経験者として強く思うことがある。
患者のさすらいを、どうかあざけりの気持ちで見ないで欲しい。
それは伊達や酔狂でしているものではなく、行き詰まった病状に直面した者には、止むに止まれぬ仕儀なのである。
それを嘲笑っているほとんどの人が、自分がいざ重病になったら、きっと同じことをするだろう。
皮膚科医師である私は当然西洋医学におけるアトピーの治療のバリエーションについては既によく知っていた。一方西洋医学以外のものには無知だった。
今、西洋医学の中に自分の用いたい治療法がないという事実に直面した以上、それ以外のところに可能性を求めるしかなかった。
私は専門書以外の情報に始めて真剣に目を向けた。
なるほどこういう流れで患者はいわゆる民間療法に手を出すに至るのだな、と始めて腑におちた思いがして、苦笑した。
今までの自分が患者の苦渋の真の深さを全く分かってはいなかったこと、そしてそのことは患者にとって実に悲しい事実であることに、自分が重症患者になってみて始めて気付いたのであった。
結局の所、人間とは、自分の身に起きたことしか、真の意味で知ることはできない生き物なのかと思う。知識として知ること、思いやることはできるとしても。
それはともかくとして、そうした模索の中で私がまず辿り着いたのが、温泉療法だった。
広告で温泉療法の日本オムバスという会社を知った。
興味を持ったのは、アトピーを、「コントロール」ではなく「完治」させると謳っていたこと、そして実際に見た数人以上の体験者の映像が、確かに完治しているように見えたことだった。
同じ頃皮膚科関係のエッセイで、「乾癬(やはり根治できない皮膚の慢性病)」を無治療で自力で治してしまった患者の話を読んでいた。
私の中でパラダイム・シフトの歯車が回転を始めた。
−今まで、『治らない・だからコントロールすることしか出来ない』と思っていた病気が、実はそうではないのか?。
運を天に任せる以外に、治癒への道を切り開く方法が、実はあるのではないか?。
そのことを単に多くの人が知らないでいるだけのことなのではないか?。−
そうした思いが、心の中に沸き上がって膨らんで行った。
もしそうした道があるのなら、可能な限り挑戦してみるべきではないだろうか。
オムバスの主催者が書いた本も読んでみた。
アトピーと自律神経症状の関係が書いてあり、この全人的視点も、当時の私にとっては衝撃だった。
アトピーは、あくまでも皮膚の病気だと思っていた。そうではないのか。皮膚だけを見ていてはだめなのか。
今日でこそ、人体の中で、免疫系・自律神経系・内分泌系が相互に複雑に影響を与えあっていることは、多くの人が知る常識となっているが、私は、そのことをその時始めて、医師でも何でもないその人の本で知ったのだ。
つまり、この温泉療法との出会いは私にとって、現代医学で正当とされる西洋医学以外の治療への初挑戦であるとともに、症状を押さえ込む治療しか考えてこなかった私が、全人的医療(ホリスティック・メディスン)や自然治癒力について考えはじめる最初の機会となったのである。
さて、私はほどなく実際にオムバスへ行って話を聞き、その指導に従って温泉療法を開始した。
方法は、自宅の風呂に24時間風呂の機械を設置し、同社の箱根の温泉から温泉水を宅急便で送って貰ってそれを風呂に溜めて、自宅で湯治する、というものである。
保湿剤は使ってもいいが、内服の抗ヒスタミンやアレルギー剤は、自然治癒過程を阻害するので勧めないという。
どのみち飲んでもひどい痒みは取れない状態だったし、副作用に嫌気がさしていた時でもあったから、飲まずにやってみることにした。
入浴は短時間では治らないそうである。毎日1日に3回以上2時間以上の湯治と指導された。何といっても薬のひとつも何も使わずに治そうというのだから、甘い世界ではないのだろう。
「生半可な覚悟ではできませんよ。」と社の人も釘を刺す。確かに大変な思いをすることになった。
入浴は皮膚に水分を取込みもするが、皮脂が湯に溶け出しもする。短期的には、皮膚の乾燥が強くなることが予想されたが、それだけではないような、籠っていた異常がが吹き出すような様相をほどなく皮膚は呈して来た。
体中の皮膚が炎症を起こし傷だらけになっていた。この頃には頭・顔の多く・手のひらの大半(散在性に主婦湿疹はあった)・足首から先を除くほぼ全身の皮膚がアトピーで埋め尽くされていた。
腕を少し挙げただけでびりびりと痛みが走る。風が当たっても痛い。毎回の入浴後すぐに軟膏を全身に塗っていたが、それでも抑えられない激しい痛みに耐えねばならなかった。
