とんでもない時代になってきた。
新薬デュピルマブ(商品名デュピクセント)が2018年4月に登場してから早3年、アトピー性皮膚炎治療業界の景色は、静かに確実に変化してきている。
何より、よく効く。
私自身は使用経験がないため、耳学問だが、
注射開始後2週以内、つまり1回注射しただけで劇的に改善する人もいる。
2週ごとの注射を続けるうちに、アトピーによる湿疹の大半が消え去り、
特筆すべきことに、ひどいしつこい痒みさえもなくなるという。
今のところは、安全面の評価も高い。
起こりやすい副作用としては、結膜炎が挙げられているくらいで、
これは、点眼薬を用いることで制御可能とされている。
薬物成分に対するアナフィラキシー反応や、
免疫抑制薬であるゆえの免疫力低下から、細菌・ウィルス・寄生虫その他の微生物に感染しやすくまた重症となりうる可能性が、顕在化したという報告は乏しい。
べらぼうに高価な薬でさえなければ、多くの人が使いたく思うのだろうか。
2週間に1回の注射は煩雑(はんざつ)だけれど、自己注射が早々と容認されて、通院の手間は軽減されている。
時々家でこっそり注射するだけで、アトピーによる健康的・精神的・社会的障害のすべてから解放されると考えれば、すばらしく理想的な特効薬、なのかもしれない。
とは言え、ヒトの体内免疫物質の標的に特異的に作用するモノクローナル抗体、遺伝子組換え技術で作られるそれらが、手頃な安さで作成できるようになるとは、望み難い。
人の命は地球より重い、と言ってみたところで現実の金銭問題がなくなるわけもなく、ひどいとは言え湿疹ごときで高額療養費制度のお世話になることが果たして是なのか?という議論も成り立つだろう。
高価で強力なこれらの製剤は、頻用すべきものではなく、その適応には強い制約がある。
どれにも書かれている要件は「既存治療で十分な改善が得られない」、あるいは癌なら「進行・再発・転移性、切除不能、化学療法後も悪化」という究極の手詰まり状態だ。
デュピルマブ(デュピクセント)の場合、適応は成人のアトピー性皮膚炎で、しかるべく抗炎症(ステロイド/タクロリムス(プロトピック))治療をしているが効果不十分、炎症の強い皮疹が広範囲、が要件である。
さらに完治させる薬ではないことを理解した上で開始とされ、その後も保湿剤などの継続は義務だ。
本剤では該当するケースは少なそうだが、16週以内に反応しなければ中止を、とも書かれている。
こうした強い制限は、その薬のリスクの高さを物語るものに他ならない。
リスク内容は、免疫へのリスクと、経済へのリスクの2つに集約されるだろう。
前者はあなたの生命を左右し、後者は医療経済として社会をも脅かす。
免疫抑制剤のリスクは、真っ当な想像力を持っている医学医療者・研究者・科学者なら当然想定すべきものだ。
外敵に対抗する機能の一部が失われたとき、そこを突いてくる感染症は急激な悪化を生み、致命的になりかねない。
今までの免疫抑制剤、内服のステロイドやシクロスポリン(ネオーラル)においても、代表的な副作用としてそれはあり、だからこそ長期投与は厳に避けるべきとされてきた。
しかし、有効性が目の前にあれば、まだ起きていない副作用には目をつぶりたくなるのは人の常だ。
ステロイド内服には期限の縛(しば)りがないため、単剤のプレドニン/プレドニゾロンや、抗ヒスタミン薬と合剤のセレスタミンは、一度始めると切ることが困難となり、断続的や継続的に、数か月を超える投与に至ることがしばしばある。
多量投与や年単位の投与では、感染症とは別の副作用だが、脂肪代謝への影響により顔の皮下脂肪が増え、満月様顔貌という特徴的な丸い顔つきにもなる。
皮膚や皮下組織が薄くなり、血管も脆くなる。
2008年10月にアトピーが適応追加されたネオーラルは、当初期待されたほどにアトピー症状を封じ込めてはくれなかったが、それでも他に手がないため、外用・内服・光線など既存治療で効果不十分なアトピー患者に、最後の切り札とされてきた。
