[免疫を抑制する新薬]



乾癬(かんせん)という、やはり難治性の皮膚病で、新薬が保険適応になった。
それについての懸念を、今日は書き綴りたい。


新薬は、生物学的製剤と呼ばれる注射薬である。
その名の意味する所は、「生物体内で作られる物質を、人工的に作って薬として利用しているもの」ということだが、一般の人にはぴんと来ない、わかりにくい分類名と思われる。
その薬の実質的な効能は、「体内で分泌されて炎症を起こすサイトカインである、TNF(腫瘍壊死因子)という物質の、働きを抑える」作用である。

2000年代に入ってから、関節リウマチの患者さんたちに用いられ、顕著な症状改善ないし消失効果をあげてきた。
激しい痛みからの解放は、日常生活の質を高め、関節の炎症が進行して不可逆的な変形となることを、防げるようにもなってきた。

しかしその重要な副作用として、顕著な免疫抑制がある。
突然発症し急激に悪化して、致命的にさえなる感染症を、起こす。
将来的に、悪性腫瘍(癌)を生じさせる可能性も、ある。


劇的な即効効果の裏には、悪夢のような副作用がついて廻る。
それは、少しも不思議なことではない。

そもそもサイトカインが体内で分泌されるのは、それが必要な状況が体内で生じるからだ。
TNFは、体が上手く働くために、癌に至る可能性のある細胞などを、自然死に至らせる、という重要な役割を持っている。

それが誤作動によって、正常な関節組織に作用してしまい、患者を苦しめるのが、関節リウマチである。
そんな患者の体の中でも、誤作動ではなく、必要な状態(菌の侵入など)になってTNFが分泌されることも、もちろんある。

その時、必要なTNFを出せず、菌の侵入に対処できなかったら、どうなるか?。
感染症の進行・悪化が起きる。当然の経過である。

こうした副作用は、あまりに重篤であるがゆえに、医師向けの薬の注意書きの中で、特に赤字で書かれているほどである。
そして、緊急時に充分な処置ができ、かつ、薬について熟知した専門医のもとでしか、使ってはいけないと定められている。


医師の側から見れば、非常に重い薬なのである。
ところが、患者にとっては・・・。
一般的に言って、そこまでの認識を持ってもらうことは、非常に難しいように感じる。

患者にとっては、「すごく良く効く薬」だという感激が、何にも勝る。
「私を救ってくれた薬」、そして「手放せない薬」となる。

重大な副作用の可能性については、必ず始めに医師からしっかりと説明されているはずなのだが、現実にまだ自分の身に苦痛として生じていないそれは、意識の片隅に追いやられていく。
いざ現実となっても、にわかには気付かないほどにすらなってしまう。

「嘘のように痛みが取れて、この薬が使えるようになって、本当に助かってて!」
と、力説する患者さんがいる。
その一方、「感染症で即入院」となった時、
「なんでこんなことになったか、全然わからない・・」
と、現実感を持てない患者さんがいる。


患者側としては、「どんなふうに効いているか」なんてことはきっとどうでもいい。
「効く」ものには、千万の価値があり、患者はそれを選ぶのだ。

けれど、医師である私は言いたい。
保険で認められていて、医師が処方する薬なのだから、もちろん一定のレベルの安全性は担保されているのけれど、それは、「絶対に安全」ということを意味するのではないのだよ、と。


あらゆる薬には、副作用の可能性がある。
どんな副作用がどの患者に出るか、誰にも予想はできない。

医師は、有益性が危険性を上回ると考えられる時に、薬を処方する。
危険性を予想することはできるけれど、全ての危険を回避することは、医師にはできない。
回避する唯一の策は、薬を投与しないこと、しかない。

患者もまた、その事を承知しているべきだろう、と私は思う。
薬を自分の体に入れるということは、体の回復への期待とともに、僅かながらの危険をもまた、取り込むことなのだ、ということを。


乾癬の患者会の会報の一部を、読ませてもらう機会があった。
患者の署名活動が、今日の保険適応承認に結びつくまでの間、早期承認を強く求める患者の生の声が、そこに載せられていた。

いくつもの声が、「どれほど乾癬のためにつらい思いをしてきたか!」という思い、それゆえ、「その症状に効く薬があるのに、なぜ使えないのか!?」という憤りにも似た激情を、表明している。

乾癬は、アトピー性皮膚炎と比較すると、痒みは少ないことが多いが、顔・頭・腕などの外からよく見える所を含め、体の広い範囲に出る赤くがさがさした発疹は、やはりつらいものである。
ひどい関節痛が出る患者もいる。

そのつらさは確かに、なった者にしか分からないものであるに違いない。
そこから逃れることを渇望する気持ちの強さも、想像に難くない。

けれど、つらさのあまり、効く薬であることを評価するあまり、一方で生じる副作用の危険について考えることを、ひょっとして後回しにしたりしてはいないだろうか?。

顕著に効くことが分かっていながら、この薬がすぐ乾癬に使おうとされなかったのは、そして適応が認められた現在でも、「他の治療で改善されない重症者に限る」という縛(しば)りがついているのは、その薬効と表裏一体の、激しい副作用の可能性のためなのである。

