昨今の新薬ラッシュで、アトピー性皮膚炎治療は、どのように変わってきただろうか。
これはアトピーに限らず、あらゆる病気、とりわけ免疫の強く関係する病気全般における変化でもあると思うので、包括的に論じてみたい。
私たち医療関係者、とくに医師は、新しい薬がひとつできる度にその作用と主な副作用、処方時の注意点を把握する。
実際にそれを処方する立場として当然のことだが、今日日それらは大した負担となっている。
実際の話、薬の副作用というものはもともと、ちょっと素人には想像がつきにくいくらいに多い。
その専門的取り扱い説明書である添付文書を見れば、ほとんどの薬で、何十個という山のような数の副作用が書かれている。
到底覚え切れる数ではなく、医師はそのうち重要なものを頭に入れ、それ以上の詳細が必要なときにはその都度、添付文書や医学文献に当たって調べる。
今ではネット社会で検索が容易になりとても助かっているが、そうは言っても、ひどい副作用や起きやすいそれは予(あらかじ)め念頭に置いておかなければならない。
この予めの部分が、どんどん肥大して行っているのが、現在の薬市場である。
例えば処方する者にとって、ある薬の副作用が出やすい場所に持病がある人には別の薬を選ぶ、というのは常識のひとつ。
しかし昨今の新薬では、そんな要注意箇所がずらりと一覧表で示されるほど多く、そのすべての有無を診察時に聞き取らなくてはならない、というレベルのものがある。
手間はともかくただひとつの薬を出せるか出せないかの判断のためだけに何分もの時間を奪われるのは、日本の保険診療の限られた外来診察時間の中ではことに、どうにも本末転倒の気がしてしまう。
さらに最近の薬では、聞き取りをしてもなお不十分、その後血液や画像の検査を行い、病気がないことを事前に確認することを義務付けられているものまで、少なからずあるのである。
使えるかどうかわからない薬の確認のために、まず体に侵襲を加えなくてはならない。
・・医師は患者を治すためにいるのであって、傷つけるためではない。
そんな難癖を呟きたくなる私は、ひねくれているのだろうか。
免疫関連有害事象、という医学用語がある。
英語で言うとimmune-related Adverse Events、略してirAE。
2000年台に入り、バイオ技術でモノクローナル抗体薬が製造可能となってから、生じてきた言葉ではないかと思う。
従来のステロイドなどのように免疫システムを大まかに広く抑えるのではなく、その病気に関わるピンポイントを見定めてガツンと抑える薬が次々と、誕生しては使われる時代の到来。
すると目覚ましい効果が示される一方で、今まで見られたことのない現象が起きるようになった。
免疫システムをいじった悪影響が、別の免疫の病として表出することが見られ始めた。
ほくろのガンと言われる悪性黒色腫(メラノーマ)の薬で、類天疱瘡という、全身に水ぶくれができる水疱症を発症してしまうことがある。
この薬は、癌細胞が保身のため利用している、免疫細胞Tリンパ球の活性化抑制ポイントを阻害することで、Tリンパ球の抑制を防ぎ、癌細胞を攻撃し続けられるようにする。
それで自分の皮膚に対する自己抗体が増えてしまうということは、この薬が免疫の中で、意図したポイントだけでなく他の、体が自らを守るために本来備えていた仕組みに、マイナスの作用をしてしまう可能性を示している。
アトピー性皮膚炎においてもこうした薬の継続中に、元はなかった別の病気である乾癬や、関節炎の症状が出てきたケースが報告されている。
まさに「免疫関連に生じてきた有害な事象」だ。
だがちょっと考えれば、Th2リンパ球の活性化(すなわちアトピー)を抑えれば、天秤が逆に傾き、Th1リンパ球の活性が優位(乾癬や乾癬性関節炎)になってくるというのは、当然予想できる結末であった。
そうしてその時どうするかというと・・。
薬を止めてみたり、また再開してみたり、場合によっては別の薬に変えてみたり。
そんな行ったり来たりの試行錯誤をするしか、担当医にできることはない。
