皮膚科医として復職して、週3回の勤務をこなす中、最もきつかったのは、初年度の冬の皮膚の乾燥する時期だった。
朝起きてから通勤までは、自分の肌が体がばらばらに壊れそうな感覚の中で、立ち上がり歩を進めなければならない苦行だった。
それでも外来診察は、朝どうにか病院の診察室の椅子に辿り着いてさえしまえば、後は昼食まではほぼ座りっ放しで、頭と口と手だけを動かしていればいい。
そんなふうに、ただやり通すことに必死になって、私は働いた。
診療手伝いをしていたクリニックの方も、院長先生がお優しくて、私は椅子に座って見学していることを許されていた。
人間の交感神経の働きとは、全く大したものだと思った。
いつも疲れてだるくて頭が重くてというような状態だったのだけれど、そんな中でも、仕事中には必要な緊張感と集中力を維持することができた。
手を酷使する処置の後は、手指や手首がひどく痒くなったりもした。
しかし、一時、おそらく10分から15分ほども痒がっていれば、それらは治まってきた。
仕事をしているという、そうして大人として社会人としての義務を果たし、自分が何がしかのことを成し遂げ、人の役に立っているという感覚は、心底、心地の良いものであった。
たまに腕を露出すると、その肌の荒れ様に驚きの声を挙げられたり、処置後にがさがさの腕を洗って痒みをこらえている様子を「大変そう」と思われたりしたこともあった。
そのように、傍目にはまだまだ悲惨でもあったようなのだが、私としては、初年度の冬を乗り切って以降は、「あの冬の辛さにくらべれば何程ぞ。」という感覚になっていた。
辛さを我慢している意識もさして持つことはなく、ただ現状を受け入れつつ、淡々となすべきことを果たすことのみを、いつも考えていた。
仕事のキャリアの空白による不安定感は、おおよそ1年くらいで、払拭(ふっしょく)されていった。
もともと苦手で、自信がなかった部分も、さらに1年くらいで、自分の立ち位置が見えるようになっていった。
こなした仕事は結果を生み、それが自信に繋がっていく。
正しかった診断。適切だった治療。それらが、私の能力に存在に、意味を与えてくれる。
日進月歩の厳しい医療の世界での、新しい知識や技術に関しても、まだ私は、身に着けていく意欲を持ち合わせていた。
10年余ほどの遅れでも、取り返すことができるという発見が、嬉しかった。
そんな中での、上手くいかない時の体験は、落ち込みつつも、後日を期して発奮する材料とできるものであった。
行動することの重要性を、今ほど感じた時はなかった。
元来頭でっかちな性向の私は、「ああでもない、こうでもない」と頭の中で考え続けるのが好きで、完全に近いと思えないと、行動に移せないたちであった。
だが、動かなければ何も始まらないのだ。
未熟だろうが、不完全であろうが、今の自分の精一杯で、動いていく所に、人や外界との触れ合いが生まれ、何かが変化していく。
その中でまた、自分も成長していけるのだろう。
そう感じて、どうやらいっそう物怖(ものお)じしない性格に変わった、私である(笑)。
自分のアトピーに対する治療としては、前章に書いた、足に2回のみのステロイド外用使用以来、再び全くステロイドは使っておらず、必要にもなっていない。
(足はその後軽快し、他の場所と同じ程度になった。)
手指の湿疹だけはしつこく頻発し、どうやら何らかのアレルゲンが作用していそう
(「異汗(いかん)性湿疹」と呼ばれ、金属アレルギーやビオチン(ビタミンB群の1つビタミンH)不足が重視されているものに相当する皮疹だが、なまくらな私はその検査や治療はしていない。)
なのだが、小水疱が潰れたらすぐ乾いて、かさかさを経て治っていくので、ワセリンかザーネをつけるだけで済んでいる。
抗ヒスタミン剤は全く飲んでいない。
常に鞄に入れて非常時に備えていたのも、いつしかおろそかになった。
今では、家に常備してはあるものの、稀な旅行の時でもなければ、「持っていかなければ」と思い出すこともない。
たまに、お腹の調子が悪い時、腸内細菌製剤は飲むことがある。
過敏性腸症候群もずいぶん軽くなり、排便も固くころころになることはなくなりおおむね良好だが、若干のげっぷや胃の痙攣する感じは、今もある。
もともと神経質でアレルギー持ちでと、起こし易い体質気質には違いないと思う通り、極度のストレスや、極端な疲れは、まずお腹に来る。
