カロナール品薄に思う



「アスピリン不耐症」という疾患がある。
その薬を飲むと、さまざまな不快症状が出る病気だ。
症状が喘息の場合は「アスピリン喘息」。
「NSAIDs不耐症」という言い方もある。

アスピリンは、鎮痛剤の代名詞とも言える、古典的な薬である。
しかしアスピリンは副作用の観点からいささか汎用性に欠けるため、近年日本においてよく使われる痛み止めではなくなった。
このため今では「エヌセイズ」を冠した後者のほうが、現実に即した病名となっている。

NSAIDsとは、Nonsteroidal anti-inflammatory drugsの略である。
ステロイド以外の、消炎鎮痛剤全般のことを指す。
前述のアスピリンの他、よく聞く代表的なものとしてロキソニン(一般名ロキソプロフェン)、その他諸々があり、大概の人に安全性が高いため頻用されるようになったカロナール(同アセトアミノフェン)も解熱鎮痛剤だがよくこの範疇で語られる。

また不耐症とは、体に取り込んだあるものを、体が忍容できないことを示す医学用語である。
つまりNSAIDs不耐症とは、これらの薬剤を内服した際に、体のシステムに変調をきたす状態のことを言う。

不耐症(ふたいしょう)とワープロで打っても、まずこの字は出てこない。
それくらい一般的ではない言葉だが、それに体が耐えられなくて症状が出る病だということは、字を見ればわかるだろう。
ミルクアレルギーではないが、飲むとお腹がゴロゴロしたり下痢になったりする、乳糖不耐症は有名である。
対処はどうするか? 変調を起こすものは摂らないことに尽きる。この点、アレルギーと同様である。


そもそも鎮痛薬は、病変部の局所が痛みの信号を発し、それが脳で痛みと認識されるに至るまでの経路を、抑制することで効きめを現す。
有痛性の病気や怪我が実際に局所で起きているのに、脳はそれを感じないようにと覆い隠す。

発痛物質は、多くの場合、炎症を生じる物質である。
体内に熱を増す方向に働くものだから、その作用を抑制するものは解熱剤ともなる。
疼痛、熱感、発赤、腫脹とさまざまな形で表れる炎症の存在を、なかったことにしているのが鎮痛剤、痛み止めである。

体に起きた問題に早期の安寧と解決をもたらしうる、非常に有効な対症療法であるそれらだが、別の見方をするなら、とても不自然な状態を強引に作り出しているとも言える。
炎症はよく火事に例えられるが、怪我をしたり病気になったりするのは、体という家の中でいわば小火(ボヤ)が出たことに相当する。
消炎剤はその炎症信号を鎮めてくれるが、残念なことに原因療法ではないので、完治には至らず、一時的な抑制効果にしかならないこともある。
病変という火種が消えていなければ、薬の効き目が切れるとすぐに、炎症の火が再び燻(くすぶ)り始める。
出るたび押さえる、モグラ叩きが始まり、その場しのぎのそんな無理矢理な抑制が無計画に繰り返され、延々と続いたとしたら、その先にあるものは・・。
ただ「目をつぶれ」と強引な命令を体の炎症制御システムに出し続けた結果、ついにはそのシステムが破綻し、暴走し始めるかもしれない。
それがNSAIDs不耐症ではないか、と私は考えている。
壊れた炎症制御システムが、炎症に関わる薬が入ってきたときに異常な応答をしてしまうのだろう。


日本人は薬が大好きだ。
そのくせ副作用は、ちょっとでも許せない。
ワクチンに副反応など、「あってはならない」くらいの勢いで毛嫌いする。
不快な反応が出たら、軽重を問わず、「もっとひどくならないうちに」と直ちに消し去るべきものと考える。

恐がりなのかもしれない。
「苦痛は少しでも早く取る」考え方が主流で、そのための情報収集には実に余念がない。
テレビでも雑誌でもSNSでも対面の世間話でもあらゆるメディアで、新型コロナウイルスに伴う苦痛から逃れる方策の情報が声高に取り上げられる。
かくして、Covid-19とその予防接種の拡がりに呼応して、薬局の棚からアセトアミノフェンが消え、ついには処方薬としてすら品薄で手に入れられない、という前代未聞の非常事態が生じている。

パンデミックによる自主療養、その予防ワクチンの副反応対策。
国民全体と言ってもいいほどの巨大需要は、極めて特殊な状況には違いない。
だが、ただ無為に嘆くだけでは芸がない。
これを、考え直す良い機会にすべきではないか、と私は思う。
「私たちは、不必要なまでに薬に頼りすぎてはいないだろうか?」 と。

予防接種を打った直後に副反応で生じている痛みや熱、それはほんとうに、抑えなければ耐えきれないほどひどいものか?
生理痛や頭痛は、CMが言うように今すぐ止めて、平気な顔をしなければいけないものなのか?
膝痛や腰痛、その他関節などに反復する慢性の痛みに、何か月、何年と痛み止めを飲み続けるべきなのか?

痛み止め薬の取り扱い説明書である添付文書には、重要な基本的注意として、安易な連用への戒めが書いてある。
いわく、「鎮痛剤による治療は原因療法ではなく対症療法である」
主作用・副作用ともに強力な対症療法薬を、漫然と長期連用することは、本来正しくないはずなのだ。

しかるに現実には、多くの人が鎮痛剤という対症療法に依存している。
副作用で胃潰瘍ができて胃に穴が空くまで、薬が合わなくなって全身に発疹が出現するまで、薬を止めようとはしないばかりか、
たとえそうなってすら、考えを変えるのではなく、代わりに飲める薬を探し求め続けるのだ。

薬というエースのカードの裏には、必ず副作用が貼り付いていると知らなくてはならない。
自分がそれに当たるか当たらないかは、確率論でしかない。
飲めば飲むほど確率が増えていくのは、誰にでもわかる算数である。
薬は、悪魔の呪いでもないが魔法の杖でもない、必要なときだけ用いるべき医療の道具のひとつにすぎない。

炎症は、体の発している危険信号である。
過剰となれば、消耗して本体がやられてしまうから、それを止めることを否定する気はさらさらないが、まずはその警告に耳を傾けてみたらどうだろう。

警告は忠告である。
自分の体を正すためにできることが他にないか、考えることはきっと無駄ではないと私は信じる。

2022.09.  
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