外出   



実家に戻り引きこもりの療養生活となって3年が経った。

何とか夜は風呂に入らなくてもそのまま過ごし眠れる程度の皮膚になり、1日2回必須だった入浴を1回にすることができた。
ようやく、という思いである。

朝はというと、ベッドから起きると皮膚が痛くて痒くて、相変わらずまず風呂に直行しないことにはいてもたってもいられない状態だった。


家から出ることが、少しずつ日々のことになりはじめた。

その春には、10日に1度くらい夕方に外出できるようになった。
家の中でも、夕食の後の片付けなどをする力が出てきた。
歯医者へ行ったり、家族とレストランに行ったり、少しの間集中力を痒み痛み以外のものに向けて、普通の人のように振る舞うことができた。

もう駄目かという長い日々を経験した後の外出は夢のようで、今まで支えてくれた家族にとても感謝したし、その家族と楽しいひとときを過ごせることを幸せと思った。
まだ先は長かったが、とにかくこれは普通の人に戻る第一歩には違いなかった。

ここまで耐えてきた日々が報われる思いだった。

夏の暑さの中でも、夕方を選べば、娘を遊びに連れて行くことができた。
「汗が出て痒いな」と思いつつも、楽しいと思えた。
レジャーのための外出など、どれほど久し振りのことだっただろう。

帰ると痒さでしばらくはものも言えない状態だったし、祭りの後は、娘と私ふたりして「とびひ」にかかった。

無理をしたときは身体が疲れて免疫力が落ち、感染症にもかかりやすくなる。
なるべくしてなったと思いつつ、こうして進み戻りを繰り返しながら、慢性の病気は治って行くものなのだな、と回復の過程を実感していた。


(ちなみに「とびひ」は俗称で、正式には伝染性膿痂疹という。
ブドウ球菌や連鎖球菌という細菌の感染症で子供やアトピー性皮膚炎の皮膚によく感染する。

この他にも全身的な免疫系の乱れと外敵の侵入を防ぐ皮膚のバリア機能の障害のため、アトピー性皮膚炎では合併症としてさまざまな皮膚の感染症を生じる。
特にブドウ球菌感染症と、単純ヘルペス(水痘帯状疱疹ウィルスはしばしば混同されるが、同じヘルペスウィルス科に属する別のウィルスである)というウィルスの感染症であるカポジ水痘様発疹症は要注意である。

熱や痛みでつらいばかりでなく、細菌感染では稀ではあるが菌が血液に入って全身に廻れば命に関わることもある。
常ならぬ皮疹の状態になったら、この時ばかりは皮膚科を受診すべきと思う。

視力を損なう白内障や網膜剥離といった眼の合併症とならんで、アトピー性皮膚炎(薬を使わない患者では皮膚を良い状態に保ちにくいので特に)の気をつけるべき病態である。)


私は結局、伝染性膿痂疹をその夏に1回、米粒大の膿疱の集まりを主症状とするブドウ球菌感染症をその冬1回(片側の足首に)、翌夏1回(片腕に)、それと前述の通り結婚時代初春に2か月余続いた1回(両手のひら)、身体中に毛嚢炎の多発を経験した。
カポジ水痘様発疹症には好運にも感染したことはない。


さて、外出に気をよくして、ファミリーレストランに行くにもタクシーでは不便で仕方がないと、自家用車を買うことにした。

父が運転できなくなって以来、我が家には運転をする者がいなかった。
仕事を止めた時以来の運転は不安もあったが、身体で覚えた記憶が戻るのに時間はかからなかった。

早速その冬にはまた出かけられなくなってバッテリーを上げてしまう程度の回復で、購入の時期が早すぎたかという思いもあったが、逆にまだ利かない身体であればこそ、車という移動手段を手に入れたことは大きな意味があった。

びりびり痛痒さが強くて、立っていられない歩けないという時でも、車なら座ったまま目的地まで行ける。
着いた時にかさぶたが乾いていれば、何とか歩くことができる。
電車やバスと違って、身体を掻きながら運転していてもさほど人目に止まらず、奇異の目を向けられることもない。(笑わないで。)

