サイト Atopic Information






約13年にわたり運営されてきた1人のアトピー患者のサイトが、幕を下ろした。
止めようも無く流れ続けていくのが時の所行と分かってはいても、
深い感慨を禁じ得ない。

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インターネットの黎明(れいめい)期、まだホームページを作る人などまばらな時代にあって、彼のサイトは、燦然(さんぜん)とした輝きを放っていた。

この時期は、医師によるステロイド治療に、アトピー患者たちが疑問を抱き始めた時期と重なる。

医師として個人としての日常にかまけていた私は、ニュースステーションのステロイドバッシング報道も知らない、いわば平和な日々を送っていた。
それが、自分のアトピー悪化で療養生活を余儀なくされ、パソコンという新しい媒体に触れ、今までと違う世界を目にすることとなった。

患者の苦渋がいかに深いかを、医師が治療した患者を幸せにできていないことの重さを、私に教えてくれたのは、紛れもなく、彼のサイトだったのである。

抑え難くほとばしるその激しい表現形が、物議をかもしたりもしたようではあるが、その奥に窺(うかが)える彼のまなざしは、きっぱりと力強く純粋であった。
心ある患者たちは、それを分かって、頼って見ていたのだと思う。

また彼は、深く鋭い洞察力を持っていた。
私は「なぜ難病といわれるのか」と題した彼の考察に脱帽して夢中で読んだことを、今も鮮烈に覚えている。
(当サイトの記事「日本の何が悪いのか」の中でも紹介させてもらった)

「日本では、みんな同じでなければという横並び意識が強いので、患者は、他の人に合わせるために、より多くの薬(ステロイド)を使って自分の症状を隠さざるを得なくなる。」
という主旨の指摘。
今で言えば、「インフルエンザのタミフル」にも通じるかもしれない。

日本における患者たちも、お仕着せの医療に従属する旧来の姿勢では、上手くいかないことが起き始めていた頃。
ならば、Noと言うべき所はそう言える患者になればいい。
彼のサイトは、模索し始めたアトピー患者たちに自立を促す、最初の教科書となったのだと思う。

開設当初、悪化の衝撃の興奮が冷めやらぬまま、患者としての怒りを強く吐き出していた彼。やがて時を経るに従い、やんちゃも沈静化し、成熟していく。
後期の彼は、思慮深く冷静な表現で、患者を取り巻く諸問題を憂(うれ)える豊かな発言を生み出していった。

同時に、患者としての彼の症状も次第に落ち着きを見せ、アトピーとの関わりの必要性も減少していったのだろう。
そして、アトピーの片鱗(へんりん)もない外見を得るまでに至った。

これで大団円だとは、たぶん彼は思っていないだろう。
いつかまたひょっとしたら自分の身に悪化が起こるかもしれないこと、そして何よりも、今も苦しんでいるアトピー患者が大勢いることが、彼の意識から消えてはいないのだろうと思う。

それでも、区切りの時である。

沢山の言葉と想いをありがとう。
そして、お疲れさま。
これからの人生の幸せを祈ります。

2009.2.  




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