一方痒みもものすごく、(掻かないで我慢することなど神でもなければ到底できる技ではない、) 掻いても掻いてもおさまらない痒みが一日中続いた。
爪は勿論短く切っていたが、深さ1mm以上に達する線状の掻き傷をしょっ中作っていたし、一番ひどい時は膝の裏に直径1.5cm(!)に及ぶ丸い傷を掻いて作ったことがあった。
痒みはしばしば私の人生とともにあったし、自分の掻き傷も他の患者のそれも見なれていたが、こんなひどさは初体験だった。
どう表現すればいいだろう、それはまさに、「我が身をえぐらせる程の痒み」だったのだ。
これが異常でなくてなんであろう。
何かとんでもないことが私の身体の中で起こっていた−それがアトピーという病気なのだ。
私は、アトピーのいったい何を知っていたのだろう。
湯に入っている時は痒みはあるが痛くなく身体が動かせて楽なのだが、出る時は痛いやら痒いやら暑いやらで大変な気合いが必要で、長い時間がかかった。
その後はふとんに倒れ込み、痒みほてりでのたうち、ようやく少しの眠りにつく。
面白いことにふとんの中では温度と共に湿度も保たれるようで、バリア障害の痛みがかなり楽になる。逆にふとんから出る時は痛くてたまらないし、それが呼び水になって痒みもやってくる。
椅子の上にしばらく固まり、かさぶたができるのを待ってようやく動いた。
入浴後時間が経つと、多くの針で突かれ続けるような、いたたまれない痛痒さが身体を襲い、それは入浴しないと治まらなかった。
疲れきったときでも、入浴しなければ眠ることもできず、泣く泣く風呂場に向かった。夜中に痛痒さで眠れず、起き出して風呂に入ったこともあった。
そんな中でも運動をしなければと思い、娘と散歩したり遠回りで歩いて買い物したりした。
こんな時、そうした時間を共に過ごし語り合える友人でももしもいたなら、もう少し違っていたのかも知れない。
結婚により、夫の生活圏の高層マンションで暮らし始めていた私には、ほとんどの友は遠かった。
この頃の写真を見ると、髪もほつれたやつれた哀れな顔をしている。
背水の陣ではじめた温泉療法だったが、長時間入浴の継続は予想以上に体力を消耗するものだった。
心身ともリラックスするとはいえ、身体は暖まり心拍数が上がり汗が出る。入り出る時の身支度の苦痛で、緊張もする。
気が張っているので、あまり意識には上らなかったが、疲労は次第に蓄積していった。
一日中切れ間ない痒み痛みと戦い、夜も断続的にしか睡眠が取れない。そんな状態では、少々の昼寝をした程度で追い付くものではなかった。
この時私は、家事と、アトピーで共に湯治を開始した幼い娘の育児、ようやく見つかった週2回勤務の皮膚科医の仕事を抱えていた。
娘のアトピーも全身の大半に及んでいて、夜中に何度も痒みで目覚めてはぐずり続けるのをあやしたし、仕事の日は入浴してから行くため1時間以上早く起きなければならなかった。
電話での声が相当つらそうだったらしい。実家の母が心配して、週2回手伝いに来てくれることになった。成人し一人立ちした身が、今さらこんな面倒を掛けることになろうとは。情けなかったが、実際に心身とも余裕はなく、有難く申し出を受けた。
苦境に共感し寄り添ってくれる心と、現実的な助力こそが、患者の望むものだと思い知った。
そして、この温泉療法の経過はどうなったかというと・・・。
娘はいったん少し赤みなどが強くなったが、滲出液が多く出るほどにはならず、赤み・がさがさ・痒みの状態で長く推移し、そしてごくゆっくりと良くなっていった。
私の方はといえば、3ヶ月程経つと、始めの頃のようなひどい掻き傷は作らなくなり、3000IU/mlだったIgEも2000以下に下がった。
どす黒くごわついていた鎖骨部の皮膚は、色が取れしわになってきて表面に少し光沢が出てきた。
当初皮膚から落ちる角質や滲出液などでひどく汚れた風呂の湯は、少しずつ汚れにくくなっていった。その後温泉水の割合を次第に減らして行く。
痒みは相変わらず強かった。
半年を過ぎると、ぶつぶつや盛り上がりになっていた所が、大分取れてきた。
しかし、頚〜鎖骨部・両脇胸腹・股部といった皮膚が硬めでしわが深く性状が変わってしまっている所はしつこく、なかなか変わり映えしなかった。
驚いたのは、子供の頃から運動してもろくに汗をかかなかった私が、風呂や運動で汗をかくようになってきたことである。
代謝や自律神経の状態が変わってきたということなのだろうが、実際にこうしたことが起こるとは。
けれど、一方では、この頃から寝汗もかくようになり始めた。