少しずつ、身体を騙し騙し行動範囲を拡げていくのに、車はとても役に立った。
電車に乗ることができるようになるまでには、それからまだ3年余の月日が必要だった。


車を買った時に驚いたのは、新車の化学物質臭をとても不快に感じたことだった。
以前にはこんなことはなかった。

私は化学物質過敏症の客観的検査を受けたことはないし、皮膚以外に激しい症状が出たこともないが、いつの間にか化学物質の臭いを敏感に感じ取り避けるような身体に変わっていた。

このことは恐らく結婚時代に住んだ高層マンションの化学物質が、私のアトピー性皮膚炎の激化の大きな原因となったことの証左と考えていいのではないだろうかと思う。

化学物質でアトピー性皮膚炎が悪化したアトピー性皮膚炎患者が、化学物質の存在を敏感に感じ取り、さながら科学物質過敏症の患者が他人にはわからない微量の化学物質を感じ取り避けるように、不快に感じ避けて行く。
化学物質過敏症とアトピー性皮膚炎の病状は微妙に錯綜する。

どちらの病気の病態も、化学物質の人体への作用(特に急性中毒を起こさない程度の量に慢性的に暴露され続けた場合の)も、まだまだ未解明である。

アトピー性皮膚炎の増加悪化長期化と化学物質は決して無縁ではないだろう。


数日窓を開け続けて臭いを逃がし、あまり気にならない程度になった。

その後は普通に乗っているが、車はガソリンの臭いと無縁にはなれないし、曲線の多い内装は、可塑剤入りのプラスチックだ。
乗る時室内に籠っている臭いはやはり不快で、いつもまず窓を開けて換気をする。

元来私はすぐ車酔いをしていた子供でもあり、タクシーの臭いは幼時より一貫して苦手である。
私の血を受け継いだ娘も、車にとても弱く、車内の臭いに敏感である。

新車に対しても娘は私と同じように感じたし、共に乗るようになりしばらくすると慣れたのか酔うことは少なくなったが、車内に乗り込む時に、「顔が震える」と言うようになった。
内装品の、恐らくは可塑剤に反応していると思われた。

科学物質過敏症の患者である友人によると、私の乗っているメーカーの車は、概して臭いが強いという。


−いつか彼女も、車に乗れない状態になったりするのだろうか。
そうならないよう願うしかない。
現代社会を生きるものとして、それでは人並みの生活が営めない。
化学物質過敏症の苦労は押し測るに余りある。


現代社会を生きるものは、化学物質と無縁には過ごせない。
生きている内に身体の許容量を越えてしまわないようにするには、身体に入れる量をできる範囲で抑えて行くしかないのだが、世の中は経済効率と利便性を求めて、消費を促す方向に進みがちである。


ともあれこうして外出を少しはじめはしたが、休み勝ちな身体はまだ低血圧のだるさがとても強かった。

お盆休みに叔母が数日いてくれて、日頃のように痛み痒みに耐えて家事手伝いをしなくても良く、上げ膳据え膳で過ごした直後のことである。
夕食にファミリーレストランに行き辛いものを選んだ。

食べていたら、天井から半分以上窓ガラスとなっている壁の向こうの真っ暗な外の景色の中で、部屋の中の白く明るい電気の光りが異様に強く浮き上がるように感じられ、目の前がチカチカして気が遠くなりそうになった。
不安になり、動悸がし、呼吸が早くなり、冷や汗が出た。

それ以上食べるのを止め、家族のものを貰って食べながら休んでいたら次第に治まってきたが、運転ができるか帰れるかとヒヤヒヤした。

身体を動かしていなかった所に、急に香辛料で刺激して、血液の循環が不安定になり、脳の血流が維持できなくなったのだろう。
やれやれ、動かないのも程々にしないと病気の巣窟のような身体になってしまう、と我ながら情けなかった。