(ちなみに、一部の皮膚科医が強調する「精神的ストレスを感じた時に掻く」ということは、私は体験したことがない。
ストレスを感じた時は緊張して対処に必死で、痒いどころではない。
だから彼らの言うことは、私にはよく分からない。
むしろ、ストレスから解放されてほっとした時には、痒くなり掻かずにはいられなくなる。
だから「副交感神経優位と痒みが関係する」という理論は、なるほどと思う。)
全くありがたいことに、その他の薬という薬には、縁がない状態だ。
風邪らしい風邪すら、働き出してから今までの間、引いてはいない。
もちろん週の半分も働いていないのだから、いばれたものではないのだが、自分の身の丈に合わせれば健康管理ができるほどになったということは、紛れも無い回復の証だろう。
「自分の体そのものでやっていけること」ー
それが私の目指すべき「健康」というものなのだろう、と思う。
このように、西洋医学のアトピー標準治療からほど遠い状態で、私は日常生活が過ごせている。
それは、引き続き受けている、2つの代替療法のお陰かもしれない。
その1つはカイロプラクティック。
そしてもう1つは・・・。
前章での前言を撤回して、その具体的名称をここに書こうと思う。
何故ならば、この後を読んで下されば分かる通り、どちらにしてもその名称が分かる事態になったからだ。
それは、NAET(ナムブドゥリパッドアレルギー除去療法)という治療である。
はじめにカイロプラクティックの施術に関しては、一緒に通っている娘の学校が忙しい年頃になり、娘も経過良好なこともあり、2-3カ月に1回程度の通院に減っている。
それに加えて私自身は、カイロプラクティックの勉強に時々行っているセミナーの実技練習が、さらなる自分の体への治療になっている。
数年以上に及ぶ勉強と鍛錬で、治療仲間同志のレベルも上がり、お互いにきちんとした治療を相手に施せるようになってきた。
受ける一方ではなく、自分の体の現在の状態を確認し合いながら進めていける、貴重な機会である。
もう1つのNAETというのは、おそらくほとんどの方が、初めて目にする名前だろう。
エヌエーイーティーと読む。
1983年にアメリカで産声をあげた、新しいアレルギー治療である。
「肌色の皮膚に」の章の後半、「多品目へのアレルギー(隠れ型)を診断され・・治療によって体調が上向いた。」という内容を書いたくだりが、これのことを言っている。
(混乱されるといけないので書くが、同じ所で触れたもう1人の治療家、「私の副腎に炎症がある」と指摘された方とは、カイロプラクティック関連の1手法である、ハーモニックというテクニックの治療家である。
この治療については、諸事情から学び受ける機会が得られず、私はこれ以上を語れない。)
さて、詳しくはNAET JAPANのサイトをご覧願いたいが、NAETとは、「個々のアレルゲンごとにその患者の過敏性をチェックし、過敏に反応するものを反応しないようにリセットしていける」という治療である。
さあ、今この文章をお読み下さったばかりの方々の、表情が想像される。
その意味を正確に理解された賢明な方なら十中八九、我が目を疑い、「こいつ、何を血迷っているんだ?」と思っておられることだろう。
そう、減感作ができる、真の意味の体質改善の治療である、という、夢のようなことを言っているのである。
あなたの読解は間違っていない。
そうして、私が狂っているのでもない。
この章に書いた時から、私はこの治療を受け始め、かれこれ4年間、私がアレルギーを持っている140余りの項目について施術を受け、クリアしてきた。
その結果、さまざまな症状、肌の質感・痒み・膀胱違和感・胃腸の不調・体力のなさ・悲観的性向などが、時にじんわりと、或いははっきりと、少しずつ確実に改善されてきた。
最大の難点は、1度に1項目ずつしか治療していけない(それも何回もかかったり、違う形でまたしなければならなかったりする)という、非常にじれったい方法だということである。
だがそれは、それだけピンポイントで原因に迫っているということの裏返しでもある。
世界中の超一流の専門家が苦闘するアレルギーが、簡単に取れる訳がない。
でも、簡単にではないけれど、アレルギーは取れるのだ、ということを、この治療は言っている。
