掲示板で白色皮膚描記症の話題が出た
(データNo.35-36)
。
いったい何故アトピー患者の皮膚に、このような現象が起きるのだろう?。
病的であることのひとつの証拠として、悪く考えられがちなように思われるそれであるが、私は、或いはこれはアトピー患者に於いて、皮膚の炎症が際限なく悪化していくことを防ぐための「安全弁」だったりするのではないか、というふうに思ったりするのだ。
だとすればそれは決して悪いものではなく、出るべき炎症を出しつつ、同時に自分の体を守っていこうとする、まさに「からだの智恵」ともいえるのではないだろうか。
そんな考えを持つ私には、患者が自分の皮膚を「掻く」ことが、巷間言われているようにそんなに悪いことだとは、どうしても思えない。
何かしら、それは患者の体にとって必要なものなのではないか、だからそう知らせるための信号として痒みが起こっているのではないか、という気がしてならないのである。
「痒み」は、アトピー患者にとって、永遠の一大テーマであろう。
私にとっても無論そうだ。
それについての私の考えを記したのが、数年前あるサイトへ書き込んだ、以下の文章群である。
勢いできつい物言いをしているなど、読み返して恥ずかしいような部分もあるが、考えとしては大旨変わっていないので、挨拶や話の横道へそれた部分だけを除いて、後はほぼそのままここに再掲載しようと思う。
書き込みにはレスが付き、何回かレスの応酬が続いた。
相手の書き込みの中で私がレスをした部分については、話の流れが分かる程度にその要約を記している。
尚、文中に出てくる「嗜癖的掻破行動」とは、アトピー患者の掻破行動に対して、当時皮膚科の学会内で提唱され盛んに議論されるようになっていた概念で、その後(2000年)に日本皮膚科学会雑誌に論文として掲載されてもいるものである。
書き込み(1)
アトピー性皮膚炎の患者で、「掻かない方がいいよ」といわれたことのない人はいないだろう。
____本当にそうだろうか?。
アトピー性皮膚炎で痒みが生じる理由は解っていない。一般に、痒みのメカニズムもいまだ解明されていない。痒みを評価する客観的な信頼に足る指標さえない。
そんな状態での痒みの意味付けは、「解釈」や「仮定」の域を出ない。どんなにもっともらしく唱えようとも、裏付けを持たない机上の論理でしかない。
一方アトピー性皮膚炎が、強い痒みを必発する疾患であることは、誰もが認める事である。
あらゆる教科書に痒みを伴うとの記載はあるし、中には痒みの無い患者もいるとの記載は見た事がない。
だとすれば、この「痒み」は、アトピー性皮膚炎という病気の根本に関して、何か重要な意味を持っているものとして捉えるべきではないか。
痒みが、異物を掻き取るためのしくみだという人もいる。それは、考慮に値する考えだと思う。
抗原やブドウ球菌を除こうとする自己防衛のしくみかもしれない。
また、アトピー性皮膚炎では、「白色皮膚描記症」という現象が知られている。
掻けば通常の人では充血して赤くなるのに、患者では白くなる。それは、掻くことにより、血管を収縮させ、炎症を起こす物質の血管からの漏れ出しを止めて、炎症症状を軽減しようとする体の試みとも考えられる。
さらにより本質的に、全人的医療の見方では、病気の症状(この場合痒み)は、体に、修正を要する何か重大な異常が生じていることに気付かせる体からのメッセージと捉える考えもある。
掻き壊せば皮膚が傷みバリアも傷害されると医師は言う。それはそうだろう。
しかし私が思うのは、
何故自らの皮膚を壊さずにいられない程強い痒みが生じるのかという事が根元的な問題であって、
掻いて二次的に皮膚が傷む事の影響というのは、枝葉末節の問題ではないか
という事である。
掻かないよう指導することで快くなるともし言うのなら、実際にステロイドも要らない程に軽快した人が、何人中何人居たのか、是非提示してみてほしいものだ。
手を組んだり、掻いた事実をノートを付けたりすることで我慢できるほどの軽い痒みなら、患者は苦労したりしやしない。
掻く事の害を必要以上に強調する事は、医師の利益にはなるが患者の利益にはならない。
医療者のなすべきは患者の苦しみに寄り添う事であって、患者をおとしめる事ではないだろう。
痒みを止められぬ自分に恥じ入る事もなく、患者に責任転嫁する事が、医師の仕事だろうか。