身体がとても疲れていた。その日の疲れを、その日の休養で取り返せない。疲れはどんどん積もっていった。
LDHが500U/l前後とやや高値を示していた。
皮膚の細胞が目まぐるしく入れ代わっていることを意味する。
そのこと自体がかなりの余分なエネルギーを消費するのだなということは、後にもっとひどくなってから実感することとなる。
この時の私は、唯日々を過ごして行くことに必死だった。
家庭も子供も、私が家事育児をしなければ廻らなかったし、働き始めて間もない職場を投げ出すことはできなかった。
もともと温泉療法には、夫は懐疑的で、皮膚科医を代表とする友人たちはほとんど皆否定的だったから、私が弱音を吐き、負担を軽くする現実的な相談のできる余地はなかったし、そう知っていた私は、それを考えることもなかった。
もう一つ問題があった。
24時間風呂の湯をはり続けているので、家の中の湿度が高くなってしまうのだ。
合板の壁は湿気を吸収してはくれないし、高層マンションの風呂場は窓がない。風呂場の換気扇を廻し続けても、湿気取りを置いても、焼け石に水だった。
脱衣所の壁はカビだらけになり、窓の結露はひどく、窓沿いや北側の壁もカビで黒くなった。玄関の金属の扉に、水のしずくがついてしたたった。
合板中心の住宅は高湿度に対し実に無力である。
梅雨もあり高湿度の日本の住宅として、どうしてこんなものが普及してしまったのだろう。
温泉療法を開始して10ヶ月。
一見すると大した発疹がないようにも見えたが、鎖骨部などの皮膚は相変わらずだったし、よく見ると、頚からふくらはぎまで、痒い所の皮膚はしわや軽度の赤みなど、わずかに残った健常な部分の皮膚とは明らかに違っていて、アトピーが決して治ってはいないことを示していた。
痒みも柔らぐことはなく、毎日がつらかった。
ただし(療法開始時に既に大分軽くなっていた)顔だけは、たまに赤みやぶつぶつが出ることももうほとんどなく、「治った」といっていい状態にまでなった。
この頃、仕事の方で、内容と量が増えてきていた。
馴染みができてきたのか信用ができてきたのか、いずれにしても有難いことで、役に立てることも嬉しく、働いている時間は無我夢中だった。
仕事の時間は、私にとって、自分の存在価値を確かめられる貴重な時間だった。
しかし身体がもうそう長くは耐えられないだろうということも、うすうす感じはじめてもいた。仕事の翌日は、身体を引きずる思いだった。
疲れを反映して、外出の日に入浴のため早起きをすることが、どう頑張ってもできなくなってきていた。
かといって、入らずにそのまま着替えて外出することもまた、痒みと痛みでどうしてもできなかった。
このため、人と出かける約束をすることができなくなってしまった。かろうじて外出するのは、仕事と買い物という最低限の用事の時だけとなる。
孤独感・閉塞感が強くなっていった。
こんな状況によってか、時々できていた毛嚢炎(=毛穴の炎症で、顔にできれば「にきび」である。皮膚のバリア障害等の機能の低下、免疫の失調、繰り返し入る風呂での感染などの条件が重なり、温泉療法中はしばしばできるようである。)が体中に多発するようになる。
数えてみたら、多い時は200個以上にもなった。
オムバスで「10か月が山で1年くらいでよくなるでしょう」と言われていたその1年が過ぎた頃、疲労は積もってどうしようもなくなってきていた。IgEが再び上昇し、3000IU/mlを超えた。
一度、職場でサバの味噌煮を食べて帰ってきた後、ひどい蕁麻疹を出した。
さすがにこの時は抗ヒスタミン剤を飲んだが、アトピーがあるとはいえ、こんな蕁麻疹は子供の頃以来で、大人になってからはサバも普通に食べていたので、少なからずショックだった。
疲れのために余程疲免疫力が落ちているのだろうと考えられたからだ。
サバの蕁麻疹は一時的なもののはずだが、その頃から時々蕁麻疹が出るようになった。
アトピー性皮膚炎の、特にステロイドを止めて回復を待つ経過の中で、一時期蕁麻疹が出て長く続くことはしばしばあるらしい。オムバスのスタッフも何度も経験しているようであった。
これもまた免疫系の変調のひとつの表れなのだろう。
蕁麻疹は、夜入浴後臀部にびっしり出たり、夕食の準備で立っている内に出たり、休日に家族で公園などに行った折には移動の車に戻って一息つく度に出たりで、普通に生活することをより困難にした。
蕁麻疹も毛嚢炎も、限界が来ていることを身体が語っているように感じられた。
就職して1年2か月、とうとう頼み込んで仕事を辞めた。
