ベビーパウダーで卵巣癌



ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)社のタルク入りベピーパウダーを長年使用したことから卵巣癌になった、という主張の訴訟がアメリカで起こされている。つい先月も被告の敗訴があったとのこと。
昨年来の話題らしいのだが、皮膚に携わる専門職にありながらまったく私は知らずにいて、一般の人である友人に教えて頂いた。

ネットで調べてみると、2016年2月にも同様の判決報道(2月23日、ロイター)がある。ミズーリ州(アメリカ)の陪審が、卵巣癌で亡くなった女性の家族に7200万ドル(約80億円)の支払いを命じている。
そして今回、2017年8月の報道(8月22日、日本経済新聞他)によると、カリフォルニア州(アメリカ)の陪審は、卵巣癌を患った女性に4億1700万ドル(約450億円)の支払いを命じたそうだ。
前者は長年「ベビーパウダー」と「シャワートゥシャワー(日本製はないようである、ネット経由などでアメリカ製の入手は可能)」を、そして後者は40年以上にわたりベビーパウダーを、陰部に使っていたという。
使用目的は、性器の衛生のため、である。

まず驚くのは、アメリカの訴訟の金額の大きさではあるが、それはまあよいとして。

J&Jは、一般消費者になじみの深い日用品から医薬品まで、多数を扱う巨大企業である。日本でも知らない人はいないだろう。どの薬屋さんに行ってもおそらくその製品が置いてあり、ベビーパウダーは代表的製品の1つに違いない。

にもかかわらず、日頃のニュース、テレビや新聞でそうした大事を見聞きしないのは、不思議な感じがする。
他国の訴訟であっても、自国で広く販売されている商品だ。その情報は、広く一般消費者に知らされるべきものではないのか。

記事の重要性に基づき採否を決めるのはメディアの仕事であり権限だが、その判断には疑問を禁じえないことがある。
政治家など公人の失点を叩くことには、過剰なほど熱心だったりする。
しかし市場原理の一画を成す民間企業ゆえなのか、組織を追求する手は概して緩く、自分たちの不利益につながりかねない話題には関心が乏しい。
一般の人が知りたいこと、知るべきことを、何であろうと代わりに調べ伝えてくれるのが報道の本来、と思うのだが。

インターネットでニュース情報も手に入れられる便利な時代ではあるが、私個人は未だに新聞もとっているし、テレビのニュースも見る。
信頼性の高い情報を提供してくれていると思えばこそである。
ネットに遅れをとらず、旧来のメディアも頑張ってもらいたいものだ。

さて、このタルクが卵巣癌のリスクを増すのではという問題、恥ずかしながら私は知らなかった。
腹腔内の卵巣組織中に実際タルクが見出されたり、性器への使用にともない卵巣癌の発症率が上昇したと報告されたりしているそうだ。(The New York Times(英語)

タルクの粒子が皮膚表面にある限りは、問題を起こしていない。
だが性器から腹腔内に入っていくと、異物反応や炎症を生じ、それが長い時を経て癌につながる、という経過が推測されている。

少なくとも性器の奥に入っていきそうな使い方をしないように、と警告を出せばいいのでは? という気がしなくもない。
J&Jへの原材料提供者は2006年からその危険に言及しているが、J&Jは安全性を強調するばかりで警告を考慮するような姿勢は見受けられない。これが敗訴につながった理由である。
とはいえ、上部組織であるアメリカ政府や食品医薬品局(FDA)にも、規制の動きは見られていないという。(同The New York Times)

赤ちゃんから大人から老人まで、こすれる隙間の肌荒れに悩むあらゆる人が利用する、ベビーパウダーの広大な市場と比較すると、その中の卵巣癌の発症率は微々たるものかもしれない。
その少数例のために、毎日毎日何十年も使い続けてくれるアメリカ中の、世界中の一般消費者たちを失うなんて、企業としては避けたいに違いない。

そんなs損失を来さないため、因果関係が完全に証明されない限りは、無関係としておきたい、それがJ&Jの心情であろう。
だがこのまま警告もなく販売を続けていくなら、訴訟による損失こそが無視できないものとなっていく。
J&Jに逃げ道はない。

薬や物質の有害作用が明らかになるまでには、しばしばこうした長い長い紆余曲折の期間がある。
白(因果関係なし)でも黒(因果関係あり)でもなく、グレーのあいまいな期間。
その間にも使用者は増えていく。