「ストレスを解消するため痒くない時も掻いている」といい、「嗜癖的掻破行動」という大変に無礼な言葉まで造り上げ、掻いていれば「治療意欲に乏しい」と判定する。
果てしない痒みとの苦闘に日々を過ごす患者にこのように接することが、残酷だとは思わないのだろうか。
書き込み(2)
(書き込み(1)に対して、Aさんより『掻くと治らない』という主旨のレスを頂く。
それに対して再び書き込み)
Aさんのお書きになった事は、まさしく従来医師が語り患者が信じてきた良識的常識的な考えだと思います。私が書きたかったのは、その「常識」が「真実」なのかどうかという問題提起です。
医師としての観察と、患者としての体験から、私はその「常識」に強い疑問を感じます。
例えば、少し前までアトピー性皮膚炎患者の大半は、大人になる前に軽快していました。
子供とは、欲求に忠実なものです。痒ければ掻きむしります。しかし掻いていたとしても、成長と共に増した自然治癒力がアトピーに打ち勝っていったのです。
この一点を見ても、「掻くと治らない」という理論は破綻していないでしょうか?。
私ももう何年も激しい痒みと共に生きています。この痒みはとても掻かずに我慢していられるような生易しいものではありません(痒み止めはほとんど効きません)。
毎日沢山掻いていますが、皮膚の性状も炎症もゆっくり改善してきています。そして、よくなった分だけ、痒みの強さも減って、自然に掻き方も弱くて済むようになってくるのです。
出血しても傷を付けても、体はかさぶたを作って治してくれます。
もちろん「どんどん掻きなさい。掻けばアトピーは治るんです。」などと言うつもりはありません。
掻かないで済めばそれにこしたことはないと私も思います。ただ、
“ 掻かずにいられぬひどい痒みだ ”という事と、
“ アトピーになって痒くなったから掻いているのであって、好き好んで掻いてアトピーを作っている訳ではない”という事が、
軽んじられ忘れ去られ、代わりに “ 掻いて悪くしている ”という言葉が一人歩きしている気がしてならないのです。
虫刺されについて書いておられますが、虫刺されは急性疾患で、我慢して、症状がひどければステロイドでもつければ、一週間程で完治してしまう病気です。短期間なら、痒みをこらえることもできるでしょう。故に掻かなければ早く治るということにもなるでしょう。
しかるに、アトピー性皮膚炎は、何年も何十年も延々と痒みが続く慢性疾患です。その間ずっと掻かずにいるということが、果たして人間にできることでしょうか?。我慢した反動がきて、ある時恐慌のように掻きまくるのがおちだと思います。人目のある昼間は意識的無意識的に掻かずにこらえ、トイレの中、帰宅してから、夜にどっと痒くなり掻く、ということを、患者の方なら誰しも経験していることでしょう。
「掻かないように」と、できない我慢をさせることが患者の心にかける負担のことは、不思議と誰も口にしないのです。
「嗜癖的掻破行動」(痒くないときも掻くことが癖になっていて掻き続けること)という言葉を言われたら、Aさんはどう思われますか?。私は大変傷つきます。
非常に痒い事がはっきりしている病気で、痒くない時に掻く事を何故こうも問題にするのでしょう?。
患者が自発的に掻き壊さないよう努力することは尊いと思いますが、Aさんもご指摘のように、大事なのはより本質的な体質改善の努力だと思うのです。掻かないことよりも。
書き込み(3)
(『「掻くと治らない」というより「治るのが遅くなる」という表現が良いかも』というAさんのレスに)
「掻くと治るのが遅くなる」という言い方も嫌なんです。
「ほら、また掻いてる!。だから治るのが遅くなって、いつまでも良くならないんだよ!!。」という医師や周囲の
言葉になって、結局、患者が悪いかのように責められるすりかえが起こるという点では、同じ事だからです。
(『掻けば必ず悪化した自分の経験から、掻くことは自然治癒力を低下させることになると判断して掻かない工夫と努力をした』(A)というレスに)
私は別にAさんを説き伏せようとは思いません。Aさんのお考えはAさんの自由だし、私は尊重します。
このやり方で絶対に治してやるんだという強い信念は、体内の治癒力を発動させるということが精神神経免疫学では論じられており、その意味でもこうした信念と努力は非常に有意義でしょう。
