何が正しい医療なのか


. アトピー性皮膚炎標準治療をまとめた最新の「アトピー性皮膚炎診療ガイドライン2018」の中で、寛解(かんかい)という言葉が頻用されている。
それは自然経過の説明としてだけではない。治療においても「寛解」が大事。
治療はまず「寛解導入」を図らねばならない、そしてその「寛解を維持」する。
この考え方は、今年(2019年)の学会でもよく耳にするようになった。

寛解という言葉は、一般の方たちには馴染みがなかろう。
私のパソコンのデフォルト電子辞書になど載ってさえいない。
専門用語、業界用語と言っていい。
説明の難しいことを表現するのに、人(特に政治家)は耳慣れない新しい言葉を使いたがる。

寛解の意味は、病気が全治とまでは言えないが、病状が治(おさま)り穏やかであること。
つまり完治した健康体ではないが、ほぼ問題のない小康状態。
かねてより医師の目指すアトピー治療の最終目標(ゴール)として呈示されている「症状がないか、あっても軽微で、日常生活に支障がなく、薬物療法もあまり必要としない」から、「薬物療法もあまり必要としない」を除いた状態と想像される。

アトピーにこの言葉が使われるのを最初に見たとき、医師である私は驚愕した。
「寛解」とは、医学生時代に白血病や悪性リンパ腫の癌細胞の活動を一旦鎮静化できたことを言い表すものと教わった、癌という不治の病に使われる、いわば恐ろしい言葉だったから。
寛解に持ち込まなければ明日の命はない癌と、重症者もいるとは言え基本的には皮膚の免疫炎症しか生じないアトピーとが、同列のように論じられていることに、ただならぬ抵抗感を禁じ得なかった。

治療はつねに、副作用との天秤だ。
人体に何かの操作を加えれば、それが吉と出る面と凶と出る可能性とが必ずある。
命を失う病気に対しては、命を失いうる副作用を持つ薬の使用も容認される。
しかし、そうではない病気に対してはどうか。
たとえ命に関わらない病気であっても、使える薬があるなら使って症状を抑えるべき、と現代の医師は考えるようだ。
医療が高度になれば薬の効きは良くなるが、同時にその裏面としての重篤な副作用も現れる。
どの病気には、どこまでの治療が許されるべきなのか。
それを規制するタガが、どんどん外れていくのを感じる。

最新のアトピー標準治療を概括するとこうだ。

患者は皮膚のバリアに問題があるので、保湿などのスキンケアが恒常的に必要。
しかしそれだけではだめで、皮膚の炎症に対しては「抗炎症外用剤」すなわちステロイドおよびタクロリムス(商品名プロトピック)の適応となる。
寛解導入は、十分な強さのステロイド外用剤により、速やかに皮膚の湿疹炎症を鎮める。
湿疹を残さない十分な強さの外用剤を用い、遅滞なく炎症と痒みを軽快させなければならない。
きれいになったら、その寛解を維持するため「プロアクティブ療法」を開始。
プロアクティブ療法は、一見鎮静化している皮膚の中でなおくすぶっている炎症を、再燃表面化させないために、週2回などと間歇的にステロイド外用を続ける。
ステロイドの代わりにタクロリムス外用剤が用いられることもある。
可能であれば保湿剤のみにもっていく。
ただし再燃があればすぐこの2つの抗炎症外用剤に戻る。

悪化因子除去は並行して行う。
痒み止め内服、精神ストレス管理は補助的に有効。
ステロイドの内服はひどい時有効ではあるが、種々の全身的副作用のリスクあり。
漢方薬は効果不定。民間療法の有効性には科学的根拠が乏しい。
難治例に紫外線療法は併用が検討される。

ここまでで改善しない場合、新薬の出番となる。
シクロスポリン(商品名ネオーラル)は2008年から使われている内服薬だが、最近再注目されている。
連続最大12週という短期投与なので、いざとなったらその後を引き継げる可能性のあるデュピルマブが出てきたこと、より安価なジェネリック薬も使えるようになったことが注目の理由だ。
デュピルマブ(商品名デュピクセント)は皮下注射薬で、度々このサイトでも書いてきた最新薬である。
2週に1回の投与が必要だが、今年2019年5月からは在宅自己注射も可能になった。
問題が生じない限り、投与終了期限はない。
近年の遺伝子組換え等バイオ技術発展により製造可能になった高価な生物学的製剤の中で、アトピー適応となった最初の薬である。