投与はできる限り短期間にとどめ、8週以内に改善がみられなければ止める、効いていても1回の投与は12週以内が目安、という縛りがある。
しかし昨今適応が拡大解釈されるきらいがあり、皮膚科医の中にはこの規定を取り払ってもいいのでは、という意見も聞かれる。
留意すべき副作用として、ある程度可逆性ではあるものの、5%以上という高頻度で腎機能障害が生じうる。
また血圧上昇があり、若年のうちから薬の必要な高血圧となる可能性がある。
腎障害に高血圧、それからアトピーでは通常行われないはずだが断続的にでも投与が年余に及べば、免疫力低下による感染症。
もし重度の肺炎などを生じれば、それで命を奪われてもおかしくない。
患者は、アトピーの改善と引き換えに、寿命を縮める持病を抱えるリスクを負う。
デュピルマブ(デュピクセント)に始まる抗体製剤は、この流れを受け継いで、どこへ向かっていくのだろう。
ピンポイントゆえに、外敵対処免疫の急所を抑制せずに済み、何年使っても重度の感染症は起こさずいられるというような、うまい話に落ち着くだろうか。
あるいは、1年、2年、3年としばらく注射を続け、症状を抑えている間に、インターロイキン4 (IL-4)の関わる回路がすっかり落ち着いてしまい、いざ薬の間隔を開けたり止めたりしても、症状が出てこないで軟着陸できる人もいるかもしれない。
アトピー性皮膚炎は元来、自然軽快の素質がある病気であるし、人体はどんな環境に対してでも適応しようとする高性能な機関である。
だがまた別の人たちは、どこかで薬が効かなくなって、あるいはアレルギーなどで使えなくなって、その頃には発売されているであろう他の抗体製剤へスイッチしていかなくてはならないかもしれない。
それとも、経済的負荷のかかる不自然な生活に、限界が来るかもしれない。
そうこうするうちに、重篤な感染症にかかり死線をさまよったり、数年続けて初めて出てくる新たな副作用に遭遇したりするかもしれない。
薬を続けてどういう帰結に至るかは、やってみなければわからないのが現状だ。
十分な経験がない発売3年の新薬には、「この薬を始めたらいつまで続けるのか」という患者の問いに対する確かな答えはない。
本来、入り口があるなら出口もあるべきだが、これらの新薬について未だ医師に提供しうるのは、こうしてみようかという止め時の算段の域を出ない。
それを不満と感じるなら、この薬を使わない方がいいだろう。
西洋医学の理念は基本的に、allopathy(アロパシー)だ。
逆症療法、対症療法であり、症状が出なくなれば、それがすなわち治せたということ。
いかに効率よく、副作用少なく、症状を抑えて出ないようにさせられるかが至上の命題。
だがそれが結果として、本当の意味での治癒に結びつくこともある。
その意味で、この薬は、1つの完成形と言えるかもしれない。
抑えたいところだけを抑える薬。
それによって図らずも、アトピー性皮膚炎の大きな懸案であった、湿疹・痒み・皮膚バリア障害(乾燥皮膚)のいずれもが、IL-4の働きと深く結びついていることが証明された。
あとは、IL-4を抑制し続けることが、他に大きな問題を起こしさえしなければ。
それでも、いや、だからこそかもしれない。
とんでもない時代になった、という懸念が拭えない。
異様に高額な、生体にとって必須の免疫系を抑制する薬に、他力本願するしかない時代。
今や、こうした免疫抑制剤によって治療される病気は、非常に数多い。
SLEや大腸炎といった自己免疫疾患を患う人たちの苦悩が、今更ながらに少しだけ垣間(かいま)見られた感じがする。
ほぼ皮膚が荒れやすいだけの、大人になれば忘れてしまうはずだったアトピー性皮膚炎。
それが、全身の健康と家計を左右する、命がけの治療に取り組まなけばならない時代が来るとは。
全身に広がる湿疹で寝たきりであった頃の私ですら、予想だにしなかった。
もちろん、まだこれらの薬を使っているアトピー患者は、ごくごく少数である。
一般病院やクリニックで診られている大多数の患者は、保湿をきっちりとか、ステロイドを怖がらず塗ってねとかいう従来の標準治療や、人によってはそれ以外の治療や養生を実践し、それで日々を送れている。
