[彼らは脱ステを認めない]



. アトピー性皮膚炎診療(治療)ガイドラインと言えば、ステロイドなしのアトピー性皮膚炎治療を志す者にとっては、目の敵(かたき)にすらなっているものだ。
1992年のニュースステーション報道がきっかけとしてよく知られている、90年代に生じ広まったアトピー性皮膚炎患者の脱ステロイド指向の潮流を、「良くないもの」と捉えた日本皮膚科学会が、ステロイドを使う標準治療のみを「正当」とする根拠として作り上げた、と考えられている。

確かに、ひとたびトラブルや裁判となれば、専門学会の定めたガイドラインは、「何が正しいのか」をその時点で判断するための重要な材料になる。
また日常診療の場にしても、専門家が「この病気はこう治療すべきだ」と明言するコースから外れた治療をする、もしくは受けるということは、あたかも梯子(はしご)を外された状態で高所に居続けるようなものとなる。
そこそこ早期に軽快や軽減が得られればいいが、アトピー性皮膚炎は手強い。なかなか光が見えなければ、患者の心には疑念が渦巻き、医師はストレスに苛(さいな)まれることになるだろう。

実は、患者の方はご存じないかと思うが、アトピー性皮膚炎を端緒として、近年皮膚科ではガイドラインが百花繚乱(ひゃっかりょうらん)となっている。
蕁麻疹(じんま)疹・にきび・脱毛症・皮膚悪性腫瘍(癌)・・と、代表的皮膚疾患には全て網羅しようとするかのような勢いだ。
いずれも膨大なページ数で、皮膚科専門医にとっても1回読み通すことすら困難なくらいの込み入ったものになっている。

その背景として、1)何でもマニュアルの時代になっていること、そして2)エビデンスベースドメディスン(根拠に基づく治療)という概念が一般的になったこと、があるのかな、と私は考えている。

すなわち、
1)私が皮膚科研修を受けた20-30年前のような徒弟(とてい)教育は、現在では難しいようだ。若者は、効率の良いパターン認識による理解を好む。
2)どうせ治療を受けるなら、過去に「効いた」という実績のない治療より、実績のある治療を受ける方がいいには違いない。そうした情報は過去の医学文献から拾うのだが、今やそれらはあまりに多過ぎ、その信頼度もさまざまで、個人の医師がいちいち調べるには荷が重過ぎる。誰かが調べてまとめてくれるのは助かる。
というような理由で、病気の「取扱説明書」=ガイドラインが必要とされる時代になっているのかと思う。

そんな状況下で、先般、皮膚科学会会員に対して「ガイドラインをどう思うか」というアンケートが実施されたのは、非常に興味深いことである。

このようなアンケートを挙行するとは、ガイドライン制作者たちも、今後の方向性に何らかの迷いを感じているということなのだろうか。
良い意見は取り入れ、より良いものに改善していこうという姿勢の現れなら、歓迎すべきものであるし敬意を表するが。

さて、果たしてアンケートの回答には、「こんなにガイドラインはいらない気がする」「専門医には必要ないのでは」という、率直な意見があった。

その一方、役立っているという回答も当然あるわけで、その中には、「治療経験の乏しい疾患では、ガイドラインがあると安心して治療できる」という一群があったが、これはどの皮膚科医も親しんでいるはずのアトピー性皮膚炎に関しては、該当しない理由であろう。

他に役立っているという見解の理由として見られた内容は、主に2つ、「私の治療が間違っていないことが確認できる」という安心の根拠になるというものと、他科の医師・医療関係者・患者に対して「説得力を増す」という金科玉条(きんかぎょくじょう)になるというものであった。

そして、「高く評価しているガイドラインは?」という質問で堂々の1位を獲得したのが、アトピー性皮膚炎のガイドラインで、実に54%の会員皮膚科医が票を入れている。
(ちなみに、2位は蕁麻疹で45%、3位はにきびで32%であった。)

その順位の隣ページの意見の中に赤い太字で記されていたのは、「(前略)・・ステロイド外用剤を忌避する当時の社会風潮に、皮膚科学会の確固としたスタンスを示すことができた。その結果、アトピー性皮膚炎の診療の混乱に一定の解決がもたらされたことは、社会的貢献の大きさという意味でも、高く評価されると思う。・・(後略)」というものであった。

アトピー性皮膚炎のガイドラインは評価している。
それは、自分の治療に根拠を示されほっとしたり自信を持ったりさせてくれるから、患者の方へ標準的な治療を説明し理解してもらう助けとなり、かなり異なる治療をする医師にガイドラインではこうだと伝えられるから。
そして何よりも、ステロイド忌避という混乱の収拾に、大きく役立ったから。
それが、過半数の皮膚科医の見解という、集計結果と解釈される。

不安と期待で少しばかりどきどきしながら、この集計結果を通読した私の感想はといえば、やっぱりが半分、がっかりが半分。
とは言え、ここまでは想定内であったと言える。

予想を超えて私の心をえぐったのは、やはり赤い太字とされていたある意見の、次のような一節だった。
「(前略)・(・・脱ステロイド療法など、治療において有害なエビデンスも付けられてはどうでしょうか?)」