私にとって一番の驚きは、治療が進むにつれ「自分の心身の、曇りが1つずつ取れ、次第に澄んでいく」という、ありえないような感覚であった。
「目に見える物しか信じられない」という方には、無茶苦茶と思われる話をしていることは、承知している。
公平を期すために、客観的な所見として、私の血液検査値をここに呈示しておこう。
| 療養中測定最高値 | NAET開始1月前 | 開始約1年半後 | 4年後 | (正常値) |
IgE (IU/ml) | 20120 | 3200 | 1800 | 1000 | (170以下) |
好酸球 (%) | 22.8 | 10.6 | 5.2 | 7.7 | (0.0-8.0) |
LDH (IU/l) | 900 | 270 | 213 | 231 | (120-240) |
上記のような、総合的なアトピーのアレルギーの程度の指標において、実際に値の改善が得られている。
ただし、IgE RASTで示される個別のアレルゲンへの反応性(項目が多いのでここではいちいち記さない)には、現在までの所、大きな変動はない(クラス1個分の範囲での下降ないし上昇が見られている)。
つまり、私のアレルギーが改善していることは、データから見ても否定しようがない。
だが、それが「NAETの効果だ」という因果関係が言えるほどのデータは、まだ出ていない。
これが現状である。
今までの間に、私がこうした治療以外で努めてしてきたのは、以下のようなことだ。
1)生活面での養生(無理せず、休養を充分取り、可能な限り規則的に)
2)食事でも、栄養のバランスをとり毒性物質を避けるよう考えつつ、ほどほどの養生
3)免疫系を撹乱(かくらん)させうるもの(ステロイドやプロトピック)を使わない
4)自然治癒力が働き効果を現すまでに充分な、長い時間の経過に身を委ねる
これらの要因が、どうしようもなく酷かった私のアトピーを、快方に導いてくれたのであろうか。
その側面は、確かにあるだろう。
しかし、それだけではここまでは至れなかっただろうと、私は思っている。
西洋医学では治せない体の部分にアプローチできる、これらの代替療法があってこそ、私の体は、その不具合な所を、少しずつ有効に機能するように、近づけていくことができたのだと思う。
これらの治療法を発見してくれた先人の知恵と努力に、私は深い感謝と尊敬の念を抱いている。
そして、患者としてのみならず、治療家として、これらの治療を続けることに、大いなる関心と意義を感じ続けている。
最近の私は、昼間、手に負えないほどの痒みを感じることは、まずない。
お陰で、仕事をするのは随分と楽になった。
スタミナ切れを感じることもなく、夕方遅くまでの勤務もこなせるようになった。
家に帰り着くと、すぐかしばらくしてか、1回痒みの波が押し寄せる。
しばらく掻いていると、治まる。
寝る頃にまた、同じように痒くなることもある。
就寝時、ふとんに入ってからの痒みは、まだ必発である。
頭・顔・手のひら・足の裏以外は、ほぼ全身を一通り掻き、およそ1時間くらいして、眠りにつく。
だから、正直に言うと、寝室に向かわなければならない時間帯は、憂鬱なのである。
夜、なかなか寝ようという気になれないのは、夜型体質のせいばかりではないように思う。
ついつい無意識の内に、その時間を後に引き伸ばそうと、起き続けてしまっているかもしれない。
ふとんに入って痒くなると、必ず、「じんましん」が沢山出る。
痒いと思ってそこに手を触れると、皮膚がぷっくり盛り上がっていたり、それが繋がってぼこぼこになっていたりする。
夜中に痒くて目覚めると、さっきの所は引き、また別の所がぷっくりなっている。
これを、毎夜2-3回、繰り返しているだろうか。
朝には、ほとんど全てが、跡形もなく退いている。
日中も、入浴後とか、何かの拍子にふと気付くと、1個か2個ほどの同じものが、いろいろな所にぽつんとできて痒い。
どう考えても、これは“蕁麻疹(じんましん)”以外の何物でもないだろう。
皮膚表面の角層や表皮には変化が見られない、その下の真皮という所に生じる、一過性の浮腫である(=蕁麻疹の定義)。
アトピー性皮膚炎患者における蕁麻疹を、単なる合併症、すなわち別の病気、と捉える医師や医学者もいるようだが、私の考えは異なる。
湿疹は、細胞性免疫(1型アレルギー)による病変であり、