ただ、例えば、ステロイドが免疫を抑制し、その結果治癒力を低下させるという事は科学的事実ですが、前にも書いたように、掻くと悪化するのかどうかは、誰も証明できていない事です。
掻き壊せば出血したり傷ができたりしますが、それは、掻き傷ができたという事であって、アトピーが悪化したという事ではないでしょう?。
また、掻けば掻く程赤みやぶつぶつが広がっていったとしても、それは他に何か原因があってアトピーが悪化する時期だったからで(だからこそ痒くなったのでしょう)、掻かなくても悪化していたと考える事もできます。
他の要因を全て同じにして、掻いた場合と掻かない場合で比べることでもできない限り、因果関係を「事実」として言うことはできません。
だから、Aさんが「掻いたせいだ」と「解釈」するのも自由だし、同じように、私が「掻いても治る」と「解釈」するのも自由なんです。
私が言いたいのは、それを、「科学的事実」だあるかのように受け取れる言い方で、医師や周囲が唱えることが、誤っているのではないか、患者を不当に傷付けているのではないかということです。
(『掻いた次の日悪化したところを見るのが大きなストレスで、掻けばそうなるぞと自分に言い聞かせて、痒い時さする程度で我慢していた』(A)という内容の文章に対して)
ここまで読んで、ちょっとびっくりしました。
勿論私も掻いた後、次の日といわずその日の内にひどくひりひりして苦しみます。その時、「痛ーい!。掻かなきゃよかった」と後悔するという患者の話も沢山見聞きしました。
でも、診療、本、雑誌、ネットなどを通じて沢山の体験談に接してきましたが、「だからといっていざ痒い時にはとても掻かずに我慢できるような痒みではない」「掻いては痛みに耐えることの繰り返し」「せいぜい出来るのは“なるべく”掻かないようにすること」、といった嘆きが普通です。
私自身も、誰かがさすっても、その手を払いのけて掻くでしょう。
どうしたら、掻かずにさするだけで我慢できたのか、その極意を是非是非教えて頂きたいものです。
書き込み(4)
(『私は皮膚がかぶれ易い(アトピーがよくなった今でも)体質のようで、掻くと白くならずに、すぐ皮がむけて血がにじみ、翌日かなりじゅくじゅくになり、すぐ薬を付けなければいけなくなった。それを繰り返していくうちに、薬を付けてもなかなかよくならなくなり、「絶対、掻いてはいけない」「体質改善」するしか無いと考えるようになった。』(A)に対して)
(かぶれるとは、原因物質に触れることにより接触性皮膚炎を起こす状態のことですから、厳密にいうと、Aさんがおっしゃりたいのは、負け易い皮膚という意味と拝察します。)
いささかうがった見方を許して頂ければ、Aさんは一定期間ステロイド外用剤を使っていらしたように読み取れますが、だとすると、ステロイドの局所での副作用に、皮膚萎縮・毛細血管脆弱化があります。
本来はもっと丈夫な皮膚を持っていたのが、治療している内に、掻くとすぐ傷つき血が出てじゅくじゅくする皮膚に変わっていたという可能性も考えられる訳です。
嫌味な考えとお思いになるかもしれませんが、そういう見地からもし見直してみるなら、また違う結論も出て来得るのではないでしょうか。
とはいえ、患者にとって、自分の経験が何よりも重いのは、当然のことです。
言われることを鵜呑みにせず自分で真剣に考え情報を集め判断する姿勢も、とても意義ある事と思います。
ただ、もしAさんが、「私は掻かないで完治させたんだよ。だからあなたも治したいなら掻いちゃ駄目だ。」と他のアトピー患者にいうとしたら、それはやっぱり不条理な押し付けになってしまうと思うのです。
治療方針を決める権利は、その人本人にしかない筈です。
また、余計な事かもしれませんが、「自分が特別OOな体質だ」というふうにはあまり考えない方がいいと思います。
「私は皮膚が弱いから気を付けよう」と思っている分にはいいのですが、ややもすると、「私は体質だから治らなくてもしかたないんだ、すなわち私が悪いんだ」という、自分を有罪とする思考につながっていきます。こうした思考パターンは、それこそ自然治癒力を減退させます。
のみならず、治せない理由づけが欲しい医師の、思う壷ともなります。
「掻くと悪い」というテーマにも、これと同じ構造を私はどうしても色濃く感じ、それこそが私がこの言い方を認めたくない理由なのです。
