自分の過去を振り返ってみると、不規則な生活・運動不足・食事の乱れと、まさに自らの不養生が今日を招いたのだという気がしてくる。
それでも独身で勝手気侭(きまま)に暮らせた内はかろうじてやっていけたが、結婚して大人としての義務を果たすことが生活の主要な部分となり、かつシックハウスに入居したことで、一気に病気の症状が爆発したと総括される。
−生活を正せば健康は戻ってくるのだろうか?。
致命的に病んでから、私なりに可能な限りの知識を仕入れ、できるだけの改善を行なってきた。
しかし端から見れば、現状は尚お寒い限りなのかもしれないとも思う。
私は生活することが苦手だ。
身体を動かすことが元来好きではなく、まめでない。
沢山の草花をわざわざ買い込み、ガーデニングに励む主婦にはとうていなれない。
大人になるにつれ、特に家事を担う女性はそうでは勤まらないことを理解し、すべきことをできるようにはなってきた。
洗濯・掃除・片付け物はきちんとする。
炊事もする。
しかし料理は・・どうしても、上手く行かない。
今では大分良くなってきてはいるものの、常に湿疹の出来ている手は、少し水を使うだけで、きりきり痛み、赤く水を含んで激しい痒みを生じる。
一食夕食を作れば、翌日は必ず悪くなっていて、元に戻るには何日もを要する。
結婚時代は、出来合いのものは一切食べたくないという夫のために、手が真っ赤になる海老やトマトの皮剥きも、ゴム手袋をしたり我慢したりして行なっていた。
でも、なんでここまでして作らなければならないんだろう、と涙が出る思いを抱かないことはできなかったのだ。
幸か不幸か、現在の日本は外食産業全盛である。
買い物に出さえすれば、作られた食事がいくらでも手に入る。
結果として買ったものを食べていることが非常に多い。
もちろん買う時に、何を買うかの選択には気を付ける。
合成着色料や容器の化学物質臭の強い弁当では、実際食後にどうしようもなく痒くなる。
一億総グルメの昨今、濃厚な味付けや肉や海産物の多用が多く、私や娘の食べられるものや食べたいものは多くはないが、一方で添加物の削減や雑穀などの使用など、いい変化も出てきている。
手作りがいいことは分かっている。
料理が好きで、工夫していろいろな料理を次々作る人は本当に尊敬する。
そんな人とその家族の所には、アトピー性皮膚炎など寄って来にくいのではないだろうか。
加工品では、容器からの化学物質の溶出もあるだろう。
それでも少人数の家庭で限られた材料で作るより多くの食材を食べられ、材料も無駄にしないという利点もある。
あらゆるものが手に入る現代日本では、逆に我慢することができにくいので、何を選んで食べるかということが難しくなるともいえる。
精製度の低い穀物と豊富な野菜がいいことは分かる。
ご飯と野菜の味噌汁も野菜スープもおいしいのだが、飽きて毎日とはいかない。
辛かったり酸っぱかったりしない子供の食べられる味で、野菜を調理するのは簡単ではない。
子供の嗜好におもねるべきでないことは無論分かっているが、野菜を食べるのに恐ろしく時間がかかる子供に付き合うばかりでは嫌になってしまい、好物のチーズや肉料理を一緒に楽しく食べたいとも思う。
こうして書いていると、我が儘を並べているただの怠け者かという気もしてくる。それでも、理想どおりに実際現実は行かないのだ。
かくして自己嫌悪を感じつつ、気力と体力のある調子のいい時を狙って、少しずつ努力している毎日である。
現在は夕食を家で作っているのは、どうにか週2回ほどだろうか。
今後どうなっていくのだろう。改善はあるのか。
・・・むり・・・?