しかし大学病院や高度な中核病院では、すでに抗体製剤なしに医療が語れなくなっているだろう。
学会を聴講しても、最先端の話題となれば、どうしても新薬の話が主流となる。
さらに恐ろしく思うのは、大学病院で勉強中の若き皮膚科医たちがみな、その洗礼の中で毎日暮らしているということである。
あと十数年、二十数年したら、その医師たちが市中病院勤務や開業医となり、一般医療を担うのだ。
彼らの頭の中には、抗体製剤が当たり前の通常薬として存在している。
ちょっと悪い患者にはすぐそれが勧められ、断ると呆れられて見放される、そんな恐ろしい時代が来るのでは、と考えるのは、私の妄想だろうか・・。
ホラーついでにもう1つ言及しておく。
商品名をコムクロシャンプーという怖い薬がある。
一般名で言うとクロベタゾールプロピオン酸エステル、最強レベルのステロイドである。
この成分は、デルモベートという商品名の軟膏・クリーム・スカルプローションで、馴染みのある方も多かろう。
他にもジェネリックで、デルトピカ、デルスパート、グリジール、ソルベガ、マハディの名でも売られているが、今までにシャンプー剤というものはなかった。
コムクロシャンプーは2017年7月から頭皮の尋常性乾癬薬として販売されており、今年2021年の2月からは、湿疹・皮膚炎にも用いてよいことになった。
湿疹・皮膚炎の範疇に入る病気は、皮膚疾患の中で非常に数多く、我らがアトピー性皮膚炎も無論のことその中に含まれる。
何が恐ろしいと言って、その最強レベルのステロイドを、血流豊富な頭皮に広く塗りつけて15分放置するのである。それから、泡立てて洗い流す。
生理的に血流が良いゆえ良好な頭皮の経皮吸収率は、基準となる前腕の3.5倍、そこへ最強レベルを見境なく全体に塗り広げるというのだ。
開いた口が塞がらない。
薬の説明としては、短時間の接触で洗い落すから、効果を得つつ副作用も抑えられる方法だそうだ。
しかし本当にそうだろうか。
シャンプー剤であれば、皮疹のないところにも付き、吸収されてしまう。
皮疹があるところでは、皮膚バリア障害による、吸収亢進がある。
さらに待ち時間の間、顔への液だれをゼロにするのは至難の技だろう。
液が伝わり落ちる顔や首の皮膚は、前腕の6倍から13倍の経皮吸収率を有し、
特に眼やその周囲皮膚から吸収されるステロイドは、副作用の緑内障や白内障に直結する。
実際にこの方法で異常な量のステロイドが経皮吸収されてしまうことは、薬の副作用記載の中にクッシング症候群(体内ステロイド過剰)や副腎機能抑制(ステロイド過剰のため体内分泌が減る)が挙げられていることでわかる。
乾癬や湿疹という皮膚病があっただけなのに、その薬で眼や副腎に障害を負うなら、これは医原病に他ならない。
症状を抑える薬は、強度を増していくしかないのが宿命だとしても、この薬は度を越している、そう言う他ないと私は思っている。
使用は4週間を目安に、とされているのは、影響が甚大な薬だからだ。
なのに患者側から見れば手軽に使えるシャンプーという認識であれば、その齟齬(そご)は重大なる結果を生じうる。
そんな簡単なことに、医学部や薬学部を卒業した優秀な頭脳を持つ人たちの配慮が及ばないのは、いったいどうしてなのだろう。
作っちゃった薬だから売るしかない、という発想?だとは思いたくないのだが。
病気は、人生に転がっている障害物だ。
人は、その障害をかわすために、医療や薬を用いる。
医師には、可能な限り自然な自分のままで、私たちの人生を全うできる手助けをしてもらいたいと思う。
けれどこれからの医師は、数多ある劇薬の効能と弊害を把握し、正しく管理するだけで精一杯、という時代になっていくのかもしれない。
患者の生活に目を向け、寄り添い、定型処方以外のところで治癒の方策を探る、そうした営みは、どんどん困難になってしまうかもしれない。
自分の身は、できるだけ自分で処したいもの。
そんな道理が通らなくなる未来図は、来ないでほしいとただひたすらに、願うよりないのだろうか。
2021.4