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 小説


とりあえず、愛★★★★・・・アトピー性皮膚炎の乳児を持つ若夫婦の男女の、心のすれ違いを描いた物語。おそらくは子供の病気によるさまざまな大変さをきっかけとして、妻は一時精神の均衡を崩す。しかし夫はその事態に(彼としては懸命に努力しているにもかかわらず、)ついていけない。

似たような状況を体験した私には、かつての自分の心情がまさにここに映し出されているかのように感じられるほどの、秀逸な描写で、引き込まれるように読んだ。多分私以外にも、読めば同じような感じを持つ女性がおいでではないかしら。アトピー患者が増えて、治療も大変になり予後も必ずしもかんばしくなくなってきている時代、また核家族化が徹底して、育児の負担が母親一人にかかりがちな時代である昨今、こうした状況は決して珍しいものでないだろう。
男は外で働き、女は家で家庭を守るという、性別による役割の色付けは、未だに根強いものがあり、確かに男性・女性の肉体的精神的特質によく適合するものではあるのだろうと私も思いはする。それでもこう核家族化・個別化が進んでは、男は男の、女は女のことしかしないでは、やっていけない状況が、少なからず生じずには済まないのではないだろうか。男性でも家事や育児や介護をしなければ、女性でも外で働き収入を得なければ、生きていけない事態に、人生の中で遭遇する。そして、それはいいことなのではないかと思う。人間は体験から学ぶ生き物だ。その実体験が、相手の立場を理解し、思いやることができるための力となる。それが足りなかったことが、この物語の夫婦の亀裂の原因だったのではないかという気が、私はする。

作者の天童新太氏が、自分とは違う、いろいろな立場の人の気持ちの動きをかくも明確に詳細に描けるのは、とても不思議だ。類い稀な能力と思う。優れた感受性と、なおそれに流されない強さとを兼ね備えた人なのだろう。
「心身の健康や、願っていた夢や理想、またかけがえのない大切な人を失いながらも、なお人への思いやりを忘れない人がいます。決して簡単な道でなく、長い時間が必要だった上、いまも完全には癒されていないのに・・・」という後付けの謝辞の言葉に心を打たれた。

ブラックペアン1988★★★★★・・・「チーム・バチスタの栄光」の海堂尊氏が、その後相次いで上梓している連作の1つで、バチスタの約20年前の同病院外科が舞台になっている。
一気に読めるエンターテインメント性の中に、医師たちの覚悟のほどが読み取れる秀作。格好いいだけの名医ではなく、人間臭く葛藤しつつ、それぞれの信念を貫いていく彼らがいい。医師1年目から幾多の希有な体験をした世良は、その後どうなっていったのだろう。
・・・と思ったが期待を裏切らず、シリーズが続き世良も登場する。美しい夢物語のようなブレイズメス1990、現実の哀しさが描かれるスリジエセンター1991が切ない。

犬はどこだ★★★★・・・探偵もの。
米澤氏の文学、ミステリへの造詣は果てしなく、その文章はよどみない泉のように溢れて軽快なリズムとユーモアを刻みながら、伏線を巧みに鮮やかに隠す。
ここに入れたのは、登場人物に成人アトピー性皮膚炎の既往があるから。その経験は彼の性格と物語の根底に流れて、ステレオタイプではない彼の魅力的な特性を形作っている。