[アトピーはわかりにくい]



. 花粉症はわかりやすい。
アレルギーを持っている花粉の飛ぶ季節に、症状が出る。
2月から4月にかけくしゃみ・鼻水・鼻詰まりが出るなら、原因はスギか。
5月にまで及ぶなら、ヒノキもだね、と。
そして血液検査をすれば、その花粉のIgE抗体が陽性に出る。

ところが、アトピー性皮膚炎(アトピー)はわかりにくい。
原因や要因が、山ほどあるからだ。
IgE RASTによる抗体血液検査で捉えられるアレルゲンも、
そうでないものもいっぱい。

例えば目が痒かったり、鼻がぐすぐすしたりしたとして、
季節性の花粉症であれば、
ああ、スギ花粉の季節になった、花粉が飛んできてる、とわかる。

だがアトピーでは、考慮すべき原因が多すぎて、
どれが主犯か、突きとめるのは容易でない。
主要なアレルゲンである、ハウスダストやダニ。
たとえ自分はそれらがダメと知っていたとしても、
じゃあ日常どれくらい接してやられているのかとなると、
やっぱりわからなくなる。

部屋の掃除はこれで十分? 布団や枕にダニが増えてない?
捨てられない大事なぬいぐるみは・・・?
疑えばきりもなく、疑心暗鬼になっていく。
かつてダニを極度に減らしたマイトフリールームなる部屋が、
研究的治療に用いられたこともあったが、
そんなところで一生暮らすことはできない。
現実問題として埃やダニと無縁ではいられないのが、
生活というものだ。

あのときあれを食べたのが、飲んだのが良くなかったのかな?
合わない物に触わっただろうか、あるいは空気中の何か・・?
湿疹や蕁麻疹を引き起こし悪化させるアレルゲン候補は、いくらでもある。
自分の体の免疫系は、いったい何に反応しているのだろう。

原因物質は、1つや2つとは限らない。
今、目に見えている症状は、過去に接した多種多様な物に反応した、
その総和としての結果である。
1つの物との因果関係を掴むだけでも難しいのに、
いくつもとなれば、もう訳がわからない。
けれども人間の脳の思考とは、
原因と結果を1対1対応にしないとなかなか納得できないものである。


アトピー患者の肌には、皮膚バリア機能の本来的な弱さも指摘されている。
外界物質侵入を容易に許し、くり返し入ってきた物らが、
いつしかアレルゲンとなるに至る。

実際、自分も含め患者たちを見ていると、
その水仕事に対する皮膚の耐久性の弱さは、哀れなほどである。
他の人には何でもないほどの炊事や掃除でも、あっという間に手はボロボロ。
使う洗剤や水にたとえアレルゲンが含まれていなくても、
刺激が加わり続けるだけでも患者の皮膚は負けて傷んでしまう。

他の人と同じに頑張ろうとすれば、自分の身が守れなくなる。
この厳しく皮肉な現実。
社会生活の中でこの帳尻を合わせていくのは、どれほど難しいことか。
たかが水仕事がそんなに危険だなんて、平気な人にはとてもわかりにくい。


アトピー患者においては、無理や不調がまず皮膚に表出する。
慢性的な疲労、暴飲暴食、精神的ストレス。
夜型や不規則な生活、睡眠不足、
明るい電子機器(スマホ、パソコン、大型テレビ、照明)を夜中まで使うなど。
睡眠と覚醒のサイクルが乱れた体は、
ヒトとしての生理機能を十二分に発揮できないだろう。
食が乱れていれば、必要な栄養が皮膚まで届かない。
精神的ストレスは、痒みを感じる神経を波立たせる。


多種アレルゲンに加え、アレルギー外要因までもが影響するアトピー。
調子の悪いとき、どれがその主要因なのか、
何をどんなやり方で除けば改善が望めるのか、
見定めるのは大変だ。
たいていの悪化は突然、あたかも天災のようにやって来る。
肌が弱いだけに、ちょっとした悪化でも、
回復には普通の人が予測するより、はるかに長い時間がかかることが多い。
だが、原因は去ったはずの湿疹が長引いていたなら、傍目には、
ただの管理不行き届きに見えてしまうことだろう。

