脱線の始まり   
−ステロイドなしの決断−


ここから私の本格的な悪化と闘病の日々が始まる。


既に書いたが、アトピーを生じ悪化させる要因の多くは客観的定量的測定が困難で、しかもそれらが多因子性に作用するから、要因と悪化の因果関係を確定することは、無理といってもいいくらい難しい。
大概の場合は、結果として「これがこの時の悪化要因だったのだろう」と推測するしかないことになる。

これから書く私の悪化も、特に臨床検査値の裏付けをもっているわけではない。「証拠」がなければ「科学的」でなく、意味がないとしか考えない人には、読んでも、神経質な変人のたわ言としか受け取れないかもしれない。
しかし、いまだ人間が解明することができないでいる科学の謎はいくらでも存在する。証拠は「未だ見つかっていない」だけなのだ。

現実の患者の苦しみを無視できない者なら、患者の訴えを注意深く聞いて評価し、「疑わしきは避ける」予防医学的見地からの努力をすべきであろう。そんな姿勢をもった人に読んでもらえたら嬉しい。


その激しい悪化は、私の結婚・転居・出産・退職を契機として訪れた。

結婚・新居への移転・就職といった慶事は、幸せなこととばかり捉えられ勝ちであるが、実際それらは環境の激変をもたらすものであり、大きなストレスとしてはたらく−という内容を精神神経免疫学の本で読んで、なるほどと思ったことがある。
(そうした慶事・凶事含めた出来事を数えてストレスの程度を推し量る、社会的再適応評価尺度という指標(トーマス・ホームズら;1967)も作られている位だ。)

ひるがえって考えると(推測すると)、その4点のいずれもが、悪化の要因となっていたのだと思う。中でも大きいのは、転居だったろうか。それはストレスのみでなく、建材の科学物質という、予想もしていなかった大きく激しい環境の悪化要因として、私に襲いかかった。


結婚した私たち夫婦が移り住んだのは、首都圏に次々と分譲高層マンションを展開している会社の、築3年の物件だった。

私はそれまで独身時代に何度か下宿を住み替えていたが、いつも5階建て以上の建物には住まないことにしていた。それは本能的な選択で、そうした建物は「人間的ではない」気がして、ただ嫌だったのだ。
しかし夫は「大きい所(企業)の物の方が安心できる」といった。それで私は「これも経験かも」と思うことにしたのだった。

耐火性や経済性のためなのだろうか、化学物質を豊富に含んだ建材・内装材が住宅建築の主役に躍り出、一方その害についてはまだ未知であった頃である。


今もはっきり覚えているのは、廊下の戸を開けて居間に入ったとたん、つんとニスのような臭いがしたことである。壁は真っ白な壁紙で覆われており、床板はつやつやの板張りだった。

当時の私は、アトピー患者として、ダニを増やさない環境ということには気を配っていたが、化学物質とカビについては全く無知だった。

築3年目の冬にしてそれだけ臭うことの危険に気付くこともなく、「フローリングはダニ対策にいいし、新築のようにきれい」と思った。システムキッチンなどのお洒落な外観を単純に喜び、壁紙がビニールクロスで、床板が合板であるということさえも知らなかった。


3月半ばの吉日に婚礼家具を運び入れた。
まだ暖房のない部屋でコートを着て家具屋を待っていた私は、予想外の寒さに震えた。部屋は北東向きで日当たりは悪かったが、それにしても、寒かった。
合板が木や漆喰と違って湿気や温もりを含んでおけないことを後で知った。


代謝が低下していて冷えやすいという私自身の側の要因もあったのだろうと思う。6月まで、電気ストーブが手放せなかった。

寒いのが嫌で、エアコンを一日中付けっ放し、洗濯のためベランダに出入りする時以外は、全ての窓を閉め切っていた。エアコンが室内の空気をかき回しているだけとは露知らず、外気との換気をしてくれているものと思い込んでいたのだ。
マンションの部屋の壁の下隅には、換気のための、小さな同心円状の口がある。それさえも、それが換気口と知らず家具で塞いでいた。

窓に結露が生じ、だんだんひどくなった。当然だったが、当時の私はそれが何故だか分からず、雑巾で水を拭き取るしか術がなかった。

室内の空気はひどくよどんでいたことだろうが、無知とは恐ろしいもので、私は毎日その中で生活して何の不快も感じなかった。掃除をする時、顔が赤くなると感じることがあったが、今にして思うと、空中を舞い踊る埃・カビ・科学物質のためだったのだろう。