悪いのは“病気”であって、“あなた”は悪くない。
病気である自分に罪悪感を持つ必要はないし、持たせるようにしむける人がいるなら、それは誤りであり、耳を傾ける価値の無いアドバイスです。
遺伝子は変えられなくても、症状が軽快するという希望は、誰だって持ち続ける権利があるのです。
書き込み(5)
Aさんご自身、“MIOさんの程度と違い、自分の場合痒さが我慢できる程度や、所なのかもしれ”ない位で、しかも、“アトピーを治すため、執念といえるような努力”をしたにも関わらず、“約3年間かゆみとたたか”わなければならなかったのでしょう?。
(注“ ”はAさんの文の引用)
(この前に話題に出ていたNHK「がん治療最前線」について)
私は、この番組で取り上げられたことたちは(東洋医学やその他の代替療法、精神神経免疫学的なアプローチ、それを実践する帯津三敬病院の試み等)ひととおり勉強しました。
しかしそれらの療法を駆使してもなおアトピー性皮膚炎は難物なのです。
専門医に正しく診てもらい漢方薬を処方されたとしても、気功を始めたとしても、それでみるみるよくなる人は、残念ながら、一部なのです。
私は、この点に、掻くことの害が過剰に強調される土壌があると思っています。
いつまでも、何をしても治らず、つらい思いをしつづけなければいけない患者。
その患者と接し続け、患者の前で「病気についてより良く知っている人」としての権威を保ち続けなければならない医者。
「先生、こんなに一生懸命あらゆる努力をしているのに、何故私はよくならないのでしょう!?。」
「何でもいいです、少しでもよくなる方法はないんですか!?。」
と詰め寄る患者に、医者は、何か答えなければなりません。
それが、アレルギーの検査であり、ステロイドの正しい使い方であり、ブドウ球菌対策であり、スキンケアであり、そして今、掻かないことがそこに加わったという、とらえ方ができると思います。
次々移り変わっていくトレンドのように、ひとつのネタが使い古されると、別のが考え出されるだけの事です。
世間ずれした皮肉な物の見方ですが、何が正しいか定まっていないアトピーの世界では、患者が翻弄されないための自己判断の材料として、こうした医師側の事情を知ることも必要になってくるでしょう。
(『体の基本を考えて見てください』というAさんに対して)
基本に立ち返ってみたからこそ、たまらなく痒いのに、そこを掻いてはいけないということが、とても不自然で人工的なことに感じられてならなくなったのですよ。
手を組ませたり、掻破日記をつけさせたり、掻かなかったら誉めてあげたり・・・そんな風にして、脂汗を流して、息を止めて、じっと掻かずにこらえろというのですか?。
さながら、我慢大会か、根性物語のようじゃないですか。
書き込み(6)
(『掻くほど自然治癒力を低下させる。痒い時は「掻けばいい」なんて表現は、アトピーを長く患う人を増やす。』(A)に)
自然治癒力という言葉が一人歩きしているようですね。
掻けば自然治癒力が低下するというAさんの主張は、正しくないと思います。
掻いて傷を作れば、その傷が治るのに一定の時間を必要とします。
しかしそれは自然治癒力が低下したということではありません。
体が自然に傷を修復し治す「創傷治癒」の機転は、まさしく人間の体の自然治癒力の一部ですが、その能力は、掻くことによっていささかも損なわれはしません。
何回掻き壊しても、同じ時間で傷は治ります。
掻いて皮膚のバリア機能がより破壊されてより多くのアレルゲンが侵入したり、掻くことの物理的刺激が炎症反応を誘発したりする可能性はあるでしょう。しかしそれは、その時の炎症が強くなるというだけのことです。
炎症が起こらない体に戻そうとするホメオスターシスのしくみ、すなわち自然治癒力が、それによって損なわれるという証拠は、何もありません。
むしろ、患者が、「自分は掻いてしまう悪い患者だから、治るに値しない駄目な人間なのだ」と思い込むことが、自然治癒力を減退させることが、解明されてきています。
Aさんご指摘のNHKの番組でも出てきたように、心の働きが、脳からの指令となって、免疫系・内分泌系に影響を及ぼすことは、いまや周知の事実です。
レモンを想像すると唾液が出るように、きっと失敗すると思ってやった事はやっぱり失敗するように、「私は悪い患者だからきっと治らない」と思い込ませることは、その患者の生理機能を確実に治りにくい方向へ持っていくのです。
