家電の化学物質による健康被害裁判



電気ストーブから発生した化学物質によって、神経障害・化学物質過敏症を負った若者が訴えた裁判で、販売店の過失責任が認定された。(参照ニュース記事)
これは当然私のような者にとっては、非常に興味深いニュースである。

私のような者、すなわち、シックハウス症候群としてアトピーの悪化を経験し、その後いくつかの化学物質に対する過敏性も獲得し、それらによって、単に健康のみならず生活までも脅かされる事態に立ち至った者として、である。



化学物質過敏症は、化学物質の大量暴露による中毒症状(誰でも発症する)と違って、過敏性を獲得した人のみに症状が出る。
それゆえ、社会的には、一部の特殊な人の病気という認識で済まされがちに来たように思う。

このニュースは、その社会的認識が転換点に来たことを示す証左ではないだろうか、と私は捉えている。そしてそう思う故に、私は、非常に歓迎する気持ちでいる。



化学物質過敏症患者は、通常の人が反応しない微量の化学物質に対して反応する、という点を見れば確かに特殊な人であるかもしれないが、患者がこうなるのは、大量の化学物質(一度に大量または長期にわたり慢性に)に暴露した後なのである。
つまりこの暴露によって、反応性を獲得したことになる。

だとすれば、これは暴露の機会さえあれば、誰にでも起こりうることではないか?。

化学物質過敏症は、一部の特殊な人のものではない、社会の大多数の人に起こりうるものである、かねがね私はそう考えている。

発症が増えて顕在化した理由は、言うまでもなく、文明の発展に伴う主に石油を原料とする人工化学物質の製造・使用の顕著な増加に他ならない。

原因が増加すれば、結果も増えるのが道理である。
これだけ圧倒的な原因の増加があれば、大量暴露により反応性を獲得する人も増えるのは、当然の理の帰結であろう。

おそらく化学物質過敏症は、暴露した人の中で反応性を獲得する人のパーセンテージが少ないゆえに、暴露しても大多数の人は大丈夫ということになり、発症したごく少数の人を、「特殊なケース」として片付けることを可能にしてきたのだと思う。

しかしもう、患者をほら吹きであるかのように貶めて、疾患の存在自体を打ち消したり、杉並病のように風土病として片付けたりして、「臭いものに蓋」をし続けることはできない。

商品を作る者と売る者は、化学物質が人の健康に与えうる有害作用の可能性をも考えて、商品を作らなければ、売らなければならないということが公に認められたのだ。

とうとうそういう時期に入ったのだということがとても嬉しい。



今回責任を問われたのは、大手販売業者である。このことは、朝日新聞の専門家のコメントにも書いてあったが、単に一製造業者が責任を問われるよりも、はるかに社会的意味が大きいと思う。

製造業者なら、その会社一つを悪者にして済ませることも難しくはない。 悪いやつがいて、欠陥品を作って売りました。だから売るのを止めさせ、賠償させました。というストーリーだ。他の会社は安泰である。

しかしそれでも他山の石にはなる。
他の製造業者もみな、その後は同じような物を作らないようにしなければならない。同じようなことが起きて訴えられれば、負ける可能性があるということが分かったのだから。
かくして化学物質の有害性により配慮した商品が作られる可能性は確実に増える。

さらにそうではなく、危険予測義務を負わされたのが販売業者となると、その義務は、一製造業者の一商品をはるかに超えて、その業者が仕入れ販売する全ての商品に及ぶことになる。

どの製造業者のどの商品を選び仕入れるかを考える時点で、販売業者が、「化学物質による健康被害を起こさない商品か」という視点を持つのだ。
そして、起こしやすそうな商品は選ばれないだろう。

それが大手総合販売業者であるなら、電気ストーブのみに限らず、家庭電化製品にさえも限らず、彼らが販売するあらゆる商品全ての選択に、そういう視点が加わることになる。これはもの凄いことである。

その販売業者は業界で一流であるから、さらに彼らと競合ないし彼らに追従する販売業界の全ての業者のうち少なからぬ者に、競争に負けないため、同様の配慮をする必要が出て来るだろう。

その上これに、判決を聞いて認識を新たにした消費者の選択眼も加わるのである。


これは、社会全体の認識、システムの変革へと繋がる道である。
少数派である化学物質の有害作用の被害者の主張がようやく日の目を見て、今はまだ健康な新たなる被害者を作らないための努力が始まるのだ。

