毎朝1時間以上をかけて、入浴し全身に軟膏を塗る、そこから1日がスタートする。
そんな、皮膚角化異常の遺伝病の人の話を読んだことがある。
長いこと私も、似たような状況だった。
もともと潤いの足りない皮膚。
それを耐えられない痒さで夜中に掻きむしり、朝起きると、荒れた肌や掻き傷が空気にさらされて、ひりひりと痛痒い。
ささくれ立ったその皮膚を、入浴して少しでも滑らかに落ち着けないことには、何をすることもできなかった。
入浴は、痛いものだと思っていた。
足先から湯に入れていくと、熱い湯が傷にしみて、じーんとした痛みを感じる。
少しずつ何とか首まで入り、しばらく耐えていると、痛みが段々和らいでいく。
温まって痒みは出てくるけど、それでも入る前のピリピリよりはずっと楽と感じられた。
最近、入浴があんまり痛くない。
前はあっちもこっちも痛かったのに、今ではむしろ「あぁ、ここ掻いちゃったんだっけ」とはっきりわかるほど、一部の感覚となった。
「いいなぁ、普通の人ってこんなに楽なんだ!」と思う。
肌がしっとりして、外観も良くなってきた。
ひどかった部分などに、いまだきめ粗くかさつきの目立つところもあるにはあるが。
しかし、一見して病気という印象でなくなったことが非常にありがたい。
外出して、電車内などの他人の視線が近いときも。
仕事で、いろいろな方と接するときも。
アトピー性皮膚炎であることは患者にとって、1つの負い目であり、障害である。
どこまでいっても、つらい悲しいマイナス要因だ。
つらさを理解してもらえないこともつらい。
例えば「料理は手がしみて痒く痛くなるから、つらくてできない」と訴えたとしても、ふつうの人には言い訳にしか聞こえないのだろう。
調理や後片付けの刺激で悪化した皮膚のつらさを、引き受けなければいけいのは患者。誰も肩代わりしてはくれないのに。
少しでも理解してもらえたらと思って、こうした記事を書いている。
その一方、自分のつらさに耽溺(たんでき)するのも良くないなと最近思う。
誰しも、どこかに弱みを抱えて生きているのだから。
体が強い弱いも、頭の良い悪いも、顔の良し悪しも、生活環境も、
すべて生れ落ちたときから、持ち合わせた自分自身。
天の采配(さいはい)は気まぐれか、それとも整合性があるのか?
いずれだとしても、自分を否定してみてもしかたがない。
私が私であるがゆえに、私の弱い所に病は起きる。
NAETをしていると、どんな症状にも原因がある、という気がしてくる。
臓器・ホルモン・免疫・神経・体液・酵素・遺伝子・・・
体内のどの部分にも、個人の特徴を有した組織や細胞があり、
飲食・接触・吸入・放射・感染・・・と、
体外のあらゆる物を取り込み、個人特有の反応をする。
良い肌という才能に恵まれなかった私たちも、
他に何かしらのギフトをもらって生まれてきているはず。
不具(ふぐ)でもいい。
改善できるところを努力して、幸せに生きていく道はあるはず。
ありのままの自らを受け止めて、
強く生きよう。
2014.9.