[異常気象を生きぬく]




. 何年前だろう、友人のSNSに「サバイバルの夏」というタイトルで書き込んだことがある。
「今年は6月から夏ですね」と、夏の長さや厳しさを書いた。

毎年、多くの人が5月から半袖になっていく中、アトピー肌を人目にさらすのが気になる私は、いつも7月後半の梅雨明けまで、延々と長袖でいたものだ。
梅雨寒(つゆざむ)があったり、バリアの壊れた皮膚が冷房の風に弱かったりもして、長袖をそうつらいと感じたこともなかった。

しかし、ここ最近の暑さといったら。
袖くらい短くせずにはいられない。
美観を損ないシミ・シワや皮膚癌にもつながる夏の日焼けを避けたくても、不感蒸泄(ふかんじょうせつ)をさえぎるような長袖やアームカバーでは、熱が体にこもってしまう。
先々の心配より、今の命を危うくする熱中症対策に、心を砕く毎日だ。

スーツを仕事着とする男性たちは、夏でも腕まくりした長袖ワイシャツにネクタイもきっちり締めて、という人が多かったが、さすがに最近は半袖ワイシャツでネクタイなし開襟、という姿がよく見られる。

来る日も来る日も下がらない気温。
冷房なしでは生きられず、
かといって冷房のない屋外にも出ていかなければ暮らしは成り立たない。

どこまで暑くなるのだろう。
どこまで人間は、この暑さと折り合っていけるのだろう。
SFのようにドームで囲まれ隔絶された都市が、いつか現実となるのだろうか。
だが、高熱の害から、私たちの生活を切り離すのは難しい。

今年の熱中症死の4割は、戸内で生じているという。
どこにいようと環境に対応し、限界を超えないように、
我と我が身の自律神経や内臓の機能を維持するための工夫が必要だ。

暑さの害は、ただ高温のみにとどまらない。
お化けのように発達した高気圧が促す上昇気流、その結果としての豪雨、洪水。
数十年に一度、とその度に言われる、大規模な河川の氾濫、家や街の浸水。
くり返し失われる命と資産に、世界中の人たちが胸のつぶれる想いをしている。

数十年に一度の災害という言葉は、せめてもの慰めか。
どうしようもない天災が、たまたま今日ここへ降りかかってしまった、 運の悪い巡り合わせ。
そんなふうに人は過去をあきらめ、悲惨な現実を受け入れ、再出発をしてきた。

だが今年、西日本豪雨で田畑を破壊されたある方が言っておられた。
この災害の多いところで、もう1回やり直していく力が出ないと。

次第に私たちは、気づかざるを得なくなってきている。
これらが、確率論的に時折発生するような、偶然の事象ではないのではと。
誰もが目を背けられなくなっている。
地球温暖化が、確実に災害を増幅させていることに。

文明の発展がもたらした、オゾン層破壊という気象現象。
それは人類の住む天体、地球の生涯の中の出来事としての天災でもあり、
飽くことなく文明を発展させ続けた人間が生んだ人災とも言える。
この異常気象は、偶然ならぬ必然の産物なのだろう。

「サバイバルの夏」と書いたときの私は、我ながら上手い表現を見つけたものよ、と悦(えつ)に入っていた。
けれど今となってみれば、そのときの私はサバイバル=生き残りという言葉の本当の意味をわかってはいなかった。

地球の夏の極期は、文字通り生き残りをかけたものになりつつある。
酷暑、さらに殺人猛暑とも形容される暑さが命や生活を脅かす、その恐ろしさ。
地球は、レッドゾーンに入った。

今までずっと動きの鈍かった公立学校へのエアコン整備を、自治体が相次いで急務と宣言している。
もはや我慢させられる、我慢させていいレベルではない。
たとえ屋外と屋内の気温差が大きくなろうとも、冷やせるところは冷やすしかない。

元の温度が高すぎるため、冷やすと言っても限度があるのか、むしろ今年は過剰冷房に遭遇することが少ないようにも感じる。

そうはいっても、日々体温調整の激務に耐えている自律神経に、負担をかけすぎないようにしたい。
自分さえ良ければの冷やし過ぎは、厳に慎(つつし)みたい。

屋外労働を頑張っておられる方々には、今の流行語だが、感謝しかない。
どうかくれぐれもお体に気をつけて下さるように。

私たちは、この地球で生きていく。
地球の命とともに、地球上生物たちの命を長らえていこう。

その生命体に生じたほころびを修復し、強く生きていける心身を作るための手助けをするのが、医療者の役割なのだろう。
そのために日々努めていきたいと思う。

2018.07.  


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