だから疑いにすぎない途中経過であっても、一般消費者としてこういうことが起きていると、そうした可能性がタルクにあると、知らされること、知ることは大事で意義深いのだと思う。
知っていればこそ、対応を考えることができる。

「J&Jにはだまされた、もうあそこの商品は一切使わない!」とするか?
それはいささか過剰な感情的反応かもしれない。
しかし代替の利く日用品や薬であるなら、「企業姿勢に問題を感じる業者の商品は支持しない、よって避ける」というのも、1つの考えとして成立する。

陰部でも性器やそれに近い場所には使わない、あるいは首や脇には使うが陰部には使わないようにすれば、その卵巣癌に至る仕組みから言って、おそらくかなりの程度リスクを減らせる。
使用は続けながらリスクを避けるという選択肢。

けれどそんなふうに思考を巡らせていけば早晩、「そこまでして使わなきゃいけないもの?」という疑念にたどり着くのではないか。
そもそもどうして件のアメリカ女性たちは、30年も40年も何十年も「性器の衛生のため」にベビーパウダーを使い続けたのだろうか?

股や陰部は蒸れやすい場所である。痒みやただれを起こすこともよくある。けれど場所が場所だけに、人に相談するのもはばかられる。
そんなときに、コマーシャルの誘いは甘美に響くだろう。いつでもさっぱりさらさら、を保ってくれるそのパウダーが、手放せなくなる。
信奉者の母親に育てられた子供は、幼少時からそれを入浴後の習慣として育つ。まるで洗顔や歯磨きと同じくらい、毎日当たり前にすべきこととして。

しかしそれを入浴後にはたいたり、下着やシートに振りかけたりしなくても、世の中の大半の人たちは、健康に一生を送っているのである。
そこに気付かなければいけない。
商品を売りたい生産者の宣伝に乗って、踊らされてはいけない。
必要な物を、必要な時だけ使う、という判断力が必要だ。

極言すれば、どんなものにでもリスクの可能性はある。
何を使うにしても、私たちはそれを「使う」という選択を選び取っている。そして良くも悪くも、使った結果を自分で受け取ることになる。
自分で判断していれば、後悔も恨みも少なくいられるだろう。

生産者はいつでも利得を過大に、損害を過少に表現するものである。
それは不誠実とも言えるが、人間である以上、この意味で100%「誠実」でいることは不可能ではないかと私は思う。

恩恵100%、危険0%の製品は存在しない。
その危険がどこで現実化するかを予想できない以上、齟齬(そご)が生じる可能性は避けられない。
予想以上の危険を受け取った者は「裏切られた」と恨み、危険回避のため恩恵を受け取れなかった者は「使っていれば」と後悔するのだから。

だから、書かれた美辞麗句の裏の真実を見抜く目が必要だ。
謳い文句よりもまず、そこに提供されている事実を捉えよう。
医薬品でも化粧品などの日用品でも、製造者サイトや商品表面(包装含め)に、目立たないリンクや小さい文字かもしれないが、必ずどこかに「成分」が書いてある。これは非常に重要な情報源である。

J&Jベビーパウダーの成分は、タルクと香料だ。つまり主成分はひたすらタルクだということだ。当然、配合量も多いと予想される。

ここで「J&Jベビーパウダーが危ないなら、他社製品に代えればいい」という考えは、実は通用しない。
ある程度の効能があって安全性もありそうな物質は、誰もが利用し、配合している。他社の同様製品は、高確率でタルクを含む。
だから、成分まで確認することが必要になる。

一般の人がそこまで調べることが可能な、良い時代になったのか、そこまで調べなければならない、大変な時代になったというべきか、どちらにしても、現実は目の前にある。

タルクに関しては近年、類似の作用を持つ酸化亜鉛で代替しようという動きもある。
そうした製品は「体にやさしい」「自然な」「赤ちゃんにも安心」などと形容されているだろう。

商品名に付けられた「ベビー」は、消費者の安心を生む魔法の言葉である。
だがそれは「赤ちゃんに付けても皮膚を傷めることがない」と言っているだけ。それを人は「お肌にやさしいものだから、どれだけ付けてもいつまで付けても大丈夫」と解釈する。
悲しい誤解である。

卵巣癌を患われた方々にお見舞い申し上げ、そのリスクを減らすべく奮闘されている方々に敬意を表して、この記事を終える。
そして日本の方々が、同じ害を被らないことを祈るばかりだ。

2017.09.  

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