一度辞めるという想念を自分で受け入れたら、張り詰めた緊張の糸が切れて、もう続ける力はどこからも出なかった。
最後は気力でもっていたのだと分かった。多分、社会人としての責任を果たし続けたいという気力で。
これで休める。ほっと一息だった。
それでもそうはいかなかったのだ。
夫が娘の幼稚園受験に熱心で、この少し前に、塾に入っていた。
私にはアトピーの幼い娘に、都心での暮らしや電車通いは無理だし望ましくないとしか思えず嫌だったが、夫は思い入れが強いようで納得しなかった。
車で片道1時間半かけて私と行った始めての通塾日の直後から、娘のアトピーは急激に悪化し、頚周り・四肢その他から滲出液がだらだら流れた。
すぐ塾を辞めたが、いったん激しく悪化した症状が容易に治まるはずもなく、1日2回にしていた娘の入浴回数を3回にして(この頃私は1日3回は疲れて入れず、1日2回のペースになっていた)回復を待たなければならなかった。
滲出液がほぼおさまって状態が落ち着く1か月後まで、私は、「自分のことを後回しにして人の心配をする」という体験を、生まれて始めてすることになった。
気が滅入って仕方がなかった。欝という言葉をその時は意識することはなかったが、振り返ると欝状態だったと思う。娘とマンションのベランダの手すりを越えれば死ぬんだな、と思ったこともある。そうしようとは思わなかったが。
仕事も辞めた私の体調を案じて下さった医師の所で、一般血液検査・心電図・胸部レントゲンのチェックを受けた。幸い、というべきか、アレルギー以外の異常はなかった。
娘が落ち着いて来た頃、主婦仕事で湿疹の絶えなかった手に、膿疱が出来てきた。
朝起きると米粒大のものが数個、出来ている。潰れると傷になるので、数日薬を塗って包帯しておかねばならない。それがどんどん増える。抗生剤を飲み、おさまってきたが、1週間飲んで止めたとたんにまた出てくる。今度は2週間飲んだが、止めるとまたどんどん出てきた。
限界が来ていた。働くべき免疫システムが働いていないのだ。
夫の仕事が一区切りついた日の翌朝、私は朝目覚めてふとんから出ることができなかった。手元の電話で、実家の母を呼んだ。
「お願い、来て。助けて!!。」
このように、温泉療法を経て、私は完全に社会から脱落した。
この章をお読みになった方は、今どうお思いだろう。
きっと、いんちき療法に引っ掛かった、馬鹿な奴(それも医者のくせに)とお思いの方も多いのだろう。
私自身は、オムバスに騙されたと思ったり恨んだりは全くしていない。
確かに私は治らなかった。しかし、世界中の医療者や研究者が血眼になっても治せないでいるアトピーという病気の患者のひとりを、やはり治せなかったからといって、彼らが悪いことにはならないだろう。
もし彼らが温泉療法で、アトピーの何%かの患者を本当に完治させているのなら、それはすごいことだと今でも思っている。(オムバスの宣伝ではありません。)
温泉療法自体は、西洋医学の治療法ではないというだけで、古来日本で様々な病気の治療に用いられ廃れずに続いてきただけの何かを持っていて今も使われているものだし、医学者の学会(温泉気候物理医学会)もある。フランスでは保険適応にもなっているそうだ。
立派な代替療法のひとつである。
しかし、アトピーという病気の根の深さは、容易な治癒を許さない。
そもそも、つらい期間を乗り越えて、自分の力を信じて、治していくという方法に現代人は慣れていない。つらいと、本人は懐疑的になるし、周囲も反対する。
それでも、あまりにも長引かずにすめばなんとか耐えられるが、長過ぎると、成果が出るまで体力・社会的事情・金銭的事情・精神力を続かせることは困難になる。
(非常に個人的な見解であるが、私は1年半〜2年くらいが、その境界線と感じている。これ以上長くなると、非常事態としての頑張りはもたない。日常の生活として、日々を続けていけるよう、生活の再構築が必要になると思う。)
そうはいってもまた、重症患者である程、対症療法薬の治療の限界に気付き、困難に耐える動機付けと意志を持つチャンスにも恵まれるものだ。
体験してみて私は、とてもとても困難な道であることを実感したが、同時に可能性もまた感じたのである。
実際に良い徴候もいくつかあった。私自身としては、私の敗因は、体力(−ひいては免疫力・自然治癒力)を維持することの重要性を認識していなかったことと、自宅の化学物質・カビや結婚生活のストレスといった、他の悪化要因を除けなかったことにあると思っている。
また、こうした経験をしてみて、治療の成功と失敗は紙一重というような思いもしたものである。