「根本から」って簡単じゃない



ひとたびメスを握れば、1回の手術ですべてを完治させる。
豊富な知識と鋭い洞察で、病気の謎を一気に解いていく。
だれもが憧れる、理想の医療の姿。
そんなふうに、あっという間に病気と決別できたら、どんなにいいだろう。

手塚治虫のブラックジャックに、たしかこんなふうな話があった。
1人の医師が、患者の重い病気を「すばやく治せる」と言う。
別の医師は、「それは危険」と押しとどめようとする。
最初の医師は決行し、気にしていた病気は、見事に治ったかに見えた。
しかし患者の体は制御不能の状態になって、亡くなってしまう。

全体像を見ずに、一部しか見ないで治療するのは、危うい。
病像の全部を、体の全部を、その人の全部を捉えなければ。

残念ながら、医師は魔法使いではない。
医師が患者の体に何らかの手を加えるということは、期待する良い結果を超えた予想外の望まぬ影響をも、与えることになるかもしれない。
それでもその責任をも引き受けて、可能な限りの成果を引き出そうと努めるのだ。

病気も体質も、その人の一部を成しているもの。
その人の心身と、分ち難く絡み付いているかもしれない。
体質ゆえに、親和性強く定着している病であるかもしれない。
支障を起こさずそれらを切り離すのは、容易なことではない。

治療には、覚悟が必要なんだと思う。
行う側だけでなく、受ける側にも。
根本治癒を志すならば、それが一朝一夕に成らないのは当たり前。

誰でもそれは理解できるはずなのに、
それでも人はしばしば、即効性という奇跡を期待したくなる。
都合の悪い部分だけが、たちどころに消えてなくなることを。

体質の遺伝も含め、病気の過程が長いほど、
さまざまな変化が複雑多岐に折り重なり、治しにくいものとなるのが道理だ。
癒しの道程は、病気が進行してきた道を逆に辿ることかもしれない。
ならば、病気になってきたのと同じだけの、長い時間がかかるのかも。

今、私も施術者の1人であるNAETという施術は、
病気を逆に辿る可能性をもった方法である。
反応するようになってしまった物に対して、反応しない体に戻る。
それはとても望ましいこと。

だけどそれはもちろん、容易なことではないのだ。
ある原因物質とうまく折り合っていける体に作り替えるためには、
多角的な視野からみた膨大な施術を必要とする。
アレルゲンの方も、たとえば単細胞生物のような単純構造の物ではないし、
受け入れ側の人体ときたら、超がつくほどの複雑系なのだから。

病んでへろへろだった私の知人は、のべ900回以上の施術を経て、
まなざしさやけき端正な賢人に生まれ変わった。
私も、2006年以来延々と続けている施術によって、
気後れせずいられる肌と、頑張りのきく体を手に入れた。

それでもまだ私も、人を癒す者として完全になれたわけではない。
およそ人間という者は、生きているうちに完全無欠にまでは、
なれはしないだろう。
それでも完全を目指して努力をし続け、
その不完全な身でできうる限り、人を癒そうと思うのである。

病気を改善させる方向性は、いろいろあるだろう。
悪い所を取り除く、体内で起きている変化を抑える、あるいは逆行させる。
体をなるべくいい状態に保つ。
そのために、食や運動や生活などのライフスタイルに気をつける。
自然治癒力を促進すると考えられているさまざまな方法を用いる。
精神面からのマイナスの影響を軽減させる。

どんな方法でもいいのだと思う。
万人に有効な処方箋というものはない。
大事なのはきっと、短気にならないこと、冷静であること。
とくに慢性疾患では、焦ってもあまりいいことはない。

どれだけかかっても、あきらめる必要はない。
生きている限り、チャンスはある。
回り道でも迷い道でも、努力を続ける人は前に進んでいるのだ。
一歩ずつ一歩ずつ、未来に向かって歩いていこう。

2013.10.  

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