では、この標準治療のどこが変わってきたのか、見ていこう。
変化は主に、外用剤の塗り方と新薬の適応について生じている。
外用剤は、今までより強いものがより広く長く使われる方向になっている。
理論的にはだらだら使いの抑制により最終的な総合使用量を減らそうという意図であろうが、果たして現実はそう上手くいっているだろうか。

まず顔面へのステロイド外用は、副作用のしゅさ様皮膚炎を作らないようかつてマイルドクラスまでにとどめられていた指針が、皮疹が強い部位にはストロングクラス以上が容認、むしろ適切と奨励されるようになった。
体を含めステロイドやプロトピックの外用は、皮膚に炎症のある部位だけだったのが、炎症の消えた後の場所にも、場合によっては痒みがあっただけの場所にも間歇的にとはいえ継続されるようになった。
寛解導入のためという名目の下、より強いステロイド外用剤を選択することが正当とされるようになった。
ステロイド外用の適否選択に関わる歯止めがことごとく撤廃され、全てが医師の判断に委ねられる結果、どうなるか。
外用ステロイドの強度および量を積分したのべ投与は結局のところ、増えてしまいはしないだろうか。
ステロイドの局所副作用である、皮膚の萎縮や脆弱性、毛細血管拡張や潮紅、感染し易いという免疫的弱さなどが、手に負えなくなってしまうのではないだろうか。
それこそが、ステロイドに不安を感じ忌避する患者の、まさに恐れていることではないか。

新薬については、その登場自体がまさしく変化である。
アトピー治療問題もとうとうこれで解決とばかりの話題性とは裏腹に、その適応は実に限定的である。
薬価は高いし、処方施設も限られる。すでに濃厚な治療をしている成人の重症患者のみが対象だ。
シクロスポリンの添付文書には「ステロイド外用剤やタクロリムス外用剤等の既存治療で十分な効果が得られず、強い炎症を伴う皮疹が体表面積の30%以上に及ぶ患者」、
デュピルマブでは「ステロイド外用剤やタクロリムス外用剤等の抗炎症外用剤による適切な治療を一定期間施行しても、十分な効果が得られず、強い炎症を伴う皮疹が広範囲に及ぶ患者に用いる」、さらに投与開始後についても「原則として、本剤投与時にはアトピー性皮膚炎の病変部位の状態に応じて抗炎症外用剤を併用する」「本剤投与時も保湿外用剤を継続使用する」と規定されている。
これほど使用が限定される最大の理由は、シクロスポリンでは副作用の強さ、デュピルマブでは医療費であろう。

シクロスポリンの副作用としては高血圧、腎障害が有名だが、そもそも臓器移植時に有効という主作用の免疫抑制効果が、長期投与となれば副作用に転じる。
皮膚の感染症くらいでは済まない。重大な全身の感染症を起こせば、死に至ることもありうる。
デュピルマブはよりピンポイントに働くため、こうした全身性の免疫低下による副作用は起きにくいと考えられている。

医師は、悪意を持って患者に強い薬を投与するわけではない。
より完璧に皮膚をきれいにしたい、痒みから逃れたい、いつまでも良くならない状態から脱したい、という患者の希望に応えようと努める。
しかし医師が患者と違うのは、患者に大きな副作用が起きたときも、冷静に受け止めできうる限りの対策を講じるのが仕事という点だ。
多くの場合患者にとって、良い結果を期待していた治療で悪い結果が生じ、唯一無二である自分に致命的な副作用が起きることは、受け入れがたいことに違いない。

1つしかない我が身を、どのように処し、守るべきか。
ガイドラインは誰もが認める最低限の安全性を担保しているものであり、よく悪者にされがちではあるがこうした際の基準として役立つ。
例えば大した説明もなく延々と、1日何錠ものステロイド内服(商品名プレドニン、プレドニゾロン、痒み止めとの合剤でセレスタミンなど)が継続される、シクロスポリンが12週を超えても続いている、あるいはデュピルマブの開始時に副作用説明がなかった、などの場合、それと知らないうちに命がけのアトピー治療になっている可能性がある。
ちょっと待てよ、と立ち止まって考えてほしい。
自分が受けているアトピー治療の良い面と悪い面、両方を理解し、受け入れなければならない。


2019.12   

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