「感謝 しかない」?




「〇〇さんには、感謝しかないです」
初めて聞いたとき、その言い回しの珍妙さにドキッとした。

流行り言葉というのは、いつでも新奇なもの。
それでも、思わず使いたくなるような蠱惑(こわく)を放つ。

だが、この言い方は、何度聞いても馴染(なじ)めない。
私が捻(ひね)くれているだけなのか。



「しか」という言葉は、数や量が少ないときに使う。
しかも、その少なさを残念だと思っている、マイナスの状況で用いるのが普通だ。・・と、私は認識している。
例えば、「賛成した人は私しかいなかった」というふうに。

だからどう考えてもプラスな「感謝」という概念に添えるにはふさわしくない。

「その人(やこと)に対して抱く気持ちの中に感謝以外はない、すべて感謝だ」と言いたいのだろう、とはわかる。
だが「しかない」と言われると、同時にその気持ち全体に矮小(わいしょう)感が漂(ただよ)ってしまう。
感謝がいっぱいあると言いたいのだろうに、ちっぽけな感謝「しかない」という印象を与える。
恩義を感じている相手に対して、礼を失する結果になるかもしれない。

いやいや、使い方によって否定的含意(がんい)は薄れるのさ、とうそぶくとしても、
なおこの言い回しには、感じ良くない面がある。
「感謝しかない」と言うこと自体に。

それは先ほど書いたように、「抱く気持ちの中に感謝以外はない」と言う宣言。
だがそれはありえない。

人の感情というものはとても複雑だ。
100%感謝、他には何もない、なんてありえない。
どんなものに対してでも、プラスの感情、マイナスの感情、さまざまなものが常に入り乱れているはずだ。

マイナスの感情がゼロだったらその人は、神様仏様である。
ほとんどがプラス感情だったとしても、内訳は感謝だけのはずはない。
他に最小でも、何らかの形の親愛の情を抱いてはいるだろう。
なぜそれを何もないかのように言うのか。

それら人間らしい感情を包み隠し、感謝以外何もないとするのは、きれいごとである。
お葬式のときに故人の悪いところを言わないのは、故人や遺族への配慮からだが、
ある人が「感謝しかない」と言うとき、感謝という万人受けの良い言葉のベールで、他の都合が悪いかもしれない感情のすべてを、あたかも覆い隠しているかのように見える。
だからこの感謝の言葉は、とても嘘くさく聞こえてしまう。

長い緻密(ちみつ)な文章より、一瞬で印象を残す目立つ表現がもてはやされる時代である。
この言い回しは、たとえ表現力のない人でも自分の気持ちの純粋さを強調できる、便利な表現なのだろう。
けれど、自分で思っているほど、その一途(いちず)な装いは成功していないと考えた方がよい。
たぶん多くの目上の人やその他の人たちが、「はぁ?」と思って聞いている。

言葉って難しい。
でも、尽きせぬ魅力がある。
理系の進路に進みながら、今でも私は新しい物語や言葉や文字に触れるのに夢中だ。
言葉は、その人を現す。
決して軽々に扱わないようにしたい。

2021.05.04.   



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