−よけいな電磁波を浴びないために−




iPhoneがより高性能になり、少し重くなったという。(iPhone6s)
メーカーの開発は、どこを目指しているのだろう?
わずか前後の映像を一緒に撮る、半動画のような写真も撮れるようになったという話など、思わず首をかしげてしまう。
何のために必要な機能? SNSに上げて人の興味を引くため?
一時喜んで使い、すぐ飽きて止めてしまうのでなければいいけど。

電話は、誰にとっても必要なインフラだから、
誰もが使える形を目指すのが本来ではないのだろうか。
メーカーの技術競争に踊らされて、
消費者はただ唯々諾々(いいだくだく)と従うしかないのか。

そこには技術開発の性(さが)がある。
同じ物を売っていてはダメ。
次々、新製品を作っていかなければならない。
性能を上げていかなければならない。
努力すれば、今より良いものが創造できる。
人間はそんなふうに、考え働き続ける生き物。

持ち運べるという利便性と、いろいろできるという多機能性。
本来矛盾する二方向がせめぎ合って、しのぎを削る。

持ち運べるのはいいこと?
いろいろできるのはいいこと?
いいことだけとも限らない。

携帯電話という名の通り、いつでも持っていなければならなくなる。
ウェアラブルという、身に付ける物までがぞくぞく開発。
工事現場で注意を促す人の上着が、赤く点滅していたりする。
常に下から灯りに照らされ、さぞやうっとうしかろうと同情する。

「携帯電話で脳腫瘍になる」と騒がれたときがあった。
それは電磁波を脳の直近で放出しているから。
電子機器からは、電波、電磁波が放出される。
たとえ眼に見えなくても、私たちはそれらを浴びている。
放射されるエネルギーからは、逃れられない。

その影響は距離と強度と量によるだろうことは自明の理。
携帯や着用で体に密着すればするほど、
IH調理器のように巨大な磁場を作るものほど、
シネマコンプレックスのように発生装置が密集するほど、
人体はより多くの電磁波を浴びさせられる。

21世紀の私たちが住んでいるのは、化学物質のみならず、
電磁波の洪水の中でもあると言って良い。

ひとたびそれらに強いアレルギーとなろうものなら、
社会生活をまともに営むことは不可能になる。

高機能が開発されると、低機能は駆逐されていく。
資金の分散は経営効率が悪いから。
けれど、それでもある程度の幅を担保してほしい。

最先端のハイスペック器はかっこいいが、誰にも必要な物ではない。
人はみなそれぞれ異なる。
好みも苦手も、必要性も許容度もみんな違う。

高価になる、バッテリーをくう、大きく重くなる、通信料が増える。
そうしたマイナス点に関しては、メーカーも配慮する。
原材料を確保するためのリサイクルには努力もする。
だが。

要らない機能を持たされ、そのために無用の電磁波にさらされる。
そんなリスクも考えてほしい。

人間は、文明と自然の均衡をとりながらでなければ生存していけない。
輝かしい開発に目を奪われ、その狭い世界に耽溺(たんでき)するなかれ。
私たちの生きる世界は、もっともっと広く豊かだ。

2015.9.  

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