君は綺麗だーシンクロする歌詞



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Official髭男dismのボーカルが「Pretender」のクライマックスで朗々と歌い上げる『君は綺麗だ』。
日本の男性が、照れも隠さずそんなセリフを口にする時代になったのか、と驚いていたら、
King & Princeの歌のタイトル「君は、綺麗だ。」、YOASOBIの「夜に駆ける」の歌詞にも『君は綺麗だ』と立て続けに同じ言葉に出会い、もっと驚いた。

瑛太の「香水」は『綺麗』ではないが『君は素敵な人だよ』と言い、RADWIMPSの「夏のせい」は『君は綺麗になった』と歌う。
全く無関係な歌の中に、類似の言葉が繰り返し現れる。
この現象は、何?
時代の気分なんだろうか。

イタリアの男の人たちは、常に口説いているくらいに、女性を声高に言葉で褒(ほ)めたたえるという。
対する日本男児は、亭主関白に代表されるように、優しさは内に秘め、武骨(ぶこつ)で多くを語らないのが伝統。
愛の告白も明治時代に漱石が示したように「月が綺麗ですね」などとしか言わなかったはずだ。

それでも現代では、草食男子や肉食女子という言葉が言われるようになって久しい。
女性の社会進出が進むと共に、男性も全てを背負って肩肘張らずともいられるようになる。

日本の行く末を握る国政の場で活躍できるのは、菅首相を始め、年配になってからだが、
同じ様に日本中の人が聞く歌を創る場では、30代など若い脂の乗った作家が次々排出している。
こうした新世代の青年たちの思いが表出される作品だから、より早く変化が現れるのだろう。

私ももう古い人間になり、このアトピーサイトを開いてからでもかれこれ16年、トップページに書いている「中年の女性」を「高年」や「高齢」に直さなくてはいけないかな、と思うような年になってきた。

この間、女性を「お前」ではなく自然に「君」と呼ぶ日本男性が、きっと着々と増えている。
私の学生の頃の女子は、同級生や先輩にはみんなと言っていいほど、「お前」と呼ばれていた。
まさしく隔世(かくせい)の感がある。
女が男から目下に見られる傾向が減り、時によっては逆に見上げる対象にもなりつつあるのだとしたら、それはいいことかもしれない。

ただ1つ、気になることがある。
それは、女性への賞賛を、男性が自分の弱さを正当化する隠れ蓑(みの)にされることはないか?ということ。

相手を持ち上げ、自分を下に置くのは、ある意味楽である。
上に立って万事を定め指示する責任を取らなくてよくなるからだ。
私事を振り返ってみると医大生時代の中盤頃、当時付き合っていた男性に「ついて行きたい」という気分が強くなった時があった。
相手にそれを話すと当然喜ぶのだが、そんな彼の受け止め方を前に、私は何か白けたものを感じていた。

当時の私は、医学専門学科の勉強にどっぷり浸かる毎日の中で、医師というこの責任重き仕事を自分が務めていけるかどうかに、漠然とした不安を感じていたのだろう、と今ではわかる。
夫について行く妻という従属的な立場に自分を置くことによって、医師として主体的にバリバリ働けなくてもいい合理的な理由づけにしようとしていた。

その後、学習がより実務に近づき、自分がどんな医師になるかが見えてきた頃には、その気分は消散していた。
そして必要な仕事と学習に、邁進(まいしん)して行ったのである。
相手には全く申し訳ない話だが、そのモラトリアムこそが学生時代だから、やむを得ない顛末(てんまつ)だった。

人間、強いばかりではいられないのは確か。
いくら努力してもどうにもならないことに対するやるせなさを、誰もが抱えて生きている。
だから、心地良い旋律に乗せてその苦い思いを繰り返し吐露(とろ)できる歌というものは、人々の強い味方だ。
文化は、そのためにこそあるのだろう。
それらは、心のご飯である。

叶わぬ想いを口ずさんだり、叫ぶように思い切り歌ったり。
そうすることで、人は鬱屈(うっくつ)のガス抜きをし、そして再び大変な日常に帰って行く。
大変で辛い、同時に愛(いと)しく素晴らしい日常に。
この世に生を受け、一定期間、味わうことを許されたこの人生に。
流行(はや)り歌は、時代の空気を映す。

失恋を嘆く歌は、男女を問わず、古来、数多(あまた)ある。
その中で男が女への憧憬(しょうけい)を歌うものが目立つというのは、男が自信を失いつつあることを示しているのだろうか。
厳しい時代には、将来に希望が持ちにくく、生きていくことの大変さが重く感じられやすい。
右肩上がりの成長はすでに過去となり、文明の頂点とも思えるほど発展したIT技術を享受(きょうじゅ)しながらも、予想を超えた思いもよらぬ災いに振り回され続ける、現代の私たち。

でもそれでも、与えられた生の間中、もがき続けたい。

「忘れえぬ女」(原題は「見知らぬ女」)というロシアの画家の絵があった。
乗り物の上から傲然(ごうぜん)と自分の方向を見下ろす、美しく気高い女性。
その姿が、一瞬にして画家の心に焼き付いたのだろうか。
彼が現代日本の若者だったら、「君は綺麗だ」と言っただろうか。
言葉はなくともその絵には、かの人がどれほど綺麗であったかが見事に描かれている。

『一番に好きだったのは・・』という歌もあったな。
中島みゆき作の「最愛」。
添いたい人に添えない、見果てぬ夢を落とし込んだそんな物語に人々は共感し、そこに自分の掴(つか)みたかった憧(あこが)れを重ねて生きていく。

『綺麗』な君とは、何だろう。
それは、その人が人生の中で見つけた、1閃(せん)の輝きだろう。
ならばそのきらめきを胸に、その思い出と共に、長い一生を生きていけるのではないかな。
思い出は胸の中で、いつまでも色褪(あ)せることはない。

2020.09.  

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