「これは」と驚くほどの症状があっても、そのまま放置している人がいるかと思えば、言われて注視しても見つからないような症状を、針小棒大に気にしすぎる人もいる。
まこと、人とはさまざまである。
もちろん、気にしすぎもしなさすぎも良くないだろうということは、誰でもわかるが、実はこの頃合いはなかなかに難しい。
日本の医療制度は、国民皆保険であり、まだかなりのフリーアクセス性が維持されている。
けれど諸外国では、しかるべき健康保険制度がなかったり、何でも診るホームドクターにしか診てもらえかったりの所も多い。
菅元総理が言ったような「まず自助」の社会で、そこでは軽い病気は売薬でも自然療法ででも、自分で何とかするのが当たり前とされている。
今、日本の医療も少しずつ、諸外国に倣(なら)った方向性に舵を切ろうとしている。
医療資源は無限ではないのだから、国家であろうと、ない袖は振れないのだ。
人の命は地球より重い!と叫んでみたところで、現実は変わらず。
大学病院が紹介状なしにはかかれないように、中規模の病院もまた、次第にそうした方向へと移行させられている。
医療資源の集約・効率化の観点からすれば、それは正しいのだろう。
とはいえ、気になるのは、何故だかそうした政策は、あまり表立って医療消費者である国民に対して説明がされることもなく、水面下で進んでいくことである。
私の身近でも、久し振りに病気をして、何年も前にかかった覚えのある病院を訪れた患者が受付窓口で、「当院は基本的に紹介状がないとかかれません」と告げられ、唖然とするようなことが起こっている。
高額療養費制度の見直しのように、公開した途端に猛反発を受けて頓挫するのを、恐れているのだろうか。
そして今また、OTC類似薬の保険適応除外が検討されている。
OTCとは、Over The Counterの略であり、薬屋でカウンターテーブル越しに薬剤師の説明を聞くだけで、患者が自己判断して購入・利用できる薬を意味する。
医療用薬の中で、比較的大きな副作用を起こしにくいと判断された薬たちである。
それを聞いて、一般の人たちが抱くイメージは、「ごく軽い病気の軽い薬」であろうし、であれば「まあ、『自分で薬を買って治せ』というのも仕方のない話なのかなあ、医療財政が逼迫しているというんだから。でも、保険がきかなくて10割負担というのは、この物価高の中きついよね・・」といったものだろう。
つまり、懐事情さえ許すなら受け入れるべき正論、と思うかもしれない。
だが、私など医療専門家から見ればそうではない。これは、日本の保険医療制度を破壊する突破口であろうと考える。
最大の目眩しは『OTC類似薬』という造語に内包されている。
OTC薬は、薬局で自主的に購入可能な薬の中で言えば、薬効もリスクも最大のほうの薬群である。
そんな「強い」ランクの薬を、薬屋でというこの言い方で、そうでないその他大勢の市販一般薬と変わらない「軽い」薬と混同させるようなイメージ作りがなされている。
また、ことさらに軽い病態である、風邪薬、胃薬、湿布といったもので薬をラベルし、それらの薬が重病者にも同様に必須の薬であることを、国民に気付かせないようにしている。
さらに「類似薬」という尾語をつけることで、定義を不明瞭にし、その範疇に入れられる薬を、先々どんどん増やしていけるようにもしている。
目的が医療費削減なのだから、保険から外す薬の候補は当然、売り上げ上位のものが選ばれる。
だがそれは裏を返せば、それだけ多くの国民が、医療の一環として使い続けている薬、必要かつ有用な薬だということだ。
持病があっても、それらの薬を続けることで年余に渡り悪化を予防し、高額な治療も避けられ、社会人としての機能を保ち、社会貢献を続けていられている人は、数多い。
医療が進化して急性の病態がかなり治せるようになった現代の人々にとって、慢性病の重みは増している。
今まで自分の病気を「軽い」薬できちんと管理していた人たちが、健康保険の保険料をきちんと支払い続けているにも関わらず、給付を全く受けられないことになる。
病気が軽い状態のうちに、しっかりと自己管理をし、悪化するのを予防していた人たちが保険から外され、自己管理も何もせず、医者にもかからずひどくなり、強い薬や集中治療をするしかなくなってはじめて病院を受診すれば、保険の庇護を受けられる。
