期待するなら、覚悟を持て


たくさんの、たくさんの病気がある。
それぞれの苦悩がある。生きづらさがある。
医療の存在意義はそれらの解消を、でき得る限りにおいて成し遂げること。

研究者、業者、医療者、すべての者が日々そのために努力している。
そうした努力の成果として、医療にまつわる技術は今日、途轍(とてつ)もない発展を見せている。

ほんの3、4年前までは、限られた施設でしか実施できなかった、遺伝子を増幅させて検出するPCR。
そんな複雑な技術を要する検査も、必要とあればものの数か月ほどで、どこでも行える体制が整えられる。
これは凄いことである。

かつて癌は、病巣塊を手術で取り切れないなら、もう有効な手はない、
抗癌剤など気休めのように言われていたのが、
今ではさまざまな癌で、明らかな腫瘍抑制効果の出せる薬が出てきている。

アレルギーにおいても、また然(しか)り。
前には手も足も出せなかったほど重度の症状を、消し去るような薬が、
夢ではなく、現実に手の届くところにある時代がやってきた。

だが、それは良いこととばかりも言えない。


第1に、高度な検査や薬剤には、それだけの費用が入り用となる。
徹底したPCR検査でゼロコロナを達成しようとした中国は、高齢者の通常の医療薬剤費の捻出にも事欠く財政状況に陥った。

1薬剤で数万円は当たり前、ついには単価が百万、千万、億にまで至る高額医療は、あっという間に医療財政を逼迫(ひっぱく)させることができる。
それら高額医療費を、日本のような保険制度の中で賄(まかな)い続けるには、可能な限り、他を削るしかない。
薬局でも購入可能なOTC薬をどんどん増やし、スイッチさせる。
境界領域の保湿剤などは、割高であろうと市販品で間に合わせるようにしてもらう。
一見関係なさそうなこうした不便が、いざというときに自分も恩恵にあずかれるかもしれない高度医療の代償として生じてしまうのは、悲しい必然だ。
高額の薬が増えれば増えるほど、日常の医療は、不自由になっていかざるを得ない。


第2に、薬の幅が広がり、選択肢が多様になるほど、選択が困難になる、ということがある。
いっぱいあれば好みのものを選べていい、と思うかもしれないが、
実際には、好きに選ぶことはできないのだ。
むしろ適切に選ぶための手順が薬の数だけ生まれ、どんどんややこしくなっていく。

最近の抗癌剤では、薬が合っているかどうかを見るため、先にその人の遺伝子構造を調べておかなければならなかったり、
免疫抑制剤などでは、副作用が出易いところに薬のリスクを高める不健康がないかどうか、予(あらかじ)め精密検査にかける必要があったりする。
病気の治療のために、健康かどうかを調べるなんておかしな話だが、これが現実だ。
医療者はもちろん、どの薬にどの事前検査が必要かまで、すべてを知っていなくてはならない。

強力な薬ほど、それを使っていい病気やその重症度、体の条件は、詳細に定められている。

重度の花粉症に用いうる生物学的製剤ゾレア(一般名:オマリズマブ)を例にとると、
まず原因となる花粉に、IgEなどの検査で陽性が確認されていなければならず、
そして花粉回避と既存の治療(鼻に使うステロイド薬を含む)をすでにしていて、それでも重症か最重症(重症の定義は、1日のうちにくしゃみ10回以上あり、鼻かみ10回以上あり、鼻詰まりによる口呼吸がかなりの時間ある)にあり、
さらに投与量換算表に当てはめられる(IgE値が30IU/ml*以上、体重20kg以上)こと、と定められている。

IgEの30IU/mlという値は、クラス4(17.5< 〜50UA/ml*)の中の高めに該当する。
(*単位表記が異なっているが、この2種の単位の示す数値は同じである。ちなみにスクリーニングとして最近よく行われるセット検査のView 39は、Index値という独自の基準を用いており、この換算表に当てはめることができない。)
つまり、クラス0から6まである重症度レベルのうちの確実に上の方、クラス4高値か、5か、6に入るひどさでなければならない。
陽性はクラス2からだが、たとえ陽性であってもクラス2、3、そして4の低値までは、この薬の適応ではない。

では、軽度ないし中等度陽性の人たちはどうしろと? と問われるかもしれない。
今まであなたがそうしていたように、従来からある、回避や既存薬や減感作療法で適切に管理してください、がその答えとなる。
新薬が出たときには、従来薬と置き換わっていくケースと、併存し続けるケースがあり得るが、高度医療はほぼ間違いなく後者であり、他のどれでも太刀打ちできないときに初めて、実施を考慮すべき性質のものである。
回避や既存薬が面倒くさいからとか、生活の節制をしたくないからといった理由で、強い薬を要望することはできない。
最後の切り札を、安直に軽症者に用いることは、許されないのだ。

なぜなら、並外れて作用の強い薬とは、高額なだけでなく、その裏を返せば並外れて副作用の強い薬だからである。
医師はそのことを知っている。
その薬を使った中で、最も悲惨な末路を辿った患者の経過を見聞きしている。
だからこそ医療者は慎重になる、慎重であらねばならない。
患者も、最上の結果のみに心を奪われるのでなく、金額の問題だけでもなく、例えば免疫を阻害する薬であれば、体内免疫機構が致命的な破綻を生じるリスクを引き受ける覚悟を持てなくてはならない。

医師は日々の診療で、どんなに複雑であってもそうした薬に関する決まりごとすべてを念頭に置きつつ、そのあらゆる副作用の可能性はもちろん、個人の経済事情から社会的立場から信念までもを含め考慮した上で、今目の前にいる患者の方に、その薬が適用可能かどうかを判断している。
その病気に用いられるあらゆる外用・内服・注射などの薬や処置、その他諸々の治療法に対して、適用の取捨選択をひとつひとつ脳内で瞬時に行い、その個人に現在最適な方法、あるいは実現可能な選択肢を選び出しては、患者にそれを提案する。
それこそがテーラーメイド(tailor-made)医療、ひとりひとりに適合させた仕立て屋あつらえの医療というものである。


近年の情報化社会では、最先端のことを簡単に知り得るため、誰もがついつい背伸びをしたくなりがちだ。
そんな薬があるなら、私がそれを使えたっていいじゃないか、と思う。
誰でも、自分が主人公だから。
自分の人生の中にそれを当てはめられるかどうかを思案しつつ、日々のすべてのものごとを見聞きしているのだから当然だ。

だが、同時に自分は社会の中の一員であることを忘れてはならない。
最新鋭の高い薬でなくても、従来ある適切な薬や治療法で、日々の日常生活をまずまずの状態で過ごしていけるのなら、自分が最重症でなくて良かった、という幸せをまず感じるべきであろう。

2023.03.  

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