わかりますか?。掻くことが自然治癒力を低下させるのではなく、「掻いちゃだめだ」と患者を責めることが、自然治癒力を低下させるのです。
「掻かないように。」という押し付けは、無意味であるばかりでなく、患者にとって、有害なのです。
書き込み(7)
少々乱暴な言い方になりますが、3ヵ月や6ヵ月で治ってしまったり、掻かずに我慢できる程度の『軽い』症状の人が、掻くことをいいと思おうと悪いと思おうと、私はどちらでもいいと思うのです。
私が問題にしたいのは、“可能な限りのあらゆる努力をしても、何年も何十年も治らず、苦しみ続けている人に、確実な根拠のある事実でもないのに、「あなたが掻くから治らない(または治りが悪くなる)」という言葉を投げつけることの、理不尽さと残酷さ” です。
患者はまず、いつまでも治らないことに傷ついています。
治っていく人もいるのに、自分が治らないのは、自分の何がいけないのだろうと、常に考えています。
そして、果てしなく続く怒涛のような痒みに苦しみ続けています。それは、こんな底知れない痒みがこの世に存在するなんて、思ってもみなかったような、尋常でない痒みです。
何でこんなに痒いのだろう、こんなに痒いなんて、自分はどんな悪いことをしたんだろう、という思いに捕らわれます。
さらに、その抗い難い激しい痒み故に、自分が掻破してしまう事実に傷ついています。
誰が好きこのんで自分の体を傷つけたいでしょう?。できた傷の痛みに苦しむのも他ならぬ自分なのです。
それでも、掻かずにいられない自分に、自己嫌悪に陥らずにいることは、とても難しいことです。掻いてしまう自分が悪いと自分を責める、思考の罠にはまりそうになります。
ここまで既に苦しんでいる患者に、「そうだよ、あなたが掻くから治らないんだ」と追い討ちをかけることが、いったい患者のためになると思いますか?。患者のことを思いやるそぶりをしていても、実は他人事としか考えていないから言える言葉だと、私は思います。
本当に患者を救いたいなら、「そうだね、痒くてつらいよね、掻いたあとは痛くてつらいよね」と、その深い苦しみを受け入れ、認め、共感して、寄り添ってあげること、それこそがなすべきことではないですか?。
書き込み(8)
(Bさんより、『「3カ月くらいで治る程度の人」という書き方はどうか』というレスを頂く。)
お説ごもっともです。症状の軽い人の苦しみは軽い、などとは、私も全く思っていません。
重い人にも軽い人にも、どんな病気の人にも、それぞれの苦しみがあり、その苦しみを比較して(質的にも量的にも)、優劣をつけることは、無意味だし傲慢だと考えています。
しかし私がああいう言い方をしたことで、不快に思われた方も少なからずおられるでしょう。お詫び致します。
さてその上で、敢えてああいう乱暴な言い方をした言い訳をさせて頂きたいのですが。
敢えて言うなら、Aさんの経験談に、私はどうしても、アトピー性皮膚炎患者らしいリアリティに欠けるような、違和感を禁じ得ないのです。
自分も重度でないかも、とおっしゃるBさんも、片手を抑えられても反対の手で掻く、と言ってらっしゃいますよね。
ことほどさように、激しい痒みを必発症状として知られているアトピー性皮膚炎の患者で、「全然掻かずに我慢できる人」を、私はいまだかつてひとりも見聞きしたことがありません。
ことによると、Aさんは、病気を克服し治っていく過程で、「できるだけ掻かない努力をしていた」のが、いつのまにか、「全然掻かないでさするだけでいられた」という記憶にすりかわってしまったのかもしれません。
いずれにしろ、Aさんがご自分の主張の根拠にしている経験談の記載は、アトピーにしては不自然に『軽い』と
私には思われてならず、その気持ちがあの言い方になりました。
アトピーは「たまらなく痒い」はずなのに、Aさんの話は、「痒みはその気になれば我慢できるはず」という考えでつらぬかれています。
ここまで書いて、この点は、患者と、医療者(及び患者周囲の人たち)との、痒みについてのすれ違いの根幹をなす問題ではないかと思えてきました。
すなわち、患者は、「たまらなく激しく、掻かずにいられぬ痒み」を相手にしているのに、医療者らはそれをあくまでも「その気になれば我慢できるはずの痒み」としか考えてくれないのです。
