纏足(てんそく)という言葉をご存知だろうか。
中国の古い風習で、女性は足が小さいほうが可愛らしいという発想から、幼少時から足を固く結わえ付け、大きくならないようにする。
検索をかけると、足の指々が根元から折れ曲がり、足裏にめり込むように貼り付いた、見るも無惨な写真が出てくる。
足の骨の成長が妨げられ、関節が押し潰された形のまま固定され、不可逆的変形に至った結果だ。
こうした女性たちは当然、長い時間歩くことができない。
男性の庇護の下、家に留まり生きていくしかない、守ってやらねばならない、可愛い弱者となる。
纏足はこのように驚き呆れる習慣だが、実は強者たる男性が女性を支配しようと試みた愚かとも言える所業は、歴史にさまざまみられる。
イスラム圏で女性のみに要求される頭や体を覆い隠すベールなどの装いは、そうした由来と考えられる1つだが、女性自らの望みとなる程に信仰的生活習慣として定着してゆるぎない。ひどいものでは、中世ヨーロッパで出征する夫が留守中の妻の貞操を守るため、鍵のかかる金属枠で腰部を覆ったことがあったり、またアフリカで少女の成長儀礼として女性器を傷付けたり縫い閉じたりする儀式のような、恣意的なものもある。
それらに比べると現代女性、ことに日本や西欧圏に生きる女性たちが解放されているのはとても幸いなことだ。
自由を謳歌(おうか)しているように見えるその彼女らも、その多くが今度は別の呪縛に絡(から)めとられているのではないだろうか。
それは、外見という呪縛である。
毎年、季節が変わるごと市場に押し出される、あまたの靴。
次々新デザインを謳(うた)って発売される、目にもあでやかな靴たち。
思わず手に取りたくなるし、流行の靴ならばと早速履いてみたくもなる。
けれどそのとき、足の働きに思いを致すことはあるだろうか?
その靴が自分の足を損ない傷付けるかもしれないなどとは、夢にも考えていないのではないだろうか?
考えてみてほしい。
なにしろ、人が人として立って二足歩行できるのは、足のお陰に他ならない。
足腰の衰えはそのまま寝たきりへ、心身の衰えへと直結する。
足が体を支えて移動する機能を維持していられることが、健康のためにどれほど大事か。普段は忘れがちだが、あだや疎(おろそ)かにしてはならない課題なのである。
どんなに見てくれが良くても、足の機能を損なうような靴を長時間履いていれば、いろいろな問題が生じうる。
毎日、何十年と履くうちに、それは纏足のように、不可逆的な変化にも移行しかねない。
たとえば、すらりと伸びた美しい脚で、踊り歌う歌手の人たち。
とても高いピンヒールを履いたまま激しく動き続けるこんな生活を、日々余儀なくされていたら、いったいどんな足になっていくのだろうか。
他人事ながら心配になる。
正常な本来の歩行は、足の踵(かかと)をまず着き、それから前方に体重移動をして指(特に親指)の腹で蹴り出していくのだが、ハイヒールではこの自然な動作ができない。
踵を着いたすぐ次の瞬間くらいにはもうつま先が地面に着いてしまう。
踵もヒールで支えているとはいえ、その安定性は靴によってはかなり危うく、いわばずっとつま先立ちで歩いてるようなもの。足先にかかる負担は、どんな変形をもたらしてもおかしくない。
では底全体を厚くして高くするのはいいのか?
否、厚底靴では大きな直方体となった底部分が、硬くて曲がらない。
足は靴底の形に固定されたまま、さながらギブスに嵌(は)められたかのように動かせない塊となる。厚底の重さとあいまって、動きを補うための過大な負担が動かせる足首にかかる一方、足は柔軟性を失っていく。
背を高く見せるため、脚をより長く細く見せるため。
見栄えを良くすることが仕事の人は、本当に大変だなと思う。
見栄えといえば、中高生の指定靴もそうだ。
お揃いのローファーで整列する姿は、とてもトラッドで美しい。
だが紐で編み上げる靴などと違い、ローファーは固定具がなく足を差し入れるだけで履けるスリップオン(スリッポン)と呼ばれる靴の代表格である。
とくにローファーは踵部分が浅く、より固定性、安定性において劣る。
そして学生用に用意できるような値段のものだから、柔らかい本革などではなく、本体も底も硬い合成素材。
実質的に、カチカチのスリッパを履いているのと同じ状態になる。
欧米に比べて、日本は靴文化の歴史がずっと浅い。
奇抜な新デザインが流行(はや)ると瞬く間に国中そればかり、横並びになるような国民性でもある。
皮膚科の外来をしていると、ほんとうに足のトラブルを抱えた方が多い。
その多くは、靴の選び方、履き方、歩き方、爪の切り方などの長年の生活習慣が原因となっているのに、それを知ることもなく過ごしてこられている。
足に合った靴を選ぶことが大事だなんて、学校でも家でも教えてくれないのだから、しかたがない。
むしろその逆で、集団行動重視の学校では、朝礼など大勢で校舎を出入りする際、素早く遅滞なく靴を履き替えることを要求される。
指定靴のサイズ選びだって、一瞬履いて長さの長短だけで判定する、入学前の流れ作業だ。
長時間履き続けたあとでやっぱり足に合っていない、足が痛いなとなっても、それを言い出すことすら集団からの逸脱行動になるという、無言の圧力がある。
世間を渡っていくには、人と協調していかなければならない。
けれど、人の勧めるものが、必ずしも良いものとは限らない。
自分の身は自分で守るしかないのが現実と心得ねばならない。
良い靴選びの話で、専門家がよくするアドバイスがある。
足の形をきちんと測定しないといけません。
シューフィッターに選んでもらいなさい。
適切なインソールを入れれば合うようになります。
それらもいいのかもしれないけれど、自分の履く靴くらい、何が良いのかそうでないのか、自分で選べるようでいたいではないか。
ポイントは3つ!
爪先立ちしたとき底が曲がること。
甲がフィットしていること。
踵が抜けないこと。
挿入画像で
茶色のスリッポンがOK
黒いローファーはNG
タコやウオノメも巻き爪も、ごくありふれた問題だ。
決して他人事ではない。
巡り合わせの悪いごく一部の人たちがなる憐れむべき病気ではなく、誰しも機能を無視してお洒落や怠惰やお買い得の呪縛に捕われれば、招き入れてしまう障害なのである。
できることなら、足の機能を殺さない、足を傷付けない靴を選ぶ。
デザイン重視のときがあっても、とにかく楽にずぼらに履きたいときがあってもいい。いつもそうではなくて、今はそうしているという自覚があればいい。
社会に踊らされることなく、自分に必要なものを選び取っていけるようでありたい。
2019.3.