蕁麻疹は、液性免疫(4型アレルギー)による病変である。
だが、それは現在までの人知で知り得た中での、定義に過ぎない。
その二つは、並び立たないものではなく、1人の同じ患者の中である形の免疫異常が起きた場合、どちらも結果として出てくる可能性のあるものだということが、あってもいいのではないだろうか。
後者に関わるIgEの値を、アトピー患者で測定すると、確かに高い人もそうでない人もいるのだけれど、大勢の値を集めて集団としてグラフにすると、きれいな正規分布を描くそうだ。
私の尊敬する皮膚科医の1人、今山修平先生が示されたデータで、「だからこれ(アトピー性皮膚炎患者)は、間違いなく(IgEを簡単に作れる)ある一群です。」と講演会で言っておられた。
達観ではないだろうか。
細胞性免疫と液性免疫が共に関わるアトピーという病気の免疫学的病態というものは、おそらく私たちが理解しているよりもずっと、複雑なのだろうと思う。
それでも、分からないままだと落ち着かなくてしょうがない、という人は、液性が急性症状で、細胞性が慢性症状とでも考えると、分かりやすいかもしれない。
どう理解しようとしまいと、起きることは起きるので、私はただ、起きていることを受け入れようと思う。
肌の状態は徐々に良く、慢性の湿疹を示す皮膚の肌理(きめ)の粗い厚みや硬さ(苔癬化;たいせんか)は、かなり目立たなくなってきた。
見て触れてのしっとり感が増し、白く粉をふく程度が減ってきた。
そんな皮膚も、風呂に入るとまだらに少し赤くなり、特に太腿の内側や後ろ側に、その程度が強い。
それを見ると、まだ治っていないのだということは分かるのだが、それも注意して見なければ分からない程度であるかもしれない。
首のしわしわな感じも次第に薄れ、くすんだ茶色い感じはほとんどなくなってきた。
新しい湿疹ができるのは、前述の手の指くらいである。
径1mmほどの水ぶくれが痒みとともにでき、潰れて傷になっては1-2日で塞がり、かさかさした後徐々に治っていく、ということを繰り返す。
すねとか肩甲骨の所にはまた、面白い皮疹ができている。
やはり1mm台ほどの、容易につぶれない固い水ぶくれ様の、触れれば分かるほどの僅かな隆起のぶつぶつが、密集している。
半年でも1年でもそのままで、時に痒くなる。
表皮の細胞間の浮腫が強くなって水疱になった状態かな、と推測しており、湿疹の1つの表現形であろうと考えている。
これも、段々と範囲と程度が少なくなっている。
朝は、夜中の掻き傷の程度が軽くなってきたので、すいぶん楽になった。
実際、入浴しないでそのままいても大丈夫な程度になり、何が何でも毎朝必ず肌を湯につけて落ち着けないといられない、という日々は過去のものとなった。
浴槽の湯に体を浸ける時は、体中の細かい傷がしみる、じんわりとした痛みを感じる。
体が温まるにつれ、どこと言わずあちこちに、痒みが出てくる。
入浴後は、その不穏を引きずり、朝食はまだベッドである。
直後は、傷が塞がりきらない皮膚が風に当たってひりひりし、じっとしていないと体表が空中分解してしまいそうな感覚がある。
ベッドで40分ほどうとうと休めば、起き出して出かけられる状態になる。
仕事も用事も無い日の午前中は、やっぱり昼寝で過ごしている。
夜中にくりかえし目覚めるため、睡眠が充分深くならず、どうしても寝足りない。
用のあるときはしっかり起きれるが、休日にはその反動が来る。
少しくらい体を動かしても、汗ですぐ痒くつらくなることはなくなった。
歩いたり、自転車に乗ったり、急ぐ時に少し走ったり、掃除や片付けで細々と動いたり、時に思いついてテニスラケットを振ったりなどするのも、どれも楽になってきた。
しかし、敢えて外に出て何かの運動をしようという気には、まだなれない。
治まったとは言っても、厳密に言えば、何となく痒い、または痒くなりそうな感覚が、常に肌にあるのだ。
そんな状態で例えば30分以上運動を続けて、激しい痒みが来たらどうしよう。
人前での運動は、私にはまだまだ、楽しめるものではない、高嶺(たかね)の花である。
旅行には、少しばかりだが挑戦してみた。
ここ数年、治療法勉強のためのセミナーに出る必要に迫られて、年1回は、3泊の旅行をしている。
始めは、朝風呂の後の朝食は、部屋で寝転がりながら採ることしかできなかったが、今ではなんとか、毎朝朝食の部屋まで出て行けるようになってきた。