そのことを、決して忘れたり、甘く見たりしてはならない。

「よく効くから、とりあえず使ってみて、あとどうするかはそれから考えよう。」ではいけないと思う。
いまだ経験が少なく分からないなりにも、「このくらい使ってみて、この程度まで良くして、このくらいの期間でこんなふうに止めていこう。」という見通しを持って、使うのならば使うべきであろう。

劇的に良くなれば、当然そのままの状態を維持したく思うのが、人間心理である。
その時に、何を基準にどこまで薬を使い続けるのか、理性的に判断し決断する能力を、医師も患者自身も、持ちあわせていなければならない。

そのためには、薬の開始前に、医師は明瞭に副作用の危険性を知らせ、患者は承知し覚悟しなければならないだろう。


免疫系の暴走に対しては、免疫抑制が、治療となる。
この生物学的製剤が、体の免疫のある部分を抑制するのと同じように、ステロイドも、プロトピックも、ネオーラル、サンディミュンなどの薬もみんな、免疫抑制剤である。

その意味する所は、これらの薬はどれも、体を外敵から守る働きを損ない、問題を生じさせうるものだということである。
病気の原因になっている所だけを抑制してくれればいいのだが、なかなかそう上手くはいくものではない。


この中のネオーラル、アトピー性皮膚炎患者ではご存知の方も多いだろう。
この薬は、アトピー性皮膚炎(やはり「他の治療で改善されない広範囲の強い炎症がある」もの)に対して、2008年に適応となっている内服薬である。

その後、学会で、実際の使用経験についての報告を聞くと、医師と患者の間で、奇妙な会話が交わされているようだ。

ネオーラルの使用開始を提案された患者はしばしば、こう医師に尋ねる。
「その薬は、ステロイドではないのですか?。」
そして医師が違うと言うと、患者は安心して、使うことに積極的になるのだと言う。

その患者は、ネオーラルという薬の性質を、理解していない。
医師は、副作用を避けたい患者の真情を、理解していない。
それなのに、どちらも誤解したまま安心して、平和な合意が形作られる。

ステロイドという薬があまりに有名となったため、患者はそれに対する恐れに捕われ、もっと怖いかもしれない薬を、知らないが故に警戒もせず受け入れてしまう。

薬を、その実体以上に恐れることも、起こりうる重大な副作用を懸念せずにいることも、どちらも賢明とは言えない。
ステロイドは怖くてどんな時も使ってはいけないわけではないし、
他の薬なら何でも大丈夫、なんてこともない。
そんなに、病気の治療は単純ではない。

今までの治療で良くならない深刻な状態の患者なら、その治療の道筋選びは、究極の選択のはずである。
無知なまま決断してはいけない。
思い込みや、イメージだけの浅い知識に流されてはいけない。


さらに、外用剤のプロトピックについても書いておこう。
今や広く使われている、アトピー性皮膚炎の治療薬だ。

今年3月、アメリカ食品医薬品局(FDA)に、プロトピックか類似薬のエリデル(日本では未発売)を使っていた16才までの患者に、リンパ腫・白血病・皮膚癌といった悪性腫瘍(癌)の発生が報告されていることがニュースになった。

外用剤が全身に影響する副作用の可能性は、薬が直接体内に入る内服や注射と比べれば、当然少ない。
逆に言えば、外用剤でも大量を使えば、体内への吸収量も増えて、全身的副作用の危険性が生じてくる。

幼児の小さい体には、同じ使用量でも体重に占める比率が多くなる。
成長期にある子供は、細胞の増殖性も高いだろう。
それらは、より早期の癌発症の促進因子となる。

報道は同時に、大量長期の不正使用が関与した可能性を警告している。
成人でも、大量長期に使えば、危険性が出てくるだろう。
私も、成人で、本人の意志でプロトピックを広範囲長期に外用し、悪性リンパ腫になった患者を1人、見たことがある。

現時点では因果関係をはっきり言うことはできない。
しかし、予想される危険性に対して、FDAは注意を喚起している。

せっかくのその情報を、関係ないとただ無視するのは愚かだ。
といって、ヒステリックに騒ぎ立てるのも、どうであろう?。
その薬の作用機序から見るなら、起こって不思議のない副作用なのだ。

「プロトピックを1回でも使ったら癌になる」わけではないし、
「使いたいだけ使っても安全」なんてことも、もちろん言えない。

白と黒の色の間には、なだらかな移行がある。
その複雑さこそが現実であることを、理解できるのが、大人というものである。


さて、今や、「怖い」薬は、ステロイドだけではない。
私が皆さんに、もっとも知らせたい情報はそれだ、と言ってもいい。

強い薬の甘美な効果に浸るか、ストイックに断ち続けるかの決断が、いつ患者のあなたの目の前に呈示されるかも知れない。

どの道を選ぶにしても、曇りのない目での決断をしてほしい。
それが私の願いである。


2010.6. 




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