要因に気付けなかったり、気付いてもや除けないものだったりもありうる。
このままどんどん坂道を転がり落ちていくのでは、という恐怖。
いつ果てるともしれない症状への強い不安。
原因のわからぬ苛立ち。
ピリピリした雰囲気は家族を巻き込み、社会には切り捨てられるという不幸の連鎖。


本来、科学的にアレルギーの原因を追求するには、
IgE抗体の血液検査で陽性項目とその程度を確認したり、
疑わしい特定アレルゲンがある場合は、背中や腕でパッチテストやプリック/スクラッチテストをする、というような検査法がある。

血液で一度に39項目など、医学技術進歩で検査可能項目が増えてはいるが、
それでもあらゆるアレルゲンを調べられるわけではない。
皮膚で反応を見る諸検査は、ほぼ全身の皮膚に変化があるアトピー患者では、
実際厳しく、薬を使用しながら行わざるを得ないなど結果に疑問符も付く。
血液中に抗体が検出されることと、実際に症状が出ることとはイコールでないし、
抗体陰性かつ皮膚検査反応なしでも、食べて反応が出ることもある。

わかっているようでわかっていない、
なんだかんだで八方塞がりなのが、アトピー性皮膚炎である。


ほんのちょっとカサカサしむず痒い程度の軽症者から、
浴びるほど薬を使っても全身を覆う皮疹と痒みに苦しむ重症者まで、
症状に著しく幅があるのもわかりにくい。

外から見える顔や手はきれいでも着衣の中はひどかったり、その逆だったり。
全身の皮膚を人前に晒して歩いているわけではないから。

重症度もわかってもらいにくい。
充血の赤みは時により変動し、薄く見えることもある。
ボコボコ点在する湿疹は目立つが、全部が盛り上がると逆に均一で軽く見えてしまうこともある。

最重症者は仕事や学校に行けず、生活が崩壊するほどだが、
それでもたまに病気を思い出すくらいの軽症者と、病名は同じアトピー性皮膚炎。
1つの病気の中で、こうまで千差万別な症状の差は、わかりにくい。

1人の人の中でさえ、重症度はくるくる移り変わる。
その時点の痒み、痛みや辛さ、だるさがどれほどひどいのかは、
本人にしかわからない感覚であるため、
周囲の者は、それを聞いて推し量ることしかできない。
他の人に移す感染症なら、移さないための身の処し方という客観的目安がある。
そうではないアトピーでは、アトピーゆえに何かを休む、止める、断念するという判断は、
明らかな合併症がない限り、皮膚の状態が客観的に重症かどうか以上に、
結局のところ、本人が辛くてどうしようもないかどうか次第になる。

喘息のように、発作で直接命を失ったりはしない。
だが悪化した皮膚からの感染症が重症化すれば、最悪の場合死に至ることもある。
白内障や網膜剥離のように重大な眼合併症を起こすこともある。

喘息発作で苦しんでいるのは、誰が見ても苦しそうに見える。
しかしアトピー患者は、なるべく人に見られないところで掻くから、
痒みに耐えて生活していることはなかなか人に伝わらない。

我慢できるくらいの痒みなら大したことない、と
他人事であればそんなふうにしか捉えてくれない人もいる。
何をか言わんやである。


病気というと普通は、入院や手術や、切れ間ない薬や外来通院が必要なものを考える。
軽ければ保湿などの自己管理のみで病院から遠ざかってもいられるアトピーは、半病人か。
それだけに、首尾良く調子の良い状態を維持できれば、
周囲にアトピーと知られずに過ごすことすら可能かもしれない。
そんな調子のいいアトピーでいられたら、理想的かな。

この病気のわかりにくさに飲み込まれないようにいたい。

2019.6   

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