テクノストレス






ふと気付くと、身の周りに溢れかえる機械の群れたち。

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いったいいつの間に、これほどに増殖したのだろう?。
最近、自宅の機械製品のいくつかを修理・新調する機会があり、今更ながらそのことに驚いている。

機械は必ず壊れる。その寿命は、人生に比べればごく短い。
5年か10年。物によってはもっと短いだろう。
人生のうちに、1つの物を数回かそれ以上、買い替えなければならない計算になる。
その度お金と、設置や使用法把握の手間を掛けなければならない。
これは、かなり厄介なことではあるまいか。

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その始まりは、1960年代の、テレビ・洗濯機などの家電の普及であっただろう。
その後、コンピュータ、インターネット、携帯電話とめざましい技術革新が次々と進み、機械製品の進化に加速度が付いた感がある。

新製品を買う度、その機能の進化に驚かされる。
「こんなこともできるんだ。すごい!。」

そして一方困惑もする。
「これで動くはずなのに・・動かない。さてどうしよう。」
「説明書を見ても、よくわからな〜い。」
「あれ、こういうことはできなくなったんだ。前の機械ではできたのに・・。」

機能の複雑化による、把握の大変さ。
仕様の変化のめまぐるしさ。
それらに、ついていけないとか、嫌気がさす思いをすることが多くなった。

取り扱い説明書も、だんだん分厚くなって・・。
もちろんなるべく見やすく分かりやすくする工夫はされているのだろうけど、それでも、素人に本当に必要なことが分かるように書かれてはいない、という気がする。
量も多すぎて、全部読むことを要求されても無理。拾い読みするのがやっとだ。

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そんな中、知人の開業医が、電子カルテを使っているのを見た。
一般の人が個人でこういうシステムを使えるまでになったのだから、まったく技術の進歩はすごいものだと思う。

紙のカルテにはない、幾つもの利点があり、電子カルテは確かに便利。
誰でも読みやすいきれいな活字だし、頻用語句を登録しておきすばやく取り出したり、写真やデータを取り込んだり、会計や薬局に情報を飛ばしたり、万事手間を省いて迅速な対応ができる。

しかしその一方で、システムの構築や改変には膨大な手間が掛かる。
動作不良や、データ消失のリスクも常につきまとう。

こうした高度な機械でも、あと5年や10年経ったら、どうなのかな。
めったに不具合も起きず、バックアップも簡単に作れていざという時すぐ動かせるような、はるかに扱いが容易で問題のないものになってくれるのかしら・・。


それでも、機能が高度であるなら、どうしても操作にある程度の手順は必要だろう。
また、機能を進化させ続ける限り、最先端の機能はどうしても試行錯誤中のものにならざるをえない。作って使ってこそ見えてくる改良可能な点などをゼロにすることはできないだろう。

それに、機械がすばやく進化し続けているということは、仕様が変わっていくことでもある。
ハードが変化し続ければ、ある時点で互換性を保つことに限界が来る。
せっかくバックアップデータやソフトを貯めておいても、それさえも無効になってしまうかもしれない。

機械は紙よりはるかに寿命が短い。
しかも大概の場合、機械(やその中身)を失うときは突然やって来る。
そのとき慌てずに済むようにしておくなんて、実に困難なことだと思う。

ことほどさように、機械とは厄介な物だ。

しかし私たちは、日々進化し続けるその機械の群れたちの直中(ただなか)にいる。

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できなかった時代はしなくてよかったことが、今では次々と「できること」になっていく。
そしてさらに、「できないと何となく格好悪いこと」に、
ついには、「できないと困ること」、「できなければいけないこと」にまで。

できるようになって楽しい・嬉しいことは、確かに多いのだ。
だからこそ私たちは新製品を買い求めるのでもある。

だけど、大変だよね。こういう世の中に生きるっていうのも。

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改めて周囲の人に聞いてみると、インターネットを見られる環境にないという人も、結構いる。
パソコンを持っていないとか、携帯がないとかあっても電話しか使わないという人も。

かくいう私も、音楽はいまだCDのみだし、テレビはアナログで薄型でも大型でもないし、テレビの録画はずっとVHSビデオだったのが一台壊れて、さあ困ったなというところ。

始めるのがおっくうになる気持ちは、すごく分かる。
よく分からないもの、ちゃんと動かないものをいじろうとするのは、結構勇気が必要だったりする。
買えば、自分で管理して、トラブルにも対処しなければならない。

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それで結局思うのは、「無理せず使っていきたいな」、ということ。
これがストレスになるということは、意識しておくべきだと思う。
機械に使われてしまわないためにね。

今くらいの複雑な機械になると、ある程度それに振り回される時があるということは、きっと致し方ないとするしかないのだろう。
高度な機能の恩恵を享受する代償として。
だから多分、そのストレスが自分の許容量を超えないように、自分で制御していくしかない。

自分が何を使うか、何のある環境で暮らしていくか、今まで以上によく考える必要がある。

それと、道具に過ぎない機械で、人間の質を量る勘違いをするような人間にも、なりたくはない。
使っても、使わなくてもいいの。
使っていない者が、「遅れている」わけでもないし、コンプレックスを感じて卑屈になる必要もないのだと思う。

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さて、パソコンも大変だけど、私はプリンタを結構苦手にしている。

一昨年使っていた物が多数枚の印刷時に動作不良で、とうとう買い替えはしたものの、プリンタドライバのインストールも、ケーブルの接続も、誰かがしてくれたらいいのになんて、ため息をつきつつ、怠惰な一日延ばしをしている今日この頃。

今年(ていうか来年のだけど)の年賀状は無事にできるか否か?。
もしも上手くやりおおせましたら、おなぐさみ(^ _-)ー☆。

2006.9.  




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