養生するほど、保険料の払い損となるというのは、どう考えてもおかしい。
この新システムは、実施側の意図する「まず自助」の方向性とは、むしろ逆の効果を生んでしまうのではないかと思う。
「セルフメディケーション」は高くついて家計を圧迫するので、買う回数をなるべく減らして我慢するようになり、軽度に抑えられていたはずの病気を悪化させる人が増えるだろう。
その結果何が起きるかは、火を見るより明らかだ ー 重症化する人が増えれば、医療費はもちろん増大する。
それは、削減額を上回ったりはしないのだろうか。
おそらく、医療機関へ来る人たちの態度も変化する。
多くの人たちが「わざわざ仕事を休んでまで病院へ来ているのに、市販薬の指示でおしまいとは何事だ!」と怒るだろう。
当然のことながら、その怒りは、目の前にいる医療従事者に対して(その場にいない国や厚生労働省や政治家や政党に対してではなく)表出される。
不必要であっても、病院で処方できる薬を出してもらうまでは帰らない、と粘る者も出るだろう。
そうした患者の感情への対応に忙殺されるようになれば、医療現場は破綻する。
国が表立ってきちんと説明していないのだから、彼らが納得できないのは当たり前だ。
政治家だって医務室で湿布の処方を受けている。
医療現場にもとよりそれを説得できる道理はない。
この改定は、日本人にとって常識である、
「病気になったら、少し市販薬などで様子を見てもいいが、治らなければクリニックや病院へ行って、しっかり診断してもらい、必要な薬その他の治療を受ける」
という健康管理の概念を根本から揺るがすものであるのに、そんなドラスティックな変革だという説明はまるでなく、事はなし崩し的に進められようとしている。
軽い病気=すぐ治る病気 ではないし、軽い症状=軽い病気 とも限らない。
症状は常に変化しうるものだということを、医者は皆知っている。
そして、病気や症状は、いつも単独で存在するわけではない。
ひとりの体の中に、同時にいくつもの症状が、何種類もの病気が併存し、複雑に消長をくり返し推移していく。
それをその時々の症状に合わせて薬を処方し、全体的に病気が衰退の方向へ向かうように誘導していくのが、現代医療である。
すべての医療用薬は、この過程のどこででも、適切に経過を診るために用いられる。
OTC類似薬は、一般薬の総合感冒薬のような軽症患者だけに用いられる薬ではなく、軽症から重症までのあらゆる患者への医療の過程に欠くべからざる、基本的治療薬群なのである。
そもそもそれらは、病気の治療に必要であったからこそ、厳しい審査をクリアして、医療用薬として承認されたのであり、それを医療経済の都合から、薬局で購入も可へと、徐々に転用していっているにすぎない。
取り扱いを誤れば、重篤な事態だって起こりうる。
オーバードーズが、その顕著な一例であろう。
医療の中で頻用されている、しっかり効いて比較的安全、安価で使いやすい優秀な薬を保険から外されたら、クリニックや病院における保険診療には、いったいどうしろと言うのだろう。
患者にとって最も適切と考えられる薬がそこにあるのに、医師がそれを処方できないのであれば、保険診療はおしまいではないか。
しかも、日本の医療制度は、保険適用と保険外の治療を、同時に行うことを禁じている。
たとえば入院中に生じうる、さまざまなありふれた症状に対しても、こんな光景が繰り広げられるようになるのだろうか・・・
「これは保険外の軽い薬だから、入院の保険治療中にはお出しできません。退院できたら、ご自分で購入の上で使ってくださいね。
え、今熱が高くて(あるいは怪我の場所が痛くて、病気のせいで出た発疹が痒くて)耐えられないですって? そうおっしゃられても、国の決めたことなので、私たちにはどうしようもないのですよ・・。
今、ネットで買って飲みたい? そうですね、ばれると保険がきかなくなってしまうので、聞かなかったことにさせていただきます。あ、でも、大部屋でスマホはだめですからよろしく・・」
おそろしいブラックジョークである。
2025.8.