6月下旬以来の厳しい暑さが続いている。
今日もむせ返るような暑さだ。屋外では汗が滝のように流れ落ちる。
考えたくないことだが、これは今年だけの異常気象ではないのだろう。
夏の気温は年々上がっている。必然的に暑い期間も長くなる。
地球温暖化が着実に進行している。
それにしても、現実に直面するとつらい。
屋外労働者でもなく、冷房のない施設で長時間を過ごすこともなく、ましてや気温が50℃にも及ぶ中東や南アジアに住んでいるのでもない身で、不遜だとは重々思うのだが、それでもつらい。
一応、アトピー性皮膚炎という健全でない皮膚を持つ者として、暑さが呼ぶ痒みや皮膚の状態の悪化に耐えているという位の頑張りはしている。
この期に及んで、街では長袖のYシャツにネクタイを締め(生地こそ薄手なのだろうが)背広の上着まで着た男性が歩いている。
習慣を変えることは難しいものだとつくづく思う。
ネクタイに上着で正装した男性は確かに格好いい。きちんとしているように見える。
一方綺麗な肌がさりげなく見えるドレスを着た女性は美しい。
そう見えてしまうこと自体は、どうしようもない。
それでも、この気温の上昇ぶりでは、遅かれ早かれこれではやっていけなくなるだろうと思う。
男性の軽装を社会が許して、その分冷房を緩めることでエネルギーの消費を減らし、温暖化を少しでも遅らせた方が余程いいのに、と思う。
35℃を超える気温でのこの服装は、男性自身の健康にも、悪すぎる。
営業廻り中にも熱中症で倒れかねない。
日本では冷房の整った施設が圧倒的に多い。
これだけ暑いと、冷房は贅沢ではなく死活問題となるから、その存在を否定する気はさらさらない。
しかし、効かせ過ぎに対してはまだまだもっと神経質になるべきだろう。
天候・時間帯・混雑の程度といった状況にこまめに対応して微調整する努力をしなければならないと思う。
私達は世界のエネルギーを、自分達の生存と快適のために使っているのだ。
冷房は熱を外に排出する。
中の快適のために、屋外の状況をさらに悪化させる。
高緯度にあり、短い夏を冷房なしで過ごしていたフランスでも、一万人以上を死に至らしめた昨夏の熱波のおかげで、今年は激しい勢いで冷房が普及している。
不安は、集団の予防的反応を誘発せざるをえない。
ヒートアイランド現象がここでも加速する。
こうした状況を考えると、恐らく温暖化は、危険レベルに入った頃から、様々な悪循環により、加速していくのではないだろうか。
とても恐ろしいことだ。
そんな中でも政治の世界では、1997年に採択された京都温暖化会議議定書の実現はおろか、発効でつまずき、2001年にアメリカが脱退、ロシアも未だ批准に至っていない。
実際この議定書の内容は、国の経済に大きな足かせをはめるので、いざ実行に移そうとすると難しいというのは分かる。
人間はっきり目に見えない空の上の温室効果ガスよりも、自分の明日の暮らしに直接影響する給料や雇用の方に目を奪われてしまうのは、ある意味では仕方のないことかもしれない。
しかし、それはあまりに近視眼的で、地球にとって(それはすなわち私達人類にとって)致命的かもしれない選択なのだが。
2004年7月8日、日本では気温は最高37.9℃を記録し、農作業中の3人が亡くなった。
ごく普通に運動したり作業したりできない、命の心配をしなければならないような夏を、知らずに亡くなった母は、よかったなどと思ったりする。
もちろんその時には第二次世界大戦があってやはり母たちも世界の将来を憂えたのだろう。
それ以前でも、伝染病だったり飢饉だったり、その時々の危機的状況の不安に耐えながら、いつの時代の人も生きてきたのだとは思う。
それでも、温暖化は、他のもののように解決するか乗り切るかできれば一時の出来事で終わることではない分、重い問題ではないかと思う。
人類が生きて活動し産業を興していけば、必然的に二酸化炭素などを排出し続け、状況を悪化させていかざるをえない。
それは多分人類の宿命であり、文明の行き着く所なのだろう。
私達の子供の世代は、より厳しい現実に直面させられる。
SF小説にあるような、ドームの中の街でしか暮らせない夏が来るのだろうか。
それとも、その前に、温暖化がもたらす海水量の増加や様々な異常気象によって、人類の存続は危うくなるのだろうか?。
それは思っているより早いのかも知れない。
私達の子供は、果たして天寿を全うできるのだろうか・・・。
暗く憂鬱な連想が生まれてしまう。
生きられる限り、私達は懸命に生き、努力し続けるしかない。
よりよく生きるために、そして人類を地球を、よりよく生かすために。
つまらない争いが馬鹿馬鹿しくなるが、それでもその中で、私達は生き続けて行くのだろう。
2004.7.