[オリンピックサマータイムの愚]



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炎暑がようやく緩みはじめた。
お盆を過ぎれば秋の気配。自然の変化は実に律儀だ。
それでもまだ暑さの波はくり返す。
2年後の東京オリンピックはどうなるのだろう。
地球規模の異常な暑さから、世界中の人が危ぶんでいる。
無理もないことだ。

この避けがたい自然現象を、サマータイムで乗り切ろうと考える人たちがいるようだ。
彼らにとってサマータイムは、魔法の杖。
何か問題が起きるたび、あるいは起きなくても景気の低迷など社会が湿っぽくなるたび、振りたがる。
魔法に頼るは無策の裏返し。
国民の顰蹙(ひんしゅく)を買うだけだというのに。

あらゆる電子機器が時計を内蔵している、この完全なるIT時代に、時計を1時間2時間とずらす大変さを理解できないほど、彼らは頭が悪いのだろうか。
サマータイムによって心身に生じる多様な健康被害も、近年科学的に解明されてきている。長年続けてきたロシアが止めるなど、むしろ世界的には見直しの気運が広がっている現状である。
そして日本に1回サマータイムが導入された第二次大戦後に、失敗に終わった大きな原因である日本人の国民性、午後や夜に時間が余ればその分頑張ってしまう気質は、少しも変わっていないのだ。

元来サマータイムは、高緯度地域で、人体の生理に合った昼間の日照を確保するための施策として考えられたそうだ。
その意味で、はじめから日本における必要性は乏しい。
むしろ日没から程なく就寝しなければならない、現代人の生理に反したシステムとなる。
そもそも年に2回、強制的に体内時計を変更しなければならないということは、人体の生理に対抗する、大いなる負担である。
1時間でも体調を崩しやすくなるだろうに、2時間ともなればもう無理。
政府は国民を病気にし、社会を破壊したいのか。

サマータイムの利点として、余暇の充実や経済効果がよく言われる。
しかしこれは昼間の時間を長くすることによって、本来妥当な時間より長く、余暇活動や経済活動をさせる結果に過ぎない。
いわば需要の先食いである。
その先にあるのは、揺り返しか破綻だけだ。

どう考えてもサマータイムの実施にプラス効果はなく、あるのは確実なマイナス効果ばかりである。
それでも今回それが持ち出されたのは、ひとえに東京オリンピックのためなのだが、早朝は少し涼しくなるにしても夕方の競技時間はより暑くなるなど、オリンピックのことだけ考えても、安易なつじつま合わせの感が否めない。

地球温暖化と夏期オリンピックという、2つの世界的出来事のせめぎ合い。
いつか世界が直面しなければならなかった問題であり、日本がちょうど当たったのは不運と言えないこともない。
だが、課題がオリンピックであるのなら、関係のないところまで影響する制度をいじり、問題がなかったかのように誤魔化す逃げの姿勢ではなく、その課題こそに正面から向き合うべきではないか。

東京の路面材質の工夫、散水による冷却、競技開始時間を早めるという変更、さまざまなアイディアが試されている。
熱の影響をまともに受ける屋外競技の環境改善には、あらゆる対策が必要になる。
早朝から行うマラソンのため、それ以上に早く公共交通機関が運行していなくてはならないなら、大会期間中だけ臨時便を増発する。
日本人はそうした対応力に長けており、適切な調整を実にきめ細かくやってのけるに違いない。

場合によっては、世界中からアイディアを募ってもいいかもしれない。
夏期オリンピックの暑さは、日本1国のみの問題ではない。
今日の地球温暖化を招いたのは、人類全体の責任だ。
運営者の自分たちにすべての責任があると抱え込み、内にこもるより、 アイディアを世界に発信して、事前に世界の意見を聞いていく必要もあるのではないか。

酷暑の盛夏に、みなが熱中症になることなくスポーツの祭典を催行する。
これは飽くなき人類の挑戦だ。
いつまでそれが可能なのかわからないけれど、今回の日本の実践は、その後に必ず活かされるモデルケースとなる。
是非とも賢明な対処で臨んでほしい。


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