< 争いではなく >

-医師たちへ-





アトピー性皮膚炎に於いて、脱ステロイドが唱えられて久しい。


薬というものが病を消す魔法ではなく、使い方や状況によって、あるいはただ運によって好ましくない反応を被ることもあるものだ、ということを、今では多くの人々が知っている。

20世紀という西洋医学の隆盛の時代を経て、西洋医学の限界もまた次第に明らかになり、人々は自然治癒力というものに目を向け始めた。
そうした時代の流れの中で、脱ステロイドという考えも生じた。

強い薬が単純に問題を全て解決してくれるのでないのならば、薬を使わないという選択肢が発生してくるのも、全く自然なことなのではないだろうか。
そのことによって、少なくとも薬の副作用を避けよう、あるいは体に修飾を加えずあるべき姿に戻そうという考え方が。


脱ステロイドがもちろん薔薇色の未来を保証するものでないことも、私は知っている。

明らかに効くものを使わない方法なのだから、当然回復はより遅く不確実である。
本来の体を取り戻し幸せを満喫する人がいる一方で、出口の見えない苦闘から抜け出せず、疲れ果てる人もいるだろう。


アトピーにステロイドは、使うべきか、使わざるべきか?。
私はどちらも、あり、だと思う。

現状ではどちらがその人のためになるか、確実に判断できる基準はないと思う。
ステロイド使用の得失を端的に言い表すなら、以下の様になるだろう。

使用の利得:その人の当座の苦痛の除去と社会生活の維持という恩恵を与えてくれる。
使用の損失:それでずっとやっていけるなら文句はないが、そうとは限らない。

不使用の利得:当座は苦しいが、長期的にはより健康体でいられる可能性がある。
不使用の損失:しかし、その当座が長過ぎたり、何度も来るかもしれない。

このように、どちらにもメリットがあり、デメリットがある。
そしてそのどちらが大きいとするかは、常に意見の分かれるところだろう。
であれば、ケースバイケースで、その時、その人にとってどちらがより好ましいかで判断することしかできないのではないか?。
絶対的にどちらかが正しいなどと、神でない限り誰も言うことはできないのではないか?。


使いたければ使う、嫌なら無理に使わない。どうしてそれではいけないのだろう?。
そのことをこの頃しばしば考える。

いわゆる脱ステロイド医が訴えられた裁判の際、ステロイドを止めている患者さんたちのネット上の発言で、以下のような主旨のものを幾つか目にしたー

「脱ステロイド治療が否定されることで、使いたくない人が診療を受けられる医療機関がなくなり、治療の選択肢が失われる(使うという道しか選べなくなる)ことを危惧する」

ー全く冷静な考えであり、かつ切実な訴えだと思った。

患者が医療という市場の消費者であり、医師がそれを提供する生産者であると考えるなら、生産者は、消費者の望む、即ち需要のあるものには対応するべきなのではないだろうか。


医師はおそらく「間違った医療は供給できない」と言うだろう。
しかし、その「間違った」という概念は、既にその医師の考えの中のものでしかない。
全く正反対の主張をする医師がいるのだ。
そして、そのどちらもが、自分の正当性を主張している。


医師は患者の不利益にならぬように考えている、という。
しかしこの現場の混乱こそが、患者にとって不利益だという見方もできると私は思う。

ある医師にかかれば「こうしろ」と言われ、別の医師に行けば「そんな馬鹿なことをして」と怒られる。
なぜ患者が怒られなければならないのか?。

患者を医師のジレンマのはけ口にするのは、患者のためを考えている医師のすべきことではないだろう。

そして患者は右往左往する。
どうしていいか分からなくなる。
ならば医師は結果的に患者を苦しめていることになるのではないだろうか。


「私は、こう治療するのが一番いいと考える。
この治療でこういう実績をあげている。」
医師がそういう自分の主張を持つことはいいと思う。

ところが、多くの場合その後に、こういう主張がついてくる。
「だから、他の治療は全然だめだ。それらは間違っている。してはいけない。」
そうだろうか?。私はこの、後の主張に大いに首を傾げてしまう。

他の治療をした患者たちの全てが実際にどういう経過を辿ったかを、完全に把握することなどできはしない。
自分の所に来た患者は、前の治療でだめだったかも知れないが、その陰には、前の別な治療でよくなって、自分の所に転医してはこない、たくさんの患者がいるかもしれないのだ。

自分の知る範囲の患者情報と知識だけをもってして、だめだと断言するのは、傲慢なのではないだろうか。


自分の治療に自信を持つことと、自分だけが正しいと思うこととは、違う。

「あなたは間違っている、私が正しいのだからあなたのやり方を捨てて、私のするようにあなたもしなさい」と言っても、相手は反発するだけなのが当然ではないか?。

自分の考えを他人に認めてもらいたいならば、自分がまず、他人の考えを認める謙虚さを持たなくてはならないのではないか。
最近読んだ本に、こんなことが書いてあった。
「相手を受け入れなければ、自分もまた決して相手に受け入れられることはない」
私はまったくその通りだと思う。


相手を受け入れないもの同士の議論は、どこまでいっても平行線である。
お互い自分の良い所ばかりを主張し、相手の良い所は無視するのならば、結局総合的に見てどちらの方が良いのかは、どこまでいっても判明しない。

それは議論ではなく、言い合い、即ち争いにしかならない。
両者の意見が統合されることは決してなく、どちらかがどちらかを打ち砕く形でしか、収束しないだろう。

理科系の王者と自他共に認める医師たちであるならば、決着は争いではなく、科学的議論でつけるべきではないか?。


皮膚科学会と脱ステロイド医がいつまで経っても相容れないばかりの現状が、私には嘆かわしく思えてならないのだ。

ステロイドを使う治療がいいと思う医師はそれをする。
使わないで治療しようと思う医師はそうする。
両者が並び立ち、共存共栄ではどうしていけないのだろう。

現状では、どちらの治療も必要とされていると私は思う。
もしどちらかがほんとうにあるべきでない治療なのならば、それは患者に対して成果を挙げ得ず、いつか自然に淘汰されていくだろう。

あるいはお互いに、相手の成功例を聞く耳を持ち歪んでいない目で検討していくことで、その良い要素を取り入れてさらに有効性の高い治療方針が構築できたり、さらにはいつか両者が統合されてひとつの治療になっていくかもしれない
(こういう時には使うべき、こういう時には使うべきでないということがはっきりして)。

目的は同じ、患者の安寧と軽快・治癒なのだから。
(それと、それを行う技術者としての、医師の仕事が成り立ち医師自身も生活していけること。)


もしステロイドを使わないアトピー治療を望むならば、患者は、都道府県を跨ぐほど遠方まで通院しなければならなかったり、さらに入院が必要という時には、受け入れてくれる病院が日本中で数えるほどしかなかったりする。
そんな現状は、どうしても間違っているように私には思えて仕方がない。

患者としても医師としても、私はこのような事態の改善を切に願う。
そしてそのためには、医師たちがもっと器の大きい考え方と振る舞いをすることが、なんとしても必要な気がする。


ー今現在医療現場で苦闘している医師でもない私が、こんなことを言うのはあるいは不遜なのかもしれない。

しかし、利害関係もない、離れた状態でみるからこそ、見えてくるということもあるのではないか?。
そしてそんな者だからこそ書けるということが。

2005.10  

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