回復の過渡期だから仕方がない。状態はまだまだ不安定だった。


寒くなりはじめた11月、交換用カートリッジが手に入らなくなり塩素除去シャワーを使うのを止めた時には、皮膚の乾燥がどんどん進みとてもつらくなってしまった。
慌てて別の会社の製品を探し、使いはじめたら乾燥は柔らいだ。


12月半ばには冬期の乾燥による痛痒さで、前述したようにまた家から出られなくなった。
冬場は寒くて痒くて友人と電話で話をするのさえつらく、早くベッドに入り休む毎日だった。


お正月に出来合いのセットのおせち料理を食べた後、たまらなく痒みが増して具合が悪くなったことがある。

発泡スチロール素材と思われる新しい容器の臭いが強く、それが料理にも付いており、練り物なども色使いが派手で、味に少し違和感があった。
恐らく添加物などの使用の多い製品だったのだと思う。

過敏な我が身にあきれると共に、これではおちおち何でも食べることもできない、と思った。


思い返すと前年の夏に似たような経験をしていた。
母と娘と3人でデパート内のレストランに行った時だった。

食事時というのに店にいる客の数は少なかった。
料理はバイキング形式で、出来上がったものが店の一角に山のように並んでいる。
一見豪華だが余り減っておらず、いつから置いてあるのだろうという懸念をちらと感じた。
料理はおいしかったが、どれも何か変な味がした。
デザートは色が付いていた。

この時は私は特に症状を出さなかったが、娘は食べ終わって間もなく蕁麻疹を出し、それが出なくなるまで3週間かかった。

やはり辛酸をなめたアトピー性皮膚炎患者の友人にこのことを話すと、並べてある料理に防腐剤をふりかけているのではないかと言う。
その人も臭いや味の変化にとても敏感だ。


これらの食品に本当にこうした食品添加物や容器の化学物質が含まれていたかどうか調べた訳ではないし、含まれていたとしてもその種類も分からない。
それにより症状が出たという因果関係の証明もできないし、因果関係があったとしても何に反応して何に反応しなかったかも分からない。

ないないづくしで何を言うかと思われるかもしれない。
しかし因果関係の検査は言う程簡単ではない。


身の周りの化学物質は10万種類以上もある。
構造式の一部を変えれば、どんどん新しい物質が合成できるのだ。
それぞれが同じような作用や異なる作用を持つ。
それらは重なって身体に取り込まれ、その総和として身体の反応が出て来る。

個々の建材のトルエンは基準値を下回っていても、出来た建物内の空気は基準値を越えてしまった小学校のようなことが起きてしまう。

黄色4号・黄色5号という合成着色料は蕁麻疹を起こすことで有名であるが、娘の蕁麻疹は運悪くそれを食べたからだろう、と問題解決としてしまってはいけないような気がする。


加工食品が溢れている今日、それらには時に無節操に添加物が使われている。
証明されなくても目に見えなくても添加物は存在し、私たちはそれから自分の身を守らねばならない。

食品成分表示があれば見て吟味すべきだろう。
しかしそれでも網羅することはできず、さらには承知で嘘を表示する業者さえいる始末である。
どうしたらよいのだろう。


食物アレルギーでなくても食品成分表示を見よう。
添加物の記載の多いものは避けた方がいいし、逆に詳細に書いていないものも要注意である。

特に、派手な赤・黄・青・緑などの色(周りに色移りしているのも見えるかもしれない)、成分表示のX色X号は、合成着色料であるタール色素であり、目に見えるので分かりやすい。

こうしたものを無頓着に使う業者は、見栄えで売ろうとする姿勢が強く、消費者の身体への悪影響への配慮が乏しいように思う。
ハムも、日本のものは発色剤・保存料など添加物の使用が多い。
そうしたものを日常的に作っている所から、アレルギー表示物質の混入を偽っても平気な感覚が生まれてしまうのだろう。


危険な世の中だ。
しかしその危険は便利を求めた人間に要求される対価なのだ。
私たちはそれを心して生きなければならない。


・・悪化から、5年8カ月が経過。







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