人は失敗をした時、どうするか?。
謝る、済まなく思う、償う、でき得る限りで。
しかしそれでも許してもらえなかったら、どうだろう?。その後のその人の人生はかなりつらいものになるだろう。
自己嫌悪に悩まされている時、許されることが、その人を救う。規制も罰も大事であるが、心には許しの部分が欲しい。
人は全能ではなく、過ちを犯すものなのだ。失敗すること無く人生を終われる人はいない。
日本人の国民性はことに、責任の所在をどこかに求め糾弾することに情熱を注ぎがちなように思う。
人間関係がギスギスする。そんな代償を払う割には、それで再発が防がれるわけではない。
悪事を承知で犯し、反省しない人は、勿論論外ではある。
しかし人の世は複雑で、状況が謝ることを許さなかったり、償いが裏目に出ることもある。責められる一方の状況は、素直に詫びることを難しくする。
問題が起きた時、人を責め責任を取らせても実りは少ない。
問題が起きることを許す、または促してしまうシステムを修正するべきなのだ。
それも、規制を強くするといった表面的な解決でなく、自然に失敗を避けられる、あるいは過ちが大きな失敗につながらずに済むような、そんなシステムに構築しなおすことだ。
そうでなければ、人は我が身を守るために失敗を隠さざるを得なくなり、同じ問題が繰り返される。
人は不完全なものだが、失敗から学べるという能力を持つものでもあるのだから。