[専門医制度改変がもたらすもの]



. 「〇〇専門医」という言葉をお聞きになったことがあるだろう。
その制度の管理が、国の主導により各学会から第三者機関に移行されることをご存知だろうか?

このサイトの中では何度か書いてきた。
国によれば、各科の学会ごとに別々でばらつきのある専門医の質を統一し、一般の人にわかりやすい仕組みにするのが目的だという。
なるほど、認定基準の変更により専門医の質が高まるなら、誰もが歓迎する。
しかし現実は。
日本の医療を良くするより、悪くする危険をはらんだ改革となっているように思えてならない。


専門医の質を高めるために、審査を厳しくする。
だが具体的に何が起きるかというと、要件が増えて複雑になるだけのようではないか。
微に入り細に入り多くなった要求内容を、専門医になろうと思うなら、満たさなければならない。
すると予想される帰結は?

専門医取得のために、
1) 医師の、すなわち専攻医(専門認定されたい医師)と指導医の職業行動が制約される。
2) 本来患者の治療に振り向けるべきより多くの時間と熱意を、専門認定作業に奪われる。
3) 取得審査が厳しくなれば、取得を諦める医師が増えていく。相当の経験を積みながら、専門認定されていない医師たちが生まれる。

1) 専攻医は、指定された施設で、必要とされるカリキュラムやプログラムを満たすように行動しなければならない。育成役の指導医もまた、指定施設たる要件を満たすため、そこに拘束される。
今あそこの病院に何科の医師が足りないから、1年間だけでも行って来る、といった、柔軟な医師の配置ができなくなる。
専門医を育成するために、専門科の医師として働くことを遮(さえぎ)られるという本末転倒。

2) たとえば私の専門科である皮膚科では、4年間大学病院などの研修施設で勉強しながら専門科の医師として働き、その間に当然すべきことをしていれば専門医を取得できた。
その後もっと厳しくなり、6年間の研修とその後の試験合格が義務づけられた。
これでは厳しさ不足らしい。

新制度においては、初期研修にすでに2年を取られているので、その後の専門研修は3年半余りをめどとしたいようだ。その分というべきなのか、実に細かく研修内容を規定されている。
しかし何の病気の人を何人診ていないといけない、というようなところまで枠をはめられると、何事も経験、というわけにはいかなくなるのではないだろうか。
経験を選ぶような、立ち回りをもくろまなければ、こなせないかもしれない。
専攻医に要求される資質が、真摯(しんし)さではなく、要領の良さとなるのなら、何かおかしい。

専門医になるため満たすべき研修は、その科に一定期間しかるべき施設で専従して打ち込めばこなせる内容であるべきだ。
専門医取得は医師の仕事の目的ではなく、より適切に働けるようにするための一法に過ぎない。
細部までを云々するより、幅を持たせた評価で基本的能力を問うべきであろう。

3) 要求レベルが高すぎれば、専門医を取得したくとも諦めなければならない医師が増える事態を招く。
実際に専攻医となるべき若い医師たちは今、制度が二転三転している状況の中、強い不安にかられていることだろう。
新しい研修内容をやり抜かせてもらえるかどうかもわからない、首尾よく全ての要件を満たせたとしても、第三者の評価で要求レベルに達していないと言われれば、一巻の終わり。
この制度で専門医を取得したお手本はまだ皆無であり、制度に乗って専門医を取れると言う保証はどこにもないのだ。
研修施設に3年半、5年、いやもっといても、結局専門医を取れなかったら・・?
その後の身の振り方を考えておかなけらばならない。
この混迷のため、将来の医療を担うべき若手医師たちは、自分の将来を定められず、追い詰められていはしないだろうか。

どの医師の人生にも、それなりの事情が生じる。
いつまでも研修の身でいられるわけもない。
むしろ専門医を取ってからが医師人生の本番だろうに、その基本の通過点にいつ立てるともわからないのは、やりきれないに相違ない。

目指している専門医の取得が難しいとなれば、より取得の簡単な専門医に鞍替えするか、専門医を要求されにくい分野へ医師は流れる。
そうなると、専門医の人数は、単純に減ってしまうだろう。
国の意図とは逆に、専門医として働きたいのに働けない医師を増やしてしまうのではないだろうか。


医師免許と違って、専門医制度は更新制でもある。
新制度はこの点を踏襲しており、今後は数年ごとの専門医更新の認定権も、日本専門医機構が一手に掌握することになる。
こちらの制度も同様に規定の要件が増えていて、一度や二度読んだのではわからないくらいに複雑だ。

たとえば学会聴講は自己研鑽(けんさん)という学んだ証となる。この認定は今まで学会単位だったのが、学会の中の一部の講演単位になった。
学会に行っても、講演ごとの受講登録に忙殺され、規制される。
登録忘れや、指定外演題の聴講、決められた時間数未満の聴講は、研鑽実績ゼロ。
自分の聞くべき演題を選ぶ自由も束縛される。

ことに容認しがたいのは、この改革にともない、期間中の職歴が重要な要件となったことだ。
初回専門医認定時に、適切な施設で研修を受けたかという職歴を訊すのは、理にかなっているだろう。
しかし更新のたびに、前回更新から今回申請までの期間内勤務証明を提出する、というのはどうか。