免疫関連有害事象は、皮膚に限らず、下垂体炎、甲状腺炎、副腎不全、腸炎、肝炎、間質性肺炎、1型糖尿病、重症筋無力症、筋炎、関節炎・・と全身のあらゆる重要部分に、免疫の失調による炎症を生じ得る。
また、免疫抑制や均衡の崩れが、体内の潜伏感染源を活性化してしまったり、重度の感染症を呼び込んでしまったりし得ることも忘れてはならない。
さあ、こうしたことが繰り返されるとどうだろう、私たちはいったい病気と闘っているんだか、副作用と戦っているのか、わからなくなってくるではないか。
奇跡的治癒は、急転直下の危機と、まさに表裏一体なのである。
予想するに、多分これからの医療は、こうした高度な治療を積極的に取り入れたい人と、そうでない人との二極分化が進んでいくのだろう。
各人各様、健康に対する姿勢はさまざまだから、主作用こそ重要と捉える人もいれば、副作用の懸念がより気になる人もいる。
私は、明らかに後者に属する人間である。
が、前者の姿勢も理解できなくはない。一医師としてはそれを望んでいる患者の方には道筋をつなぐべきであろうと思って仕事もしている。
副作用が強くて怖いことや、高価すぎること、のみをもってそれらの薬を完全に無視するには、あまりにもその数が増えすぎている現実が、目の前にある。
先進医療施設から溢れたそれら「高度」な医療は、すでに最末端のクリニックレベルにまで至っている。
医療情報の一般化により、もはや高度医療は、大学病院の専横事項ではない。
最新薬の専門情報ですら、一般の患者でも誰でも、ネットを通じて容易に得ることができる。
医師側も取り扱い薬はできるだけ増やし、患者の期待に応えようとする。
薬が安定供給されるには、コンスタントに一定の需要があることが必要であり、
望む誰もがその恩恵を受けられるように、新薬の市場は可能な限り広くあらねばならない。
とは言え新規参入薬がどんどん増えていけば、個々の販売領域は、遅かれ早かれ頭打ちとなる。
使用の限定される薬であればあるほど、製造コストの高い薬であるほど、その生産と供給を安定的に持続させるには、多大の困難がつきまとう。
かくして新薬の発売から時間が経つにつれ、より軽症者や他疾患への薬の適応拡大や、処方する医師を増やすための大々的な宣伝活動が、展開されることになる。
同時に、使ってくれる患者を増やすための広報活動もまた、良い面ばかりを強調してなされるだろう。
少々きつい副作用の生じ得る薬であっても、入院や集中治療の行えない町医者に処方を許すということは、もちろん患者の利便性のためだろうが、別の面から見れば薬の寿命を伸ばすためでもある。
その結果、処方される患者の方々からみれば、近くの医院で薬をもらえて助かるということにはなるが、
その裏に、万一大きな副作用が出てしまった場合、大病院へのアクセスが遅れる、という弊害が隠れていることは否めない。
このように、薬が増えることは、簡単にそれを処方してもらえるということは、実はいいことばかりではないということを、患者も承知しておく必要があると私は思っている。
実際に強い薬を使う患者の方のうちどれほどが、そのことを真に説明され、理解しているだろうか、と私はいつも心配になる。
有効な薬がない時代なら、むしろ諦(あきら)めはつけやすかった。
効くのはステロイドとタクロリムス(プロトピック)だけ、でもそれなりの副作用は生じ得るよ、使う、使わない、どうする?
という二択しかなければ、話はある意味単純で、決断もより楽だ。
しかしそれは裏を返せば、選択肢が少ないということでもあるのだから、多分事態は改善したと考えるべきなんだろう。
外用剤でも、デルゴシチニブ(コレクチム)軟膏やジファミラスト(モイゼルト)軟膏が出てきたことで、それまで解決できなかったアトピー性皮膚炎の症状の辛さを軽減できた、患者の方たちも出ている。
副作用で困窮する方たちが将来出るのかどうかは・・まだ未知数。
判っていることとまだ判らないことが混在する中で、患者は日々、自分の体をどうしていくかの決断を、自ら下さなければならない。
それはとても大変なことだと想像する。