これら全てが実現するように、被告の販売業者には、是非とも業界を牽引する聡明なふるまいをお願いしたい。



誤解のないように言いたいが、私には今回の件の被告販売業者を責める気持ちは毛頭ない。
感情的にはむしろ、「予測しきれなかったのは無理もない」という、同情的な立場にあると言ってもいい。

ホルムアルデヒドなどの化学物質は、揮発したものが空気中に拡散し、呼吸を通して肺に吸収される(あるいは一部皮膚からも吸収されるかもしれない)。これが暴露ということになる。
揮発は、加工直後すなわち新品で著しく、また高温であるほど激しくなる。

件の電気ストーブの有機塗料は、金網周囲のガードに塗られていたものだそうだ。ストーブ全体から見れば、ごく一部である。
しかし、熱線の直撃を受けて、つねに非常に高温になる部分であった。

夏の高温時に、建材からの化学物質揮発が増えることは、シックハウス対策を考える者にとって常識である。けれども、冬場に使用する暖房器具に関しては、これまで特に注意は払われていなかったのではないかと思う。

ところが、考えてみれば、これほどつねに高温の環境にさらされ続けるものもそうはない。
さぞかし激しい揮発であったことだろう。

暖房を必要とする時は当然寒いのだから、できる限り温まった空気を逃がしたくないと思う。
すると、唯一最大と言ってもいい化学物質対策である「換気」が、なかなかされないということになってしまう。

サッシの発達する前の家は、すきま風が通る分、空気の停滞は自然に防げていた。
現在の家は気密性が高いので、揮発した成分がひたすら貯留する。
また石油ストーブの時代までは、一酸化炭素中毒を防ぐために、寒くても定期的な換気が必要という常識が行き渡っていた。しかし電気ストーブにはそれがない。

臭いが強いことに危険を感じたり、念のために時々換気をしておくといったような、老練な知恵を発揮するには、本件の使用者は若すぎた。
彼は、若者の一途さで、公に売られている物の安全性を疑いもしなかったのだろう。
まったく気の毒である。

このように、いくつかの悪条件が重なって、本件では被害が大きくなり、それゆえこうした形で社会的に顕在化したと考えられる。
これは、氷山が大きくなり続けた結果、たまたま地上に高く出て発見されることになった、氷山の一角なのだ。

件の販売業者が被告となったのも、非常に多くの商品を多くの消費者に販売している大手企業だったからにすぎない。
他のどの販売業者にも、同様に被告となった可能性はあると思う。



そういう意味で私は被告を弁護する。

中毒症状を生じるほどの今回の原告の商品の濃密な使用は、おそらく業者の予想を超えていたのではないだろうか。

また化学物質過敏症という疾患の、捉えにくい特殊性がある。
この疾患は容量依存性に発症の可能性が増加し、ある時点から突然発症するものであるから、短期の使用で問題ない商品でも、購入してずっと使い続けた者にも発症する可能性がないと言うことはできない。

通常の安全確認はきちんとしたという、業者の主張は誤りではないと思うし、そしてそれでも因果関係を否定することにはならないという点が、この疾患の恐ろしさなのだと思う。



そうしてだからこそ、それらの全ての難しさを超えて、因果関係を認め、販売業者に危険を予測する責任があるとした、今回の判決を高く評価したい。

是非ともこの英断を、今後に活かしてほしい。

化学物質の氾濫をふまえて、社会の常識が一歩進んだのだ。
だから、社会の最先端にいる企業なら、もうその一歩を踏み出さなければいけないと言われたのだ。
被告には、この判決をこのように捉えてもらえないだろうか。

今回の件に関して、被告が上告してもいい。因果関係を否定し続けようと、過失を認めなかろうとかまわない。
より大事なのは今後だ、と私は思う。

既に被告は今回の商品の回収を始めた。
これで、この商品に関してさらに被害者が増える可能性はいずれにしても断ち切られた。

これで事足れりとすることなく、化学物質について勉強し、他の商品の選択についても、この新たな常識となるべき視点を活用してほしい。

大手業者の販売する商品は、多くの人が買い、使う物である。
それで社会が変わるのだ。



文明の発展によって化学物質の便利さを享受する時代を過ごして来た人類は、化学物質の有害性をも認識し、避けるべきは避けて使うべきは使うことを考える次の時代を迎える。

2006.9.  

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