そんな中で妊娠の時期を過ごして約1年後、出産と共に、妊娠中腹部に出ていた湿疹は引き、それに塗っていたステロイドも止めた。
ところがそれに入れ替わるように、出産後2カ月頃から頚部、さらに4〜5カ月頃から・腕などの湿疹が急速に強くなりはじめた。
(面白いことに、5年間続いていた顔の赤みとかさつきは、出産1カ月後をピークとして以後消退傾向となり、ひどく腫れることはなくなっていた。)

妊娠・出産による体の変動、ステロイド外用の中止、退職にまつわるストレス、毎日一日中家にいるようになったこと(化学物質やカビの影響・運動不足による代謝の低下)などが重なる中で、皮疹はあれよあれよという間にほぼ全身に拡がってしまった。


はじめは腕が主で、強クラスのステロイドを外用して治そうとしたが、何故かほとんど効かなかった。こんなことははじめてだった。この事実は、皮膚科医である私をうろたえさせた。

痒みを抑える抗ヒスタミン効果を持つ薬の内服もした。眠気が少ないのでと選んだ抗アレルギー剤のテルフェナジン(商品名トリルダン)である。ところがそれでも痒みは強かった。
のみならず、膀胱炎の時のような激しい尿意切迫感を感じるようになった。薬の添付文書の中にそういう副作用の記載は見当たらなかったが(瀕尿とはあった) 飲む度必ず起こり止めると治まるので、因果関係は明らかだった。これ以上テルフェナジンを飲むことはできなかった。

さて、どうしよう。もちろん抗ヒスタミン剤は他にも沢山ある。変更することは簡単だった。
しかし私はなぜかそんな気分になれなくなっていた。病気の不安の上にさらに副作用の不安を抱えることは、思っていたよりもずっと重く、避けたいことだった。


医師として「病気は薬を飲めば治る、または改善する」という認識をそれまで私は持っていたが、それがこれだけのことで、大きく揺らいでいた。
強クラスのステロイドも効かない、痒み止めを飲んでも痒い、その上薬の副作用の苦痛が加わる・・治療って、いったい何なんだと考え込まざるをえなかった。


私は飲み薬をそのまま飲まず、広がって行く一方の皮疹を見ながら、ステロイドの使用も止めた。
「馬鹿げている。ここでしっかりステロイドで火事を消さないから、苦しむことになったのだ。」と、きっと多くの皮膚科医は言うだろう。頭がおかしいとしか思えないかも知れない。

しかし私もまた皮膚科医で、その自分の医師としての経験に鑑みて下した決断だったのだ。




それは・・・
もちろん私はそれまでにアトピーを含めた湿疹の患者さんを医師として数多く見ていた。
原因のはっきりした急性のものはステロイド外用剤で劇的に治り一件落着となるが、慢性のものは実は簡単ではなかった。


確かに一定以上の強さのステロイドを用いれば、はじめは効く。その効き目はしばしば劇的である。
状態が良くなったらステロイドの中止をはかる。しかし、原因が残ったままなら、薬を止めれば遅かれ早かれ症状は再燃する。ステロイドのランクダウン・減量をするうちにまたある程度以上の症状の増悪をみれば、現実にはそれ以上減らすことは出来ない。

ステロイドは、止めた時に「反跳現象(rebound)」という強い症状の悪化を起こしやすい薬である。もともと、減量の難しい薬ということになるのだと思う。


完治せず、ステロイドを切ることができずに、年余にわたり皮膚科に通い続け外用を続けている人は、アトピーに限らず、ステロイドが有効な湿疹などの皮膚疾患で、大勢いるのが現実である。


ところが、ステロイドという薬は、「馴れ(tachyphylaxy)」を起こすことが知られている。使用を続けると、次第に効きが悪くなる。薬のランクを落とせないどころか、逆に強くしなければならないことにもなりかねない。

さらに、「反跳現象(rebound)」である。使い続ける程、止めることはさらに難しくなる。


アトピー性皮膚炎悪化因子の特定と除去が行なわれれば、症状の再燃が起こらず、この悪循環を断ち切れるはずだが、環境の悪化因子が増加する一方の今日、悪化因子は重複していたり不明瞭だったり取り除けなかったりすることがほとんどで、ひとつの悪化因子の除去によって確実に警戒することは非常に少ない。
また、同じ理由で病状の継続の長期化・高齢化が著しく、かつてのように脳天気に自然緩解を待てばよいと言うこともできない。


このように、ステロイドによる治療は、八方塞がりの側面がある。
それでも、その確実で劇的な有効性ゆえに、多くの場合他にステロイド以上と思われる手段がなく、処方し続けるしかないというのが、皮膚科医のジレンマなのだ。

(−これは私の考えである。皮膚科医が皆このように考えていると私は思ってはいない。)


ステロイドで集中的に治療すれば、一旦は見事に改善するが、それは、1年後・2年後、あるいは5年後や10年後にいい状態にいるだろうということを意味しない。
ステロイドを止めれば、来るべくして悪化がくるし、使えば使う程弱い薬にしにくくなる。
敢えて言えば、足抜けできなくなりやすい薬、というのが、私の医師としての経験からの印象であった。

いつくるか分からない悪化や、それによる入院を繰り返すようになれば、生活も予定が立てられなくなる。責任を持って定職につくことも難しい。
それは、非常に始末の悪い、泥沼の状態といえないだろうか。

ステロイドで「コントロール」することが、良い時はとてもきれいだけど、悪い時はよりひどく出る、というふうに、症状の波をより大きくしてしまうとしたら、それは本当に「生活の質を保つ」ことになるのだろうか−というのが、私の疑問だったのである。


今薬を処方する医師が、20年後・30年後の患者の状態の責任を取ることはできない。それを引き受けるのが患者本人である以上、選択権は患者にある。

私自身の顔のアトピーが、ステロイドを使っていた間拡大していった経験も大きかった。赤みなどの症状はまだ波を繰り返していたが、確かにその皮膚の性状は正常に近付いていた。

残念なことだが、人間は経験によって学ぶ生き物である。我が身での一つの主観的経験は、それまでの多くの知識を凌駕し、医師としての客観的経験の幾多の断片をひとつに繋ぐ、ある理解を私にもたらした。


そして私は、足抜けできなくなるよりは、予想のつく悪い状態でいることを望むことにした。

それでステロイドを使わない道を選んだのだ。


今までの自分の皮膚科医としてのステロイド処方が、患者の長い将来に対して、胸を張れるようなものでなかったことは否定できない。慚愧にたえない。

その懺悔の気持ちをも込めて、「使わなかったらどうなるか」という実験を我が身で行ってみなければならないと、私は思った。




さて、それでどうしたかというと・・・

保湿は行なった。非ステロイド外用剤の軟膏を毎日2回、身体をきれいにしてつけた。
ダニほこり対策として掃除を心掛け、くよくよ考えて滅入らないようなるべく子供のことなどで用事を作って外に出るようにし、規則正しい生活と食事をし、爪も頻繁に切った。
紫外線の免疫調整効果を期待して、日光浴までしてみた。

皮膚科医として思い付く限りの対策をとった−そう、薬以外は。


そうして、一ヶ月か、せいぜい三ヶ月も我慢すれば、ひどい症状は治まってくるだろうと当初私は考えていたのだ。
しかしその考えが全く甘かったことに気付かされていくことになる。夏を過ぎ汗もかかなくなっても、良くなる兆しはいっこうになかった。


体中に拡がった湿疹を抱えた日々は、予想を越えて大変につらいものだった。
ただ痒いというのではない。体をそして皮膚自身を守る皮膚のバリア機能が損なわれるとは、こういうことなのかと思わされた。

刺すような痒みと痛みと刺激感がないまぜになって、ちょっと動いても、じっとしていても、常に体のそこここを責め苛んだ。
一日中がつらく、どうしても必要な家事と、その後漸く見つかった仕事に行く時以外は、何もする気がせずに毎日を過ごした。

ストレスを解消する気晴らしにと計画した南の島への家族旅行は、まがりなりにも最後の楽しい体験となり、同時に自分の状態がいかに抜き差しならなくなっているかを認識する機会ともなった。

プールに入るため水着に着がえた時、ホテルの部屋の大きな鏡にうつった自分の体は、がさがさで茶色く汚く、目を覆いたくなるようなひどいものだった。スナップ写真に大写しされた肌はまるで象の皮膚のように黒くごわつき、とても30才代の女性のものとは思えなかった。


私の身体はどうなってしまったのだろう。本当に治るのだろうか?。これからどうしたらいいのだろう・・!。
私の知識と経験の中にもう手はなかった。
どこかに答えがあるのかもしれない。それを探すしか道はなかった。
見通しは大変暗かったが、だからといって生きることを投げてしまうわけにもいかない。




ちなみに、この頃タクロリムス(商品名プロトピック)外用剤は発売されていなかった。
もしあったらどうだったかというと、やはり私は使わなかったと思う。

発売後日が浅く、長期の副作用に関しては不明な薬であるが、免疫を抑制することによって症状を押さえるという作用機序がやはり同じように対症的に過ぎない以上、同じようないたちごっこの経過が予想されることと、全身投与をすれば腎移植をも可能にする程の強力な免疫抑制剤の、皮膚病変以外への望まぬ作用を懸念することが、その理由である。


・・脱線を招くこの悪化から、約2カ月が経過した。







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