専門医となる研修を積み、その後働き経験を重ねても、長い人生の中のわずか直近の4年余りの間、医師として専門医として実際に指定時間以上勤務していなければ、そのキャリアは無だと言う。
男性が見れば、当たり前と思うのか?
私は、そうではないと考える。
日本女性は圧倒的に男性より、自分以外の事情により職務を制限されることが多い。
今働けない者はすぐ辞めろ、という制度は、仕事に専念できる男性にとってのみ都合がいい、性差別ではないか。

もちろん病気や妊娠・出産、留学などの除外規定があるにはある。
しかし、長期にわたる育児、介護、家族を助けるための家事専念などは認められないだろう。
たとえば3年間、我が子の子育てや舅/姑の世話で働けなかったとしたら、専門医を失う。
これは明らかに、女性にとって不利な要件である。

止むを得ず10年間、私が病気休職していた期間にこの新制度だったら、間違いなく私は「皮膚科専門医」を失っていただろう。
だがこれからの世の中、たとえ男性だろうと長い人生のある時期、過労で心身を患う、癌になるなど、結構な期間働きたくても働けない環境に陥ることは、誰にだって十分起こりうるのではないかと思うのだけれど。

新制度の専門医更新要件は厳しすぎる、地域医療に支障をきたすという懸念の声は、実際に医師たちから強く挙がっているものだ。
対策として国はe-learningの駆使などを挙げているが、未だ十分整備されていないe-learningが頼りとは、何とも心もとない。


さまざまな現場医師たちの案ずる声を受け、2017年の厚生労働大臣談話にはこうある。
「専門医の取得は義務ではなく医師として自律的な取組として位置付けられる」
すなわち専門医取得は義務ではなく、自発的な自己研鑽だという。

つまり日本においては「専門医制度」を医師免許のような必須の資格として構築するつもりはないということだ。
その専門科を勉強していますよ、という免状として、他者への参考に供するもの以上ではない。

ならばそもそも、全科統一基準でなくても、何ら問題なかったのではないか?
その専門科の医学・診療・現状に精通した各学会が制定する制度の方が、ずっと正確で、現場に適合していたと言えるのではないだろうか。

統一以外に第三者機関機関認定にするメリットといえば、「身内のお目こぼし」という甘さをなくすことくらいしか思いつかない。
だが、医療を受ける一般の人たちの目は、それを許すほど甘くないだろう。
たとえ看板に専門医を掲げていたとしても、実際に腕が悪ければ、患者には選ばれない。

もう1つの改革理由は、専門医制度が一般の人にわかりにくい、であったが、このままではむしろ前よりわかりにくくなりかねないとすら思える。
専門医を「なかなか取れない、でも頑張れる人は頑張って取って」という高すぎるハードルにするのは、専門科経験を持ちながら、専門医ではない医師の製造につながる。
医師は単位を取ることに頑張るべきなのか、患者を診ることに頑張るべきなのかという問いの答えは、言うまでもない。
専門医を持っていない医師の中の誰が、相応の専門科経験を持っているのかを、一般の人に見分けさせよと言うのだろうか。

一般の人が求めている専門医看板の内容は、その科のある程度の研修を実際に積んでいる、という履歴の証明であろう。
したこともない手術に手を出している人ではない、という安心感である。
ならばむしろ、実際に研修を積んだ医師なら、きちんと全員が取れる制度でないと意味がない。

暴言かもしれないが、専門医制度に質の高さは必要ない、と私は思う。
必要なのは質が一定以上であること、最低限を確実に担保していることだ。
それでこそ一般の人にとって、診てもらうべきかどうかの目安となる。

より質の高い専門医、特定領域に優れた名医、自分の病状により適合するだろう医師を求めるなら、
今は、一般の人である患者が、それを自分で探し出すことが可能な時代である。
その際、しかるべき専門医リストは、1つの情報源になるだろう。
リスト上の候補専門医数は、多いに越したことはないはずだ。


国主導で始まってしまった制度は止められない。
日本専門医機構とそれを管轄する厚生労働省と医師たちとが協働して、この制度をより良いものにすべく模索していくしかない。
それにあたり、現場の零細なる医師の1人として、感じることがある。

医師にとって、専門医というものはいわば1つの矜持(きょうじ)、自分はこの道でしっかりやっていくんだ、という決意表明の証とも言うべきものではないだろうか。
数年に及ぶ研修をみっちり受けた後、「でもあなたはこの病気の患者を診ている経験数が足りません、ゆえに専門医には認定できません」などともし言われたなら。
あなたは専門医に値しない、という第三者の宣告。
それはその医師がそれまで良き医師になるべくしてきたすべての努力を、人生さえもを否定するものになりうる。
一時の心の傷では済まない、その医師のその後一生の働く動機づけに、良くない影響を及ぼすものとなるだろう。

いたずらに認定基準を厳しくすることは、多くの医師たちを消耗させ、その志を殺ぐ凶器だ。
医師の意欲を奪うことは、国民の医療にとって大いなる損失となる。
有能な医師を有能と認めず埋もれさせることもまた、無視できないマイナスであろう。

いつか何十年も先、なぜか専門医の人数が減り、質も落ちていることに社会が気づく。
その原因が専門医認定の厳格化にあったと分析され、制度を緩めようという動きがようやく起きたとしても、その損失を取り返すにはさらに何十年もかかるか、もしかしたら取り返せないかもしれない。
そんな未来図を招かないために、できることがあるのだろうか。


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