帯電する体



最近、舌にしびれを感じる。
といっても運動にも知覚にも障害はない。ただ口の中で舌がジーンと振動し続けているような感覚があるだけである。

理由はわかっている。電子機器に近付いたり触れていたりすると強くなるから。電磁波のせいだ。
折しも冬で、静電気も発生しやすい。こたつ、あんか、ヒーターなど、冬の家には電磁機器が満ちている。
目に見えない電波が、蜘蛛のように張り巡らされた電線の中のみならず、モバイル端末に向けて携帯基地局から送電されるWi-Fiなどの無線LANが、私たちを取り囲む空気の中を飛び交(か)っている。

それらの電磁波が、私の中にも入ってきて通り行く。
私の体はまるで電気コード。
人体は電気を通す(感電して死ぬこともあるように)のだから、当然のことなのだけれど。


代替医療の研修で毎年静岡へ行くのだが、ほんの数年前までは現地で電車に乗ると、携帯を開いて(そう、思えば当時は「開く」ものがふつう)いる人はごくまばらだった。
乗客はみな談笑したり眠ったり本を読んだり。
東京とは違うのどかな空気が流れていると感じたものだ。
今回は乗り合わせた人々の8割くらいがスマホにかかり切り。
都心と変わらないようすになっていた。
時勢の変化は、静かに着実に、広がっていく。

技術の進歩はすさまじい。
多くの人が1日中、モバイル電磁機器を手に持ち続けている。
ちょっと前には想像もしえなかったそんな暮らしが、いつの間にか当たり前の毎日。
立っても座っても何をしていても、片手のスマホ画面にチラチラ目をやり、いつ出てくるかわからないポケモンの出現をひたすら待つ。

キラキラ色を変える電飾を、体や腕や頭や、果てはまつげにまで纏(まと)う。
クリスマスともなれば、そこここに巨大なイルミネーション。
ほんの何年か前もの珍しかったプロジェクションマッピングまで、すでに日常のエンターテインメントとなりつつある。

東日本大震災後の「電気は資源の消費やリスクの代替として得られるもの、無駄遣いしてはいけない」という気運はどこへやら。
電力消費をぐっと抑えたLED電球が開発され普及したのが、ある種免罪符となったのもあるか。
オール電化住宅が廃れることはなく、石油ガソリン走行があたりまえだった車すら、エネルギー源を電気に求める方向に進んでいる。

冷蔵庫のモーター音。エアコンや給湯器や家庭用蓄電器の室外機のブーンという運転音。こうした居住環境にある電磁機器から放たれる低周波などで、生活を乱される人たちもいる。
IHクッキングヒーターは調理器具という性質上、電磁波発生源の間近にい続けなければならず、中には使い続けられなくなる人もいる。

感受性は人さまざま。
電車が大丈夫なら、電気自動車も大丈夫なのだろうけれど、そんなふうに電磁波源がどんどん積み重なっていったなら、弱い人ならばどこかで体が処理可能な許容度を超えてしまっても、おかしくないのではないか。

日々膨大な量の電磁波と共存する私たち。
以前に「化学物質の氾濫」という記事を書いたが、電磁波もまた洪水のように、今日(こんにち)に生きる人々の上にあまねく覆い被(かぶ)さってきている。

水に覆い尽くされれば、人間は窒息して死ぬ。
人工化学物質を、電磁波を果てしなく浴び続けたら、さて人体はいったいどうなるのか?
壮大な実験が進行中である。

2017.12.  
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