[止まない痒み]



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「・・・あぁ痒い。とにかく痒い。何だってこんなに痒いんだろう。」
果てしなく掻きながら思う。

皮膚の外観は確かに少しずつましになってきているというのに、この痒さといったらない。
どうしたものか。


アトピーの皮膚は不思議だ。
さながら「痒み製造器械」ででもあるかのようである。

何故こうも痒いのか。
何故この異常は、痒みという形で信号を送ってくるのか。
いつかこのメカニズムが真に解明される日が来るのだろうか。


・・・痒みで目覚め、そのまま治まらぬうちに目の冴えてしまった夜中の、独り言。


もう随分長いこと、常に痒みと痛みから離れることのない生活を送っている。
寝付いて意識がない時以外は、常に痒い、そして(或いは)または痛い。
そうでなかった頃がもう、思い出せない。


当初はとにかく、「信じられない・つらい・早くなんとかしてくれ・ここから逃れたい」という気持ちだった。

やがて、世にさまざまな苦痛と共に生きている人たちがいることが見えてきた。
生まれつきまたは生後の人生でのさまざまな病気や事故による、機能の障害、そして慢性の症状。
24時間途切れることのない、やわらぐ見込みもない、疼痛だとか、呼吸困難だとか。
それもまたどれ程苦しいことだろう。


人の一生は、「重き荷を負いて遠き道を行くが如し」という。
荷は降ろせるに越したことはない。
苦痛は止むに越したことはない。
しかし自ら病んでみて知ったことは、「苦痛と共にでも、人は生きていけるのだ」ということだ。

苦痛のために人生の価値がゼロになってしまうこともないし、苦痛が取れなければそれで人生終わりというわけでもない、ということである。
しかしそれはまた裏を返せば、苦しいからといって死ぬわけにもいかない、それでも人は生きて行かなくてはならない、という、つらい事実でもある。


癌になった精神科医が言ったそうだ。
「他人の苦痛は何年でも耐えられるが、自分の苦痛は一分一秒が耐え難い。」

病んでいない人は、病んだ者から見てしばしば著しく横暴である。
しかし彼らにこの心情を分かれと言っても、無理なのだろう。
そのこともまた理解できる。
何を言われようと、頓着するまい。


苦痛のひどい時は、理性も集中力も精神力も、何もかも奪われてしまう思いがする。
ただ痒がることだけに、時を過ごす自分。実に情けなく、また口惜しい。
自分の存在価値を否定したくなってしまうのは、こんな時だ。
病とは魔物である。


そうはいいながらも、幸いいくらか苦痛がやわらぐ時間を感じられるようになってきている私ではある。
それを至福としよう。

まだ当分は、痛みと痒みの媚薬を味わう日々を過ごすのだ。
(マゾではないよ。人生を楽しむのさ。)



−これは2年位前に書いた文です。
今は痒みが治まったり忘れていられたりの時間が大分増えてきました。−


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