昨年には、とうとう家族と、遊びのための2泊旅行に出かけた。
大浴場は無理で、入浴は部屋つきの風呂で、という所だけは譲れなかったが、後は他の人と同じように行動し、楽しめた。
1度だけ、その旅行2日目昼前のバス移動中、肌が突き刺されるようにびりびり痛痒くなって、つらくなった時がある。
眠っているように見えるようにと、目をつぶって、体を固くして耐えた。
このくらいなら、まだ耐えられる。
昼食を食べて、血糖値が上がり体のエネルギー循環がよくなったら、その感覚は治まった。
この感覚は、とても疲れた日や寝不足の日、帰りの電車などで発作的に生じることが、時にある。
皮膚とその神経統御に、限界が来ている時の、症状なのであろう。
痙攣するように飛び上がりそうな体と皮膚を、抑えるのに苦労する。
・・・こう書いたら、化学物質過敏症の友人に、「公共交通機関の消毒の薬品に反応して、こういう症状が出ることがある」という連絡を頂戴した。
ただ疲れのせい、としか思っていなかった私は、目を見開かれる思いであった。
電車やバスの室内を消毒するなんて、20から30年前は、誰も考えもしなかっただろう。
ところが、高度文明を極めていこうとする今の私たちは、こういう行為を選択する。
壊れにくく捨てにくい物を、使い続ける手段として。
なまじ強力な薬剤があるが故に、自分たちにとって不都合な物を排斥するという恣意(しい)的な自信の故に、それでも制御しきれない物への不安と恐れ故に、面倒より簡便を好む怠惰の故に。
「汚れを洗い落とす」ことと、「消毒・殺菌をする」ことは、似て非なるものである。
汚れという言葉は、菌類を含むが、それ以外の幾多のものの集合体であるのに、現代人(特に日本人)は、これを混同し、「菌をやっつければ、きれいになり、それでOK!」と勘違いしているふしがある。
消毒により菌は殺せる(耐性があるなど効かないものもある)かもしれないが、消毒の効果は一時的で、その後、菌は再び持ち込まれ繁殖する。
大量の水で洗い流されるのでなければ、菌の死骸も埃も消毒薬そのものも、その場に残り、そこに座る人の体に触れたり、揮発して吸い込まれたりする。
「ファブリーズで洗う」ことには、そういう危険がある。
為政者や管理者が無知でも、企業が隠していても、私たちは、自分たちの身を守るために、そのことを知っていなければならない。
知っていれば少なくとも、可能な限り避ける、くらいのことはできる。
見えないものは、恐い。
見えないから存在していないと、多くの人が気付かずにいてしまう。
「事実としての証拠」にこだわる医師も、同じ落とし穴にはまり易い。
「私は、消毒薬の(例えば)有機リンで、筋肉が痙攣するんです。拭き取られた後のほんの少量の残留でも、反応するんです。」
と言ったとしても、多分ほとんどの人(医師も含めて)には、「気のせいでしょ。」と聞き流され、馬鹿にされるだけだろう。
いろいろ知っているつもりの専門家の私であっても、こんな風に原因である可能性に気付かず、通り過ぎてしまうこともある。
そうして、「自分が疲れたから、弱いから」と自分のせいにしてしまう。
ましてや、一般の人たち、一般の患者の人たちであれば、疑うこともなく自分のせいにしてしまうことが、いくらでもあるに違いない。
いったいどれほどの辛い症状が、原因も突き止めてもらえないまま、気のせいとされ、患者本人が悪いかのように責められて、見過ごされていることだろう!。
そしてそんな患者たちは、どれほどの理不尽な苦しみの中にいることだろう。
そう思いを馳せると、心が引き裂かれるような痛みを感じる。
病歴であと1つ、言及しておこう。
膀胱の違和感とそれによる頻尿には、大変長く苦しめられた。
この記録でも何度も触れてきたと思うが、良くなったかと思ってもまたしつこくぶり返し、薬などの医療でも時間の経過でも、結局解決ができなかった。
一晩に10回も、トイレに起きるような日が続くこともあり、これはこれで堪え難い症状であった。
NAET治療では、これもアレルギーの表れとして治療できる対象だそうで、実際私の体の治療中に、それが焦点になることが多々あった。
長い長い治療がこれには必要であり、1年2年、さらに3年4年とNAET治療が1つ1つ進むうち、少しずつ、ほんとうに少しずつ、苦しい症状が少なくなっていったのである・・・。