忘れ得ぬ患者さんがいる。
アトピー性皮膚炎ではなくて、長年の全身の湿疹から紅皮症となって久しい方だった。
当時皮膚科医1年生だった私は入院したその方の主治医となって諸先輩の指導下で治療にあたった。
型の如く very strongクラスのステロイド1日2回外用から開始し(内服抗ヒスタミン剤を併用)、症状の改善を見て漸減し、mild及びstrongクラスまで落とした所で、きれいな肌で退院された。
もちろんその後外来通院でさらにステロイドを弱くしていく予定であった。
ところが1ヵ月もたたないうちに、その方の皮膚は入院前と同じ酷さに戻ってしまっていた。
その時の衝撃は今も苦く胸によみがえる。
私は、外来に来たその方と家族の目をまともに見ることができなかった。
ただ前回と同じ薬の処方を書き、次回の予約に自分の名前を書かず、なんとかして誰か他の医師に廻してしまうことしか考えられなかった。
今思うと、これが、私がステロイドの限界を垣間見た最初の体験であったと思う。
大分あとになって、身内の子のアトピーにステロイドをつける機会があった。
乳児だったので、(リンデロンV軟膏の1/360以下とされる)最も弱い weakクラスの、コルテス軟膏にした。
良くなったら少しずつつけるのを減らして止めていくつもりだったが、夜に1回外用を開始した翌朝、皮疹は魔法のように跡形も無く消失していた。
何も無ければつけようがない。1回きりで外用を止めた。
そして2日後の朝、つける前よりひどい状態の見事な皮疹が、そこに出現していた。
その時も、ガツーンと頭を殴られたような気がした。
研修と経験を重ね皮膚科専門医となりステロイドを処方し続けてきたはずの自分は、いったい今までステロイドの何を見てきたのだろう、と愕然とする思いだった。
「こんなものをつけていてはいけない」、と肌で感じる、患者や家族の気持ちが、全く恥ずかしいことだが、はじめて、分かった、と思った。
ステロイドは、魔法のように症状を消し、治った気にさせる。
そしてそれは時折(或いはしばしば?)、激烈な揺り返しとともに醒める一時の夢に終わる。
この意味において、ステロイドはやはり魔物である。
では、ステロイドはいっさい止めればそれで済むかといえば、事はそれ程簡単でもない。
劇的に治ってそれきりで済んだ者にとっては、やはり福音でありつづけるだろう。
皮膚科が診ている疾患はもちろんアトピー性皮膚炎だけではないが、その中に現在、外用ステロイドを治療の主体とする疾患は非常に多い。
手術等が要るものと菌(細菌・ウィルス・真菌)による疾患を除けば、殆どがそうといってもいいくらいだ。
急性の疾患は治って薬を止められるからよいとして、慢性のこれらステロイドを処方する疾患の全てで、これをステロイドで治療することが本当に正しいのだろうか、ともし突き詰めて考え出したら・・・・
正直、私は自分が気が狂わずにいられる自信はない。
ステロイドを否定すれば、ステロイドで治療をする自分が否定されてしまう。
それが、常に身近にアトピー性皮膚炎患者を見続けステロイドの作用に最も気付き易い筈の皮膚科医が、かくも鈍感であるというパラドックスの、根本の要因のように思う。