医療者らがこの「我慢できるはず」という考えを捨てて、患者のありのままの痒みの強さを推し量ろうとしてくれない限り、患者は、周りからの圧力という、不当で余計なストレスに悩まされつづけるのでしょう。
書き込み(9)
(これまでに)
実際痒みについてAさんがどの程度論じて下さっているかというと、
「自分は掻いたときひどくなった、虫刺されは掻くと長引く、だから掻くのは悪いことでアトピー性皮膚炎を
治らなくする」という主張が繰り返し述べられているだけです。
一方私は以下のような主張を展開してきましたが、
「痒みを、もっとアトピー性皮膚炎という病気の本質として捉えるべきではないか。」
「痒みそれ自体が、異常な状態を修正しようとする体の働きかもしれないし、体からの警告かもしれない。」
「子供の自然治癒例を見れば、掻いても治っている。患者は皆掻いてる、それでも治る。」
「痒み故に掻く事ばかりを重大視して、あたかも患者が自分で好んで病気をひどくしているかのように言うのは誤っているし、患者を傷付ける。」
「患者が掻く事が、医師が治せない事の言い訳として使われている。」
「やむをえず掻いている患者に掻かないように言うのは、おまえが悪いと責めているのと同じ事。」
「責められ自信喪失すれば、自然治癒力も減退する。」
「掻かないで(掻かなきゃ治るのに)と患者を責めるより、痒みという患者の苦痛に寄り添う事の方が、患者のためになると思わないか?。」
Aさんのレスはこのそれぞれに対して、実質的に何の反論も含んではいないのです。
Aさんは、「自分の場合痒さが我慢できる程度なのかも」とご自分でおっしゃっています。
しかし、アトピー性皮膚炎特有の、我慢できない程の激しい痒みこそが、問題のスタート地点なのです。
それを知らずして、そしてそれを推し量ろうともしないで、−これはまさに多くの医療者や患者周囲の人もまたしかりという問題の核心の点だと私は考えていますが− 痒みについて何を語ろうとも、患者にとっては、「どんなにつらいか知りもしないくせにいい気なもんだ。」としか思えないし、仮に善意から「掻かないで」と言ったとしても、「出来るものならやってみろよ、掻かないでいられないからつらいんだ。」としか考えられません。
結局、責められた恨みを患者に抱かせる行為にしかならないでしょう。
ひとつ、私の患者体験を話しましょうか。
どんどん広がって悪化していた時期のことです。
ある日、それまではなかった両手の甲に、強い痒みを感じました。両手の甲全体に皮疹ができていました。
「げげっ。こんな所まで広がってしまった。頑張って早く治さなくちゃ。」と私は思いました。
すでにステロイドと抗ヒスタミン剤は、その一時凌ぎに嫌気がさして使っていません。
「掻いちゃだめだぞ、さするだけにしよう。」そう思ったのです(笑)。
丁度車を運転している時でした。ハンドルの上に置いた手を直視しないようにし、波のように押し寄せる痒みのことをできるだけ考えないようにし、手をさすりさすり、耐えました。
「我慢我慢、そのうち痒みがひくさ。掻き傷を作ると痛いもの。炎症もひどくなるし。」まさに自分にそう言い聞かせていたのです(また笑)。
幸い運転中でしたから、交感神経の興奮した「闘争反応」の状態でしたので、多少とも痒みは感じにくくなっていたと思います。それでもさするだけで耐えるのには必死の努力を必要としました。
家に帰り着いたときには、約1時間が経過していました。
改めて手を見た時、その皮疹も痒みも、いささかもやわらぐことなく、マグマのように噴き出していることに気付いたのです。−馬鹿馬鹿しいと思いますか?。でも私はその時愕然としたのです。
「あれほど必死で掻かない努力をしたのは、一体なんだったの?。」
虫刺されなら、掻かずに我慢していれば、そのうち痒みもやわらぐでしょう?。
その痒みの強さは、それ以上私が掻かないで居続けることを、到底許すものではありませんでした。
私にできることは、せめてなるべく爪を立てないように努力をする位のものでした。
「これは只事ではない。この痒みは尋常ではない。私の体の中で、何かとんでもないことが起こっている。」
その時の実感です。
2000.4-6.
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