か、その両方か、わからないけれど、あの頃より、気持ちはずっと解放されています。
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. 面白かったのは、海で見る自分の腕は、きめの粗さが普段よりひどかったということ。

それは明るい日射しではっきり見えるせいばかりでなく、実際に肌がいつもより腫れぼったくなったりかさついたりしているようでした。
強い日光や潮風の刺激に、肌が反応していることの現れなのかな、と推測しました。

この突然の環境の変化に、さぞかし皮膚も驚いたことでしょう。

けれども、対応しかねている感じはしませんでした。
不快や不吉な感じはなく、皮膚が適切に働いて、すべき対処をしているように見えました。
暑いし、風は強いし、砂は入るし、潮風はまつわりつく。
私の肌は不細工。

でも全体として、何だか気持ちいいなあ、と今回は思えたのです。
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. 考えてみるに、状態が悪くて心も体も余裕がなければ、どうしたってつらさの方が勝ってしまうのが当然ではないでしょうか。
夏の海の刺激は、塩水といい、日射しといい、ことさら強力なものですから、それらが受け手の容量を超えてしまえば、いい結果にならなくなるのだと思います。

だから今考えるのは、『夏になったら海に行きたいと思えるくらいの体調を、ずうっと維持できたらいいなあ、幸せだろうなあ。』ということ。

ひどい時は、たとえ始めの痛みを乗り越えればよくなるとしても、そんな苦行はまっぴら御免、という気持ちはやはり変わりません。
それと他人からの押し付け、「行け、行って治して来い。」も嫌だなあ。

行くなら治療という悲愴な気分でなく楽しみのために行きたいし、行かないからといって治す努力を怠っていることにされちゃうのも、本当に腹立たしいです。
嫌々行ったのでは、良くなるものもならないのでは、と思い至る度量を持ってほしいな。
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私にとっては大冒険の今回、
直前はよく休んでなるべく体力を付け、運転の労力も避けて電車で行き、日射しの一番強い時間帯を避けてパラソル・帽子・日焼け止めと準備、お茶類と電解質ドリンクで水分補給、2時間くらいで切り上げて、消化のよさそうなものをしっかり食べて休んでから帰る、
というスケジュール。

無理をしないことを第一の旨としました。
それでも、疲れたぁ〜でした。

ビーチサンダルを履いた足と、重い荷物を担いだ肩が、翌日ちょっと筋肉痛(笑)。
普段使わない筋肉を使ったからですね。
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. お盆を過ぎると海が荒れるというから、その前のいい時期に行って来れて、よかったです。
大雨の日にも当たらなかったし、波は静かでした。

娘がクラゲを見ました。
刺されなくてよかったー。
今年は水温が低くてクラゲは少なめだそうです・・・。
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−さて、海水浴はアトピー肌にいいか?。
結果はYESでした。良くなりましたよ。

帰りに塩水を落とす時の塩素入りシャワーでもつっぱり感はなく(その後保湿剤もなんにも付けず)、次第に皮膚が引き締まってきて、今までより一段きめが細かく、しっとりした皮膚になったようです。
私は手足しか海水に浸けませんでしたが、体の肌も同様に良くなりました。
娘も一番ひどい鎖骨部と膝裏の湿疹が減って、お風呂でも痛がらなくなりました。
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. 海水浴が効く理由はいろいろ言われているようですが、
1)海水の成分の効果
 ・・塩の殺菌作用とその他のミネラルの効果
2)太陽光線特に紫外線の効果
 ・・免疫系と皮膚細胞増殖の調整
3)転地・自然のリラックス効果
といったところでしょうか。

2)はかねてから皮膚病の乾癬治療のスタンダードではあるし、アトピーに対しても最近UVAやUVBの照射が試みられていますね。
花粉症の炎症を鎮めるという記事も目にしました(Medical Tribune 2005.08.11)。
ただしあたり過ぎれば皮膚の老化と発癌という害作用が。
いろいろあるけど、自然はやはり人間に厳しくあたるだけではなく、人間が知っているいないに関わらず、人間の社会と体に様々な恩恵を与えてくれるものなのだと、私は思うのです。

アトピーは、人間が自然の中での生き物としてのあるべき位置をはずれてきてしまったことで、拡大している病気なのかなあ、という気がします。

自然から遠ざかり、無機物と合成物の中で暮らしていることで生じた歪みが、症状として顔を出すのかもしれません。
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. 今年は楽しかった海水浴、私たちは来年も行くのでしょうか?・・・。
それは分かりません。
今度はもう娘は友達と行っちゃうかも。

でも、いつか私も、海水に入り楽しめる時が来たらいいなぁ、と思います。
楽しい夏の思い出、皆さんもきっとそれぞれに作っておられるのでしょうね。
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2005.8. 

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