有害?
明確に悪いものと断定する意味を持つその言葉に、私の眼は釘付けになり、その上に脱ステロイドの文字が重なっては消えた・・・。

いわゆるアトピービジネスを悪と断じる立場は、私にも理解できる。
過大な効果を宣伝し、患者が受けられたはずの通常の治療を受ける機会を失わさせ、患者に身体的・精神的・経済的な損失を与えるような性質のものであれば。

けれど、脱ステロイド療法そのものを有害と言われてしまうと・・・。
患者がステロイドは止めて、何か他の方法でやっていこうと思った時点で、有害だということになってしまうのか?
ステロイド以外の方法を模索することが全て、有害だということか?

皮膚科医になって20有余年、ずっとステロイドもアトピー性皮膚炎も身近に見てきた私は、ステロイドに有効性があることも限界があることも知っている。
ステロイドはアトピー性皮膚炎の皮膚症状を顕著に改善させる。タクロリムス(プロトピック)もまた然(しか)り。溢れんばかりのエビデンスがそれを裏付けている。
けれどどちらも、当座の症状を改善させるだけ。アトピー性皮膚炎を「治す」ことは、どちらにもできない。出にくい体にすることさえできないのだ。

(最近では再燃を予防するため、症状がなくなってからもプロトピックを週2-3回外用し続けるproactive療法というものも提唱されているが、これにしても、症状が表に出て来るところを抑え込んでいるに過ぎない。)

どんなベテラン皮膚科医であっても、実は身内のアトピー性皮膚炎1つにも手を焼いているのが現状なのである。
かくいう私も、皮膚科医としては我が身1つ治せなかった、そうした無力な医師の1人であった。

脱ステロイドには、ステロイドのような大規模な信頼性の高いエビデンスなどない。
けれど、そもそも脱ステロイドすることを許してもらえなければ、脱ステロイドしながらもそれ以外の必要な医療は受けられるという環境が得られなければ、そうしたエビデンスの作られようもないのではないだろうか?

脱ステロイドすればアトピー性皮膚炎が治るなどと言うつもりはない。
今の医学の提供できる最上のものがステロイドであることに異論はないが、将来にわたってもそうであるかどうかは分からないではないか、と言いたい。
だから、最上のものではなくても、他の可能性に挑戦する誰かがいることは必要なのではないか、と思う。
そうでなければ、新しいものは生まれないし、進歩もないだろう。

実際、日本にごく少数いる、ステロイドを使わない患者を受け入れた医師たちの症例の中には、苦労しながらも回復した人たちがいる。
何かの療法が効いたか、養生が良かったか、自然経過か知らないけれど、ステロイドを放棄しても元気に生き残っている人たちは存在する。
はばかりながら私自身、そうしたアトピー性皮膚炎患者の1人である。

そんな状況下で、どうしてステロイド忌避を悪と、単純に断じることができるのだろう!

けれど、現実は。
彼らの中には、それを有害と表現する人がいるのだ。
そしてそれを重要な意見と取り上げて、赤い太字でプリントし会員全員に配る編集委員がいる。

そう、お人好しな私にもやっと分かった。
彼らは脱ステロイドを認めないだろう。これからも、ずうっと。

ステロイド一辺倒の医師の信念と、より自然に治したい患者の希望とが、歩み寄り和解する日を、私はずっと望んでいた。
それは、叶わぬ夢なのだろうか。

思えばかつてアトピー性皮膚炎で療養中だった頃の私も、血液検査で自分のIgE値などを知りたくても、とびひを起こして抗生剤が必要でも、皮膚科を受診することはできなかった。
他の科を受診した際に、担当医に嫌がられながらもお願いして、アトピーの採血もしてもらったりしていた。
皮膚科へ行けば、「ステロイドを使え」と言われると分かっていたから。

皮膚科医が脱ステロイド患者も許容する度量を持ってくれない限り、患者は闇から闇をさまようしかない。
皮膚の状態を正しく把握する研修を受けていない他科の医師に患者を向かわせてしまっているのは、ひょっとしたら皮膚科医自身なのではないか、という気がしてくる。
「やっぱりステロイドが一番いい」と思えば、患者は言われなくても皮膚科に戻って来るだろう。
締め付けを厳しくするほど、逆効果なのではないかと思うのだが。

どんなにステロイド至上主義で皮膚科学会会員医師を統制し、社会に喧伝(けんでん)しようとも、そのざるからは、水が漏れている。
皮膚科医がアトピー性皮膚炎を治せる時代が来ない限り、治癒を求め対症療法薬の副作用を恐れる患者の熱情は、止むことがない。

見果てぬ夢を患者は見続け、微力でもそれに応えたいと思う医師は、たとえ細々であろうと、生まれ続ける。

自ら所属する日本皮膚科学会と決して交わらない道を、私は歩いていくしかないのだろうか。
とても残念なことである。

2012.07  


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