私立中学事情



4月は、新生活の開始の時期。
私の娘も中学に入学する。
沢山勉強をして受験をし、合格した私立の中高一貫校である。
希望に胸を膨らませる楽しい時期のはずなのに、
母の私の心は今ひとつ晴れない。


感じている明確な懸念は、主に2つ。


ひとつは、中学1年生から、信じられないほど多い補習の時間である。
毎日、下校するのが夜になる。夕食の時間が、おそらく、20時頃。
それが通常の時間割なのだ。

勉強の習慣を早い時期からしっかりつけるためだというのだが、起きている時間のうちの、限界まで、教師の目が届く学校の教室に留め置いて、ひたすら勉強させようという、その方針には、私は、何やら背筋が薄ら寒くなるような、異様なものを感じてしまう。

何より、体を壊しやしないだろうか、と心配している。


もうひとつは、制服と靴のこと。
そもそも制服というものはお仕着せであり、自分に合ったものを選べないものだ。
これは場合によっては非常に悩ましい問題となりうる。
実際、今気になっていることが、3点ある。


その1。
今まで綿ばかりを選んで着てきたアトピー持ちの娘である。
制服の生地・肌触り・着やすさにも気を付けて学校を選びもしたのだが、それでもスカートはウール混のもの。動くと裾が、膝の裏に当たることもある。
彼女のアトピー肌は、制服により悪化せずに済むだろうか?。

その2。
女子の場合、下半身は夏冬通して素足にソックスとスカートという装い。
夏は涼しくていいかもしれないが、冬はさぞかし寒かろう。
寒いのはつらいだけでない、下肢とお腹を冷やすことであり、体に悪い。
私が中学生の頃は、スカート丈は長く、その下もストッキングだったのでよかったが、今の流行は短いスカートに生足。一人だけ丈を長くするわけにもいかない。

その3、靴。
その1とその2は予想していたことだが、これは全く想定外の、驚きの事態であった。なんと、通学に履く革靴が、指定のお仕着せなのだ。

学校指定靴は、おしゃれで上等だが、足先が狭く、硬いローファー。
その一つの同じ形のものを、全員が履かされるのだ。選べるのはサイズだけ。

足の形はみんな違う。合わない靴を履けば、足の痛み、障害、全身への影響さえ生じる。
靴擦れ、べんち(タコ)、鶏眼(ウオノメ)、陥入爪(巻き爪)、外反母趾・・。
職業柄、これらの病気で苦しむ人たちも多く見ている。
足の甲の根元を調節して固定できる、紐靴やマジックテープの靴と比べて、ローファーはこうした障害を起こしやすいということも知られている。


かつて私も私立の中高一貫校で育った。
それゆえ、その内情は知っているつもりでいたし、
その経験から娘にもいいと思って勧めたのだったが・・・・・

どうやら甘かったのかもしれない。
世情は移り変わる。ずいぶん息苦しいものに変わってしまったようである。


中学受験に当たって聞きに行った、いくつかの同様の私立校の説明会を思い出してみる。

補習に関しては、娘の行く学校はいささか極端な例であるようではあったが、それでも中学1年時からごく当然のように時間割に補習が組まれている学校が多かった。

公立校のゆとり教育による学力不足の反動として、私立校は、より学力を付けさせる学校であることが望まれているということなのだろうか。
大学受験の実績も、学校側としてどうしても必要なものだということは理解できる。この少子化のご時世に、父兄にアピールして良い生徒を自校に集めるためには。

それにしても、と私は嘆息する。
一日中座りっ放しで、寝る少し前に夕飯を食べる生活が、子供たちの体に悪いとは思わないのだろうか。


制服もまた、見栄えが先走りしている感がある。
ほとんどの学校のパンフレットに、夏冬の制服姿のカラー写真があった。
制服の美しさは、受験生と父兄に対する、学校の重要なアピールポイントの一つになっているようだ。


タイムリーなことに、
朝日新聞4月6日付に、「学校指定靴での足のトラブルが増えている」という記事が出ていた。
それによると、靴の指定も、制服との整合性のためとのことで、おしゃれな制服姿を追求するこうした流れの中で、10年程前から増えているらしい。

記事には、合わない靴で歩けないほどに足が痛んでも、学校に使用を強要された事例、運良く指定靴以外を許可されても、級友に異質な目で見られ悩んだという事例が出ている。
起きて当然の事態だ。当事者となった生徒が気の毒でならない。

型にはめることが、みんな揃って美しく見えることが、そんなに重要なのか。
そんなことは、決してないはずだ。


当然のことだが、子供のために学校があるのであって、学校のために子供があるのではない。
一人前の大人、社会人になるために子供は教育されるのだ。
心身ともに健やかに育てなくては、学業ができても、いかに大人から見て素直ないい子に見えようとも、意味がないのではないか。

体を壊したら、社会のために働くこともできなくなる。
そのことの重さを身を以て知っている私だからこそ、案じられて仕方がない。


むろん先生方は、高い理想を掲げて、子供たちのためにと日々粉骨砕身しておられるのだと思う。

それでも、その方向性が、少し違ってしまっている部分があるのではないか?。
今一度、少しだけ、考え直しては下さらないものだろうか。
祈るような気持ちで、それを願う。